75歳ってどんな世界なんだろう。『静子の日常』を読んで思うこと。

井上荒野さんの『あちらにいる鬼』に感動したので、荒野さんの作品をもう1冊読んでみることにしました。

『静子の日常』という作品をチョイスして、ダウンロード。

主人公は未亡人の静子さん。年齢は75歳。息子と嫁と高校生の孫娘と同居中です。波風の立ってはいない家族。世間的に見れば、恵まれた環境です。

しかし、それぞれの暮らしや胸のウチには・・・・。

別の見方をすれば、静子さんを通して現代の家族のありようが描かれている作品とも言えます。

 

75歳の世界

今、わたしは61.5歳ですが、75歳の世界ってどんなだろうと思いました。近いようで、遠い感じがします。

老いてゆく道は、未知の道。ちょっと参考にさせてもらおう。

しかし、読んでみたら「なあんだ。今のわたしと、あんまり変わらないじゃん」と思いました。何が変わらないかと言われると、ちょっと考えちゃうけど(笑) つまり、高齢者って感じはしないってことかしら。

誰かが言っていたように、年齢はただの記号みみたいなものかもしれません。

「60歳だから◯◯」とか「75歳だから◯◯」なんて、ないんですよ。

年齢は肉体の劣化具合の目安というだけで、精神に関しては全く当てはまらないことは明らかです。

肉体の劣化具合だって、実は人によってかなり違うし。ましてや、年をとるだけでは、人の精神は熟成はしません。

精神年齢に関していうならば、経験の量と、その経験を自分のものにできたかどうかにかかっています。

夫の通夜の晩に「妻をやめた」静子さん。

50年の夫婦をやれば「それもアリなんだね」と思います。

「夫婦って何なんだろう」・・・って、12年しか夫婦修行をしていないわたしには、もう想像もできない世界です。

もし夫が生きていたら、わたしたちはどんな感じだったのかなあなんて、しょうもないことを考えてしまいます。

 

未亡人だらけ

わたしの周りでも夫を亡くしたという声が、ちらほらと聞こえてくるようになりました。

7月に入って、震災のときに一緒に暮らした叔父が亡くなりました。

ついにわたしにとって「おじ」と呼べる人が、この世には1人もいなくなりました。7〜8人いたはずですが、みんないなくなりました。

しかしまだ伯母や叔母たちの訃報に接したことはなく、(たぶん)全員が生きています。

なんだかんだ言っても、やはり女性は長生きなんです。

かなりの確率で未亡人になるんだなあと思います。未亡人にならない人のほうがレアなんです。夫に見送ってもらうなんて幸運は、そんなにはないのです。

パートナーを亡くして、そのあとの人生をどう歩いていくのか。これがなかなかの問題です。

どうやって暇つぶしをする?そんなことを考えさせられる1冊かもしれません。

「1人で自由に動ける時間は、たくさんはないのよ」とは、これまた半月ほど前に未亡人の仲間入りをした友人の言葉。

静子さんは「バスにさえ乗れば何処へでも行ける!」と言います。自分の意思だけで移動できる手段は本当に大事です。

ポイントはバスです。バスで行ける範囲。あまり日常からかけ離れない場所。もう新幹線に乗らなくてもいいんです。自分の世界はここにある!

家から歩いて数分のバス停。そこに来るバスに乗れば、たいていのところへ行ける。行きたいところにはどこだって行ける。

これこそが、一人身のおばあちゃんにとって大事な心境なのです。

この本を読んで一番共感したのは、ここ!(笑)

いつになっても大事なのは、自立力かもしれないって思います。たとえ小さな世界でも、自分の意思と力で立つ!そうすれば、おもしろいことが待ってるかもしれないです。

冥土の土産。持ち込み量に制限はないようですから。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

 


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ABOUTこの記事をかいた人

りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。