こんな説があるそうです。あくまでも説ですが、ちょっと見逃せない。
56歳までに、思考傾向&判断傾向はほぼ完成する。以降は、その道を究めていく。
ポジティブの達人。ネガティブの達人。依存の達人。そういう達人が出来上がる。
56歳までに、思考傾向&判断傾向はほぼ完成する。
以降は、その道を究めていく。みんな達人になっていくというのだけれど・・・・。
良い方向の達人ならいいけど、反対方向の達人になってしまったら、周りの人も困惑しますよね。
だから、56歳を過ぎた人と付き合う時には、注意が必要だというのです。
困った人からは、一目散に逃げるしか道はないと。なぜなら、その傾向を変えることは難しいから。
これ、実にそうだなと思い当たったんですね。
ここ10年あまり、わたしはこんなふうに思っていました。
“50歳のまま、人は80歳になる”
56歳説にちょっと近いでしょ。
それは2人の母を見て、そう思ったのです。
85歳になる、実母と義母。
2人の50代を思い出してみると、あの時の傾向のまま、年寄りになっているのです。
義母と知り合ったのは、義母が50歳の時。
あの時から義母の思考傾向は、何も変わっていない。基本的な思考の傾向がまったく同じなのです。いや、より極端になっていますね。
実母もそのまんまです。よりいっそう、その傾向が強くなっています。
年を取ったというだけで、人は成熟することはなく、思考方法の傾向は強くなる。母たちとのいろんなトラブルを通して、この10年ほど強く感じていました。
確かに、毎日の平凡な日々の積み重ねだけで、人が成熟するとは考えられません。
成熟するのに時間は関係ない。自分で自分を育てようとしない限り、成熟などしない。反対に劣化はしていくのです。
楽しいのは「みんなのおかげ」と言う人は、楽しい人生が続いていく。
楽しくないのは「○○のせい」と言う人は、ずっとそういう人生が続いていく。
怖いけれど、たぶん、本当の話なんじゃないかな。
わたしはこのまま、80歳に向かいます(◎_◎;)
「自分に起きた現象が自分に伝えていることは何か」を考えるクセをつけておくことも大事かもしれません。
56歳を過ぎても、少しでも自分を変えることは可能だと信じたい。
参考文献はこちら
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脳の傾向について思い当たる事、多々
あります。50歳頃迄どの様な精神生活
を送って来たのか、ボーッと生きて来た
のか?で違いが出るのですね。
プラス幼少期の親(特に母親)の思考の
刷り込みも影響大だと私は思います。
この呪縛を解きほぐすのには結構な時間
が掛かります。私は50歳には間に合わな
かった。
早や60歳を越えてしまいましたが、常に
私も自分を更新したいと思います。
国民としてもね。思考しない政府の元で
虚しいですが。
羽仁もと子さんの「思想しつつ生活しつつ
祈りつつ」という言葉が好きです。
キャサリンさん。
確かに母親の影響を忘れてはいけませんね。
わたしが母親からの呪縛を、
解きほぐさねばならないことに気付いたのは
55歳前後でした。
今でも、まだ、不完全かもしれません。
母親については、いまだに悩まされています。
「自分を更新」っていいですね。
「思考しつつ生活しつつ祈りつつ」
いい言葉です。ありがとうございます!