「健康が大事」っていうけれど、健康ってどういう状態?

スーパーへ行ったら、ある棚がきれいさっぱり空になっているということが、時々ある。

ああ、また、なんかテレビでやったんだなと思う。

みんな「健康にいい」ことが大好きだ。

ところで「健康」ってどういう状態?どこまでが「健康」と言えるの?

 

メディアの責任?

エビデンスの有無さえ明らかにしてくれれば、何を言ってもいいんです。「説得力は乏しいけど、いいと思ってやっている人が多い」とかね。有酸素運動をしろとか、体を冷やすなとか、安くて副作用がない健康法なら、お金が絡まないのでエビデンスは不要です。逆に、高くて危険な治療はエビデンスが必要。そこがごっちゃになって流通している。

(出典:東洋経済オンライン 健康論に振り回される人を襲う「不幸な悩み」

パソコンを叩けば、ある程度の知識は得られる時代となったが、その知識が正しいのかどうかは疑問が残るところだ。

「紙面」や「画面」で見せられると、どんなことも正しいように見えてしまうから不思議だ。

「健康」というふた文字に振り回されるわたしたち。そもそも「健康」とはどういう状態なのだろうか。

「健康」を守って暮らすことが悪いと言ってるのではない。わたしも自分の体をできるだけ快適な状態に維持するために、自分でやれることはそれなりにやってるつもりだ。

ただ、ふと思うのだ。みんな忘れているのではないかと。

自分で自分の体をコントロールできるのは、ある程度まで。思いどおりにはならない。

そもそも、こうして今、息をしていることが「偶然」かもしれない。体の中で何が起きているのかを本人さえも把握できないわけだから、今、生きているということだけが真実としか言いようがない。

メディアの責任は大きい。だけど、メディアからの情報を受け取るのは個人の自由なのだ。情報を鵜呑みにせず、怪しいと疑う余裕を残しておくべきだろう。

 

「健康」と「病人」の境界線は、どこ?

「ある日」まで、夫は病人ではなかった。「ある日」を境に、夫は病人になった。本当にピンポイントで「ある日」だ。

それは医師から「がんです」と告知を受けた日だ。あの日を境に、夫は病人になった。しかし、暮らしに影響があったのかといえば、ほぼなかった。普通に暮らしていた。

たぶん、そんなものなのだ。「健康」と「病人」の境界線なんて、曖昧な場合も多いのだ。

大切なのは心の健康。必ず死ぬということを認識し、自分が楽しいことを、リスクを承知してやるのが、心の健康につながる。

(出典:同上)

死んでいく生き物であるということを自覚しつつ生きること。老後を生きるにあたって一番大事なことはこれだと、わたしも思っている。

健康は大事。だけど実は自分の力でなんとかなるものでもない。「健康でなくなる日」は確実にやってくるのだ。ぽっくり死なないかぎりは。

そんな「ある日」をどう迎えるのか。それこそが課題なのだ。

例えば、わたしがいなくても困らないようにすること。次世代が自立して生きていけるように手助けすること。

そして毎日を味わって暮らすこと。

そうして「ある日」を迎えればいいのだ。

自分を大事にするということは「健康」にこだわることではない。たとえ病を得たとしても、そんな自分を受けて入れて生きるということだろうと、わたしは思っている。

ここまで書いてきて思ったけれど、わたしは「健康」というふた文字を好きではないんだなあと自覚した。虚弱だった子ども時代を過ごしたことで、劣等感&反発心があるのかもしれない。

「健康、健康という前に、健康を定義してみろ!」と言いたくなる(笑)

ひねくれ者は思う。まずは、とりあえず、日を浴びてこよう。


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2 件のコメント

  • 1月に知り合いの方が亡くなりました。69歳でした。お葬式に行けなかったので、後日ご自宅に伺いました。
    奥様から聞いたところ、12月20日に調子が悪いと検査に行き、末期ガンと診断され、あれよあれよという間に1月26日に亡くなったそうです。
    高校でバレーボールで国体に行き、その後も趣味で続け、11月も試合に出ていたそうです。
    健康そのものと見えていた方なので、びっくりしています。
    りっつんさんと同じように、私も小さい時に体が弱かったので色々とコンプレックスがあります。
    でも年を重ねると、自分が思っていた順番通りではないのだなと感じます。

    • ストラトスさん

      1ヶ月で亡くなるとは、なんと申し上げたらいいのか・・・・。
      でも、きっと苦しみは少なかったのではないのかなあと推測します。
      自分で健康だと思っていても、体の中で何が起きているのか、知りようがないです。
      自分の体なのに、自分のものではないということを実感せざるを得ません。
      考えると、人間の存在は本当に神秘だなあと思います。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    りっつん

    1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。