『コンビニ人間』今も縄文時代も、人間はたいして変わらないのかもしれない。

嫁が「面白かった」と言うのでも読んでみました。

村田沙耶香著。2016年に発表された作品で「芥川賞」を受賞した作品です。

タイトルから受けていたいイメージと違っていて、メッセージ性の高い作品でした。意外\(◎o◎)/! 実はタイトルが好きではなくて、敬遠していたんですね。やっぱりなんでも目を通してみるもんですね。

 

現代とはどんな時代?

現代とは、どんな時代なんだろうと思う。

正常な世界とはどういう世界なんだろう。大多数の人が「こう生きるのが正しい」という世界が正常な世界ということになっているのだろう。たぶん、いつの時代でも。

時代に即した「正しい生き方」があるのだろう。

その時代の「型」のようなものがあって、それにはめられる人たち。そしてムリなく、はまっていく人たち。なんの疑問もなく時代にはめ込まれて、生きていく。疑問も持たずにそのとおりに流れて生きられるなら、それはそれで幸せなのかもしれない

時代とともにその生き方の形は違うけれど、「こう生きるのが正しい」という「型」はどんな時代にでも存在する。現代も縄文時代も。

たとえば現代日本なら、女の子は大人になったら、ちゃんと働いて、結婚して、子どもを育てて・・・。みたいな。

わたしなどは、それが当然だと育てられてきた。生まれた時からその路線を走るために育てられてきたような気がする。若いころはあまり疑問も持たなかったけれど、ある時から「ん?」と思うようになった。誰のために生きてるの?

「正常」とされる世界になじまなければ、生きにくいし、実際には生きられない人も出てくる。

だが、考え込んでしまう人たちもいるのだ。幼いころから考えてしまう人もいるのだ。

人間はひとりひとり違う。だけど、すべての人に合わせていたら、世の中は動かない。最大公約数を採用するしかない。誰かが決めた「型」を目指して人も社会も動いていく。

 

はじき出される人

「型」にはまらないと、はじき出される。作中の言葉を借りると「異物は削除されていく」ということだ。

異物・・・。なんともイヤな言葉だ。誰を異物とするのか。現代では異物探しごっこが盛んだ。

人はなんで異物探しにやっきになるのだろう。なんで、人は群れたいんだろう。他人と同じということから、何を得ようとしているんだろう。

それとも、みんな自分が異物という自覚があって、それがバレてはじき出される恐怖から、誰かに異物のレッテルを張りつけようとしているんだろうか。

自分はちょっと違う(異物候補)と自覚したところから、『コンビニ人間』の話は始まっていく。

たぶん、世の中に対する違和感を覚えたことのない人はいないと思う。だけど、いつの間にか、世の中に流されて行くのだけれど、その時の心の経過は忘れてしまう。気づけば、大多数の人になっている。

よく考えたら、おかしいことだらけだけど、目をつぶっていないと、はじき出されてしまう。それが世の中というものなのだ。

コンビニとこの世に生きる切なさを結びつけたこの小説は、人としての存在の意味を突きつけてくる。

主人公は自分には意思がないという。だから社会の方針に従うのも平気だという。そうなの?情もないの?

 

若い人にしか書けない

たぶん、こういう描き方ができるのは、現代の人だからだと思う。コンビニと人の生き様を織り交ぜられるところに、作者の才能が見える気がした。

町を歩いて、若い人をみて、ふと「この子もコンビニ人間かもしれない」と思う。

どんな人も、別の人から見たら、不思議な人。無理やり「型」に合わせようとしているだけ。その基準が正しいと思いこんでいるだけ。

ああ、生きるのは、大変だなあ~。

 

『コンビニ人間』は文章としては大変わかりやすい、読みやすい小説です。テーマは深いです。現代を生きる若い人たちへの見方が変わるかもしれません。新しい「型」ができるかもしれません。

 


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りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。