夫婦って何だろう。

岡田尊司さんの『夫婦という病』という本を借りてきました。

 

血縁を作る

すでに夫婦という形から身を引いて25年以上。だから、興味がないのかといえば、そんなことはありません。

夫婦の形は家族の形を作っていくもの。そして、それは時代とともに変化していくものなので、とても興味あります。

結婚はすごいシステムです。繋がりのなかったところに、血縁という新しい縁を作っていくのですから。

そして、結婚は幸福を呼ぶこともあれば、不幸を呼ぶこともある。

相性という2文字では、片付けられない何かがあるはずと、そんなことを思うのです。

思えば、わたしが結婚したころと、いまの夫婦の形はかなり違うように見えます。

 

愛着障害

人がどういうふうに人に対して愛着を覚えるのか。

それは、どういう育てられ方をしたのか。どういう母親、父親に育てられたのか。大きな影響があるようです。そんなことは、想像するまでもなく、当然の当然ですけれど。

わたしには、その実感はあります。いまになって、母親の存在を意識することがあります。

新幹線の中でコーヒーが飲めなくなった話。母の言葉は呪文のよう。

2017年9月23日

わたしが息子たちにどう影響を与えのかについても、思うことはいくつもあります。

人との距離の取り方。

これは本能的なものではなく、どこかで学んだというか、どこからともなく身についたものなのでしょう。

記憶にない時から、しっかりと刷り込まれているんじゃないかと想像します。

そして、結婚。新たな血縁を作る。

多かれ少なかれ、夢に描いていた世界とは違う世界が展開されて・・・(笑)

うまくいかない原因には、この愛着ということがあるようです。

いまになって考えてみると、わたしは夫の何をどれだけ知っていたのかなあと思います。

わずか12年の結婚生活ということもあり、夫の実像は霞んでしまってよくわかりません。

いま夫が「いい人」認定されているのは、どこまでもイメージを作ることができるからで、生きていたら、この年齢まで暮らしをともにしていたかどうか、実はちょっと自信はありません。

わたしたちもけっして円満な夫婦とは言い切れなかったと思います。

なぜわたしたちはすれ違ったのか。夫の死後もしばしば考えてきました。

そんなことも、この本を読むと、新たな目線で見ることができました。

愛着に障害があったのかも。お互いに。

 

関白亭主は死語?

わたしが結婚したころには「関白亭主」なんて言葉も残っていました。周りをみると、そんな夫たちもちらほらいました。

夫は社会で働く。妻は家を守る。それで家庭はうまく回っていました。

わたしにとっては結婚は生活互助会みたいなものでした。自分が生きて暮らしていくためのもの。それがたまたま好きな人と営めるというだけのこと?

当時は残業なんて当たりまえだの青天井(100時間なんてことも!)

夫の残業代が基本給と同じくらいということもよくありました。夫は2人分働いてくれました。

だから、わたしはひとりで子を産みにいくことになったけれど、当然のことと納得していました。

当時は特別なことでも何でもなかったし、不満だとも思わなかったし。

あれから30年。時代は変わりました。いまなら、非道の父親として認定されそうです(笑)

時代とともに、夫婦の形が変わるのは当然なんです。

「わたしたちのときには・・・」なんてことは、たぶん、ほとんど通用しない。平安時代の夫婦像を持ち出しても、何の参考にもならないのと同じ。

それにしても、時代の流れに合わせて生きていかなくちゃいけないのは、なんとも難儀なことだなあ。

流れの早い時代では、積んできた経験も、それほど役には立たず。時代に合わせて流れて溺れて、さようなら・・・か。

 

50歳で結婚解除?

40歳を少し過ぎた頃でしたが、学生時代の男友達が面白いことを力説していたことを思い出します。

「50歳になったら、結婚はすべて契約解除してほしい!」

その時点で、パートナーの選び直しをしたいとのことでした。

わたしの返答はこんなことだったと思います。

あんただけ解除すればいいじゃん。

自分でできないからって、制度にするまでのことはないでしょ。

でも、相手があれば、なかなか簡単にはいかない。めんどくさい。

そういう制度があれば、確かに便利だし、人の態度は変わるかもしれなと思いました。

再度同じ人と契約を結んで暮らしたいと思えば、相手に合わせる努力はするのかなと。

確かに一緒に暮らしているようでも、実はそれぞれの経験は違うので、成長度合いにも価値観にも差が出てくるのは大いにありうること。

いつまでも結婚した頃の同じような価値観であるわけはないから、そういう制度も悪くはないかも。

いまなら、わたしは、どんな人をパートナーに選ぶだろう。

やっぱり、好みって、そんなに変わっていない気もする。それほど成長しているわけでもないね(笑)

 

つまり、結婚ってなに?

いま、多くの人がひとりでいることを好むようになっているようです。わたしもそのひとりだけど。

それはすでに進化のレベルに達するのではないかと、岡田さんは言っています。もしかすると生物学的なレベルでの変化かもしれないと。

ひとりでは生きられなかったから、人は結びつこうとしていた。しかしテクノロジーの発達でひとりでも生きられる社会になってきたことは、確かに実感できます。

それでも、きっと、生き物として、何か本能的な欲求はあるはず。

それが両立できる社会が訪れるかもしれません。

結婚という形に縛られずに、子孫を育て、社会を維持できるシステムに移行していくかもしれません。

それは案外、近い将来のような気もします。

そして、子孫を残そうとするがゆえの生物学的なワナから解放されたときに、もっと自由に愛を語り合うことができるかもしれないなあなんて。

どんな時代になるかは、誰にもコントロールできないでしょう。個人の思惑で動くほど、簡単な仕組みではないでしょう。

生物としての思惑、社会としての思惑、そんなものがぐちゃぐちゃに入り混じって、次の世界を作っていくと、思っています。

未来を見てみたいなあ。


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りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。