帰りはおいおい┐(´~`)┌わたしの旅行の2大事件簿。

旅行で二度ほど大きなアクシデントに遭遇したことがあります。

その1つは初めて行った海外。NYからの帰国便でのこと。20時間もの遅延です。

もう1つは高校時代の修学旅行です。1日半遅れの帰宅となりました。

 

ボンバーが原因で空港にて足止め

5年前。PCで遠隔操作して航空会社や学校などに「爆発予告」をしたという事件がありました。後日、犯人は逮捕されましたが、それまでに何人かが誤認逮捕されたというあの事件です。

楽しい息子たちとの時間を過ごし、帰国するために、ニューヨークのJFK空港に着いた時のことでした。JALのカウンター付近に人だかり。なんか、ザワザワしている。

ボードが立てられていて、「ボンバーにより遅延」と書かれてありました。

ボンバー?

情報が錯綜していて、イマイチ状況が飲みこめなかったのですが、情報を集めてみると、どうもわたしが乗るはずの飛行機が、アリューシャン列島あたりで日本に引き返してしまったということらしい。

誰かが「爆弾を仕掛けた」と言ってきたらしい。恐ろしい話です。

「別の会社の飛行機を手配します。予定の飛行機の到着を待つならホテル代と交通費は出します」とJALのカウンター。

いろいろ考えていったん息子の家に引き返すことになりました。

いつ飛ぶかは、各自HPで確認してくれとのこと。ありゃりゃりゃ。本当に大丈夫なのかしら。帰れるのかしら。不安は募ります。

午後になってHP上で翌日の朝8時に離陸予定と発表。前日午前11時に飛ぶはずの飛行機だから、ほぼ20時間の遅延ということになりました。

大変だったのは、朝の6時にはJFK空港につかなければということでした。タクシーを予約して、5時には息子の家を出発しました。

タクシー代金はJALからいただきました。上限は100ドルでした。当時のレートで1万円ほど。

 

帰国便の中は快適

多くのお客さんは前日に別会社の飛行機で帰国したらしく、わたしの乗ったプレミアムエコノミーのブースはガラガラ。

わたしの列には、わたしだけ。ものすごくリラックスして帰ってきました。

プレミアムエコノミーは1列が8席。2-4-2です。全部で40席。とてもこじんまりとしています。

プレミアムエコノミーは座席のピッチが広いことはもちろんですが、そのほかにもこんな心配りが。

A4サイズPCが楽に置ける大型テーブル・大型レッグレストと3段階に調節可能なフットレスト・各シートに電源を個別設置と、かなり快適に過ごせるようになっています。

かなりな角度にリクライニングできるので、楽です。前の座席が倒れて空間が狭くなることもありません。

場所としては、ビジネスクラスとエコノミークラスの間に、配置されています。値段はエコノミーに少し上乗せといったところでしょうか。コスパはいいと思います。

プレミアムエコノミーの席なら、年を取っても楽に海外に行けそうです。

食事はエコノミーと同じです。お酒の種類が多いようですが、わたしにはあまり関係ありません。

ザ・機内食。こういう感じが好き。

日本からアメリカに行く便の食事と、アメリカから日本に帰ってくる時の食事では、明らかに日本からの便の食事のほうがおいしいと、わたしは思っています。仕込み先の違いでしょうね。

ザ・おやつ。

たぶん秋田上空だったと思います。かなり飛行高度が下がっています。日本海から成田というルートでした。

「ああ、日本だ」と思ったら、ホッとしたような、寂しいような、そんな気分でした。

そして、あの時、わたしの脳裏によみがえった修学旅行のこと。あれはいまだにトラウマです。わたしの同級生には「フェリーには乗らない」という人がけっこういます。

 

修学旅行での大アクシデント

突然の新幹線故障

高校2年生の秋。高校生だったわたしたちの修学旅行先は「奈良・京都」でした。

わたしにとっては初めての東海道新幹線。仙台から上野まで「ひばり」という特急で4時間半ほど。山手線に乗り変えて、東京駅から新幹線。

とってもワクワクしたことを覚えています。

京都の旅館に3泊。あちこちのお寺を、回りました。自由行動日には「ジュリーの家」を拝観(笑) 沢田研二さんの家を見に行ったんです。それが一番印象に残っています。

さて、問題が発生したのは、帰る日の朝でした。

東海道新幹線が創業以来の不具合を起こして、動かなくなくってしまったのです。動く予定も立たないという事態。自動列車制御装置の故障で結果的に1週間くらい止まってしまったと記憶しています。

帰れない360人の生徒たち。大事件です。解決策として選ばれたのは、船による大量輸送作戦でした。

生徒たちを京都から名古屋港までバスで運び、名古屋港から仙台港までフェリーでという作戦が取られることになりました。

23時間30分の船旅。何も知らない純粋な生徒たち。「わ~い。船だって」と喜んでおりました。地獄が待っているのも知らずに。

 

修学旅行の最終日

修学旅行は正しく行動している生徒だけではありません。帰る日の前日など、それぞれの部屋でどんなことが行われていたのか。

引率の先生方はすでに疲れ果てておられるし、生徒たちはやりたい放題に決まってるものです。

もちろん、わたしの部屋でも、お菓子を食べまくり、枕を投げ合いました。

あちこちの部屋で繰り広げられていた宴。不眠不休の宴。高校生は元気が取り柄ですから。

 

夕方6時、名古屋港を発つ

京都から名古屋港まで、バスで3時間。疲れた体。寝不足の体。3時間のバス旅。この時点で、みんな結構疲れていました。

そしていよいよ船は岸壁を離れた。♪~ホタルの光~

最初の3時間ほどは、みんな楽しく過ごしていました。船内を見学。晩御飯はハンバーグでした。しっかり覚えています。ほとんどの生徒はたぶん人生初のフェリー旅でした。

しかし!だんだん、船酔いで倒れる生徒が続出。地獄絵さながらの船内に・・・。

わたしは船酔いをした友人のために、薬をもらいに先生の所に行く途中で船酔いを発症。みんなの所に帰れず、誰かの力を借りて、どこかに収容されました。

もうめちゃくちゃ。誰がどこにいるのか、行ったのか、分からない。あそこでサスペンスが起きても、誰も気が付かない状態でした。

仙台港には救急車が待機していました。重症な船酔い生徒がいたらしいです。

この事件は、母校において、長いこと、語り継がれることになりました。

「ひどい目に逢ったのは、常々行いの悪い学年だった」と。

「だから、最後の最後まで気を緩めずに」と、修学旅行の心得のとして語られているようでした。

 

旅行は何が起こるかわかりません。こんなふうに記憶に残る旅になったことは間違いありません。

何が起きようとも、運に任せて、今後も楽しもう・・・と思います。ヽ(^。^)ノ


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ABOUTこの記事をかいた人

りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。