祖母のゆかたをリフォーム。婆になった孫が着ています。

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雨の合間の晴れ間に夏の気配を感じます。

すでに雨戸を上手に利用して(と本人は思っている)、強い日差しを家の中に入れないようにしながら、暮らしております。

夏の日差しは避けるに限る!

 

浴衣→湯上り着

祖母から遺品としてわたしの手元に届いた浴衣。

と言っても、最近の話ではなくて、祖母が亡くなったのは35年も前のことだし、浴衣が届いたのは10年ほど前。ずっと実家に置いてありましたが、震災を機に持ってきました。

数年前にその浴衣をほどいて、風呂上がり着を作りました。

反物に戻して、直線裁ちして、友人にミシンで縫ってもらって。

風呂上がりに着ていますが、汗を鎮めるのには、サイコーです。

かなり大きめですが、それがいいのです。解放感があり、とても涼しくて重宝しています。

汗を収めて、パジャマに着替えるのは、寝る直前です。

 

祖母のゆかた

祖母は今から35年ほど前に、83歳で他界しました。

祖母の浴衣は新品だったとはいえ、祖母が仕立てたのは亡くなるより、もっと前のことなので、すでに40〜50年くらいは経っているかもしれません。

しかし古さはまったく感じません。素材が上質な木綿なのでとても手触りがいい。

しかし自分の浴衣さえも着ないのに、まして、祖母の地味な浴衣を着る機会などあるわけがないので、ずっと箪笥の肥やしとなっていました。

数年前に、和服の整理を始めた時、譲れるものは譲って、残りはほどいて反物に戻すことにしました。

反物に戻して、何かに利用しよう。

この浴衣、最初はカバーにでもしようと思ったのですが、友人の提案で風呂上がり着に変身させることに。

10年前なら、この柄を着ようとは思わなかったはずだけど、60を過ぎると、こういう柄にも抵抗はなくなる(笑)

そして、着ると思い出すのです、祖母のことを、時々、ふっと。

祖母にとっては初孫のわたし。とても可愛がってもらいました。

 

祖母のこと

祖母は宮城県のササニシキの産地である田舎町で暮らしていました。今年の朝ドラの舞台になっている登米町のごく近くです。

今はかなり便利になりましたが、今から50年も前は本当にど田舎!一軒家と田んぼと畑以外、見えるものはありませんでした。

祖母は49歳の時に、祖父を突然の自動車事故で亡くして未亡人となりました。

当時わたしは1歳になったばかり。祖父の思い出は1つもありません。

当時、祖母の長子である母は嫁いで、わたしを生んだばかりの25歳。その下に18歳、15歳、12歳の弟たちがいました。

残された息子たちを女手ひとつで育て上げた祖母。時代的にかなり苦労しただろうなあ~と我が身と重ね合わせて思いを馳せています。

わたしは子どものころ(4~7歳くらい)、祖母の家に預けられることがよくありました。

祖母も寂しかったのかもしれません 。母もわたしから解放されたかったので、ちょうどよかったのでしょう。

1人で長期滞在していました(させられていた)

子どもの頃の思い出といえば、住んでいた仙台の町のことより、その田舎町のことが多いので、田舎育ちと言ってもいいほどです。

あのころのわたしの特技はザリガニ釣り。

一日中、小さな堀のへりに座って、棒にえさをつけて釣り上げたり、網で一網打尽にしたりと、釣りたい放題。

垂れた稲穂が風に揺れるころには、田んぼのど真ん中で、一斗缶をたたいてスズメを追い払う手伝いをしたり。

あの風景がわたしの原風景。

整備されていない環境でも、わりとすんなり受け入れられるのは、あの田舎暮らしのおかげです。

 

