『あちらにいる鬼』は2019年2月に発刊された小説です。
小説ではありますが、どこまでが架空なのか、どこからが現実なのか。その境界に興味が湧いてしまいます。
なにしろ実の娘が父親の不倫を書いているのですから。
ノンフィクションではないけれど、スキャンダラスでリアリティが感じられる小説というのは、やっぱりおもしろいのかも。
娘が書く父親の恋愛
作者の井上荒野さんは、作家の井上光晴さんの長女。
小説の核になっているのは、父親と瀬戸内寂聴さんとの関係です。
登場人物のモデルは、
- 父親 白木篤郎→井上光晴
- 母親 笙子→井上光晴の妻
- 愛人 みはる→瀬戸内寂聴
井上光晴さんという小説家は名前を知るだけで作品を読んだことはありません。
ただ現代国語の教科書に載っていた井上光晴さんの詩を教えたという経験があります。
第二次世界大戦でのガダルカナル戦の経験を書いた詩は、あまりに衝撃的でした。
身近に迫った死の体験から生まれた詩。若いわたしが教えるのには、あまりに未熟で想像すらできず・・・。
とても手を焼いて投げ出したかったことを思い出します。
その詩からわたしが連想していた井上さんは、ものすごく堅い人。その人が実は恋愛には情熱的だったということに、本当に驚きました。
しかし、こういうのが偏見というもの。それとこれとはまったく別の話なんですよね。
瀬戸内さんとの関係
あの瀬戸内寂聴さんが出家した理由の1つが、井上さんとの関係を切ろうとしたということにも驚きました。
別れるには出家しかいないと思いつめたという瀬戸内さん。
実は井上荒野さんと瀬戸内さんとの対談記事を読んだことが、この本を読むきっかけとなりました。
ページを開いてすぐのこと。わたしの目を釘付けにした、とあるフレーズ。
まさに、そうだわ!
そして、その瞬間から作品の世界に引き込まれてしまいました。
人は何を探しているのだろう
実話を下敷きにしているとはいえ、これはあくまでもフィクション。
作者のフィルターを通しているので、本当の3人の気持ちは分かりようもありません。
それにしても女グセの悪い父親を持ったもんです。
女グセが悪い?
いや、井上光晴さんは自分の心と欲望に素直に生きていただけ。時代の社会通念に合ってなかったというだけ。
恋愛に関しては、いいとか悪いとか、簡単に言い切れるものではないでしょう。時代によって価値観も大きく違うのだから。
登場してくる2人の女性はとても対照的です。
見え方は違いますが、それぞれの立場で自分の道を歩いていることに変わりはありません。
自分にとって居心地のいい場所を探す、作る。あきらめるか、ウロウロし続けるか。
心おだやかに居られる場所が、必ずしも妻や夫という関係だけにあるとはかぎらないということは、たぶん、みんな知っていること。
そして、今度こそ見つかった!と思っても、蜃気楼のように消えてしまうものだということも。
白木は何を探していたのでしょうか。女性に何を求めていたのでしょうか。
どこまでいっても人間は満足しない生き物なのでしょうか。
実はこの世には安住できる場所など、ないのかもしれません。
もし、わたしが白木の妻だったら。
もし、わたしが白木の愛人だったら。
もし、わたしが白木だったら。
それこそ、それぞれが自分の中に「鬼」を見ることもあったはずです。
それにしても、娘が父親の不倫を書くって、すごい覚悟です。
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