曽野綾子さんは「親と苦労を分かち合う体験を持った子どもだけが、親を大切にする」と言うのだけれど。

曽野綾子さんの『晩年の美学を求めて』というエッセイを読みました。

 

親孝行と苦労の関係性

ズバズバと世の中に物申す曽野さん。なかなかあそこまでは言えないので、スカッとします。

さて、ズバズバなご意見の中で、特に心に残ったフレーズがありました。

親孝行な子供とその親がどうしてできるのか一つのかぎがある。親との生活の中で親と苦労を分かち合う体験を持った子供だけが、親を大切にする。

親が子供に艱難辛苦を強いず「子供だけには苦労させたくない」と思う場合には、子供がなぜか大人に育たない。

『晩年の美学を求めて』より

わたしの胸にずっしりと響きました。

 

親心って複雑

わたしの息子たちは大変に親孝行です。自立した立派な大人になりました。

しかし逆説的に言えば、親孝行な息子たちは苦労をしたんだなあということ。

そんなこと思う必要はないと言われそうですが、苦労をさせたことをすまないと思うのも、親心なんだなあと、思ってもみなかった自分の感情に驚いています。わたしもやっぱり親の端くれなんですね。

わたしは 今、自分は苦労なんてしたっけ?と思っています。でも、それなりの苦労はしているのです。何かのきっかけで、思いがあふれ出てくることがあります。

同様に、息子たちも父親がいないということで、苦労したことがあったはずなのです。母親としては、そんな息子たちがふと不憫になるのです。

死別は自分で選択したことではないので、どこかで運命を恨めしいと思っているのかもしれません。人間って、つくづく複雑だなあと思います。

 

遠足費用の3000円

こんなエピソードを思い出しました。

夫が亡くなった時、長男は5年生でした。その直後のことでした。長男が遠足のプリントを隠していたという事件がありました。我が家だけが費用を収めていないと先生からの連絡で知って驚きました。

息子にわけをただすと、

「お父さんが死んだから遠足には行けない。3000円もかかるんだよ

その日以来、わたしは息子たちには、お金の話はしないことを決めました。

お金がどれだけあるとか、またはないとか、言わない。言うべきではない。なぜなら、お金のことは親であるわたしの責任であって、息子たちにはまったく責任のないことだから。

どこにどのようにお金を使うかは、わたしが決めることだから。

以来、お金に関することは、わたしの熟考と判断だけでやってきました。人の意見を聞かなかったということではありません。参考にさせてもらったことは、たくさんありました。いろいろな情報をもとにして、決断してきたのはわたし。だから、責任もわたし。その生き方だけは今も変わりません。

 

晩年について

わたしは、もっと力を抜いて、生きてみたかったのかもしれないです。誰かに守られながら、ふわ~っと。こんな生き方になるとは学生時代には思いもしなかったです。もっと優雅な人生になるはずだった(笑)

でも今は、これが自分の人生なんだと、すべてを肯定的に受け入れています。すべてに納得しています。

年月を重ねるだけで、人は賢くはなれるわけではありません。何かを学ぶだけで、人は賢くなれるのかといえば、それもあやしい。

わたしの晩年がいつになるかは、わかりません。今年かもしれません。「よき晩年」にできるかどうかは、今をどう生きるかだけにかかっているのです。

60歳で晩年を考えることは決して早いことではないと、わたしは思います。


ブログランキング参加中!クリックお願いします♪

スポンサーリンク
スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。