祖母の願い

祖母が亡くなるころ、我が家は夫の病と直面していました。

そのことを知った祖母は、ベッドの上からは、娘である母に向かって言ったそうです。何かを決意したような力強い口調だったそうです。

「死んだら、あの子を守るから」と。

あの子とはもちろん、わたしのことです。

わたしはその時に、祖母は夫を病から救ってくれるんだと思いました。

だから、夫が亡くなった時には、こう思いました。

“やっぱり、守るなんてできなかったじゃん”

でも、いま、やっと分かりました。

祖母はどんなことがあっても、わたしが生きていけるように、ずっと守ってくれているのです。

祖母の浴衣を着ながら、そんなことを考えている自分。しみじみ、歳を取ったなあと思います。

祖母は自分の死に装束を自分の手で縫って、用意していました。

後の始末も、きちんと整理整頓してありました。誰の手も煩わせませんでした。

それから、最後の入院となったときにも、髪を染めてからというような、おしゃれな人でもありました。

わたしは母より祖母に似ている気がします。

だから、未亡人になったというわけでもないでしょうけれど(笑)

ところで、祖母の葬式の時、叔父たちが3人揃って、クルッと後ろを向き、こう言ったことを思い出しました。

「正直に言え!」

「誰の髪が一番薄い?」

正直も何も・・・

あまりにそっくりな薄毛具合。

遺伝の力の凄まじさを感じました。

でも、一応、順番はつけてあげました。姪としての務めだから。

そんな叔父たちもこの30年で3人ともあちらの世界の住人になってしまいました。今ごろはばあちゃんと4人で何を話しているのかな。

あの世でも薄毛対決してるのかな。


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6 件のコメント

  • こんにちは りっつんさん

    同じ未亡人となるだろうりっつんさんのことを案じたおばあさまの言葉に強さが宿ったんですね。
    りっつんさんが友達にあなたは大丈夫と言ってあげたようだと思いました。

    おばあさまの浴衣のリフォーム素敵ですね。
    私ももう着なくなった浴衣チクチク縫ってみようかな?

    • コロボックルさん

      こんばんは。

      夏になると、浴衣服を着るとばあちゃんを思い出します。
      昔の木綿は品質もよく、肌触りは最高です。
      ぜひ、チャレンジしてみてください!

  • ぜったいぜったい、おばあさまは、りっつんさんを守ってくれていると思います。浴衣が、りっつんさんの手に渡ってきたのもなにかか呼び寄せたんですね。
    私も特殊な能力のある方に、背後に父方の祖母のような人が憑いていると言われた事があります。母は姑に似ているわたしの体型とかを悪く言ったりしましたが、私も欠点とかが祖母に似ていると自分で思う事がよくあります。そして、考えたら祖母も割と早くおひとり様生活をスタートしていたのです。なんだかまたまた不思議な世界を感じずにはいられませんね。
    参考程度に自分解釈で、そして軌道修正しながら、自分の人生を歩きます。
    おじ様方、愉快な方々だったのでしょうね。それにしても男三人も、おばあさまは立派ですね。

    • まめぴよさん

      おじたちは、本当に楽しい人たちでした。
      お酒を飲んでは歌って笑って。

      きっと、みんなで、
      わたしを見ていてくれてると思います。

  • りっつんさん、おはようございます。

    私も、浴衣のリフォームをしようと、そんな特集記事の載っている雑誌を購入したものの
    未だに手つかず、きっとやらないと思います。
    もう、暑くなってしまったから、手作業なんてもっての外です。

    おばあちゃんが、りっつんさんの守り本尊なのですね。

    私は、両親かな。
    何とか無事に今日まで生きて来れたのもの、両親があの世から見守ってくれているから。

    散歩に行くと、番の鳥が必ずいるのも、鳥嫌いな私の注意を惹くために、両親が
    姿を変えているのだと思っています。
    だから、最近は、鳥にも驚かなくなりました。

    • しばふねさん

      こんばんは。
      なんか、ご先祖様が総動員で見守っている気がします。
      話したこともないご先祖様たち。
      わたしの中に、少しずつ入ってる?
      つがいの鳥って、見ているだけで、笑顔になります。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。