仙台の実家では毎年12月28日か30日に餅つきをしていました。
宮城県は「餅が好き」な県だと思います。
何か喜び事があると、餅をついていました。
さて、さかのぼること30数年前の12月28日。
わたしはたったひとりで、初めての病院で初めての出産に挑んでいました。
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里帰りでひとり出産
実家に帰って2週間もしないうちに、突然に産気づいたわたし。予定日より3週間も早かった。
27日の夜中に緊急入院。
実家には両親や妹夫婦がいたけれど、「ひとりで全然大丈夫」と入院しました。26歳になったばかりでした。
何しろ実家では翌日には「餅つき」という大行事が控えていたので、わたしは「出産より餅つきだろう」と思ったのでした。
すでに、もち米の仕込みも終わっていましたからね。
どうせ誰がついていたって痛いのは変わらんだろうと。
わたしは根拠なく安産だと信じていて、自信があったのです。ちゃっちゃと産んでみせるつもりでした。
ところが、昼過ぎに何とか生まれた長男は、死にかけた。わたしも死にかけた。
予想外の難産だったんです。あらら~。
小児科、外科の先生も呼ばれ、えらく大げさな出産となりました。
さて、そんな状態になっていることを、わたし以外の皆さんは知る由もありません。
夫は秋田で年末進行のお仕事中。
実家の皆さん、ぺったんぺったん。
近所の人も一緒に、ぺったんぺったん。大賑わいの餅つき大会。
妹が「お姉ちゃん、産まれたかなあ」とのんびりとやってきた時には、
「赤ちゃんには会わせられません。お姉さんも出血が多く、動かすことができません」と言われて、真っ青。
あわてて、秋田にいる我が夫に連絡を入れてくれた。
両親も急ぎ駆けつけてくれた。朝からの餅つきは無事に終わってた。
夫が到着したのは、それから8時間後くらいだった。秋田と仙台間は急行電車しか走ってなかった。新幹線なんて、なかったですからね。
今思うと、何もかもがのんびりしていたんですね。
引きずり出された息子は何とか蘇生したけれど、その後1週間ほど保育器の中。
一度、呼吸が止まっている息子。頭に酸素が届かなかった空白の時間がある。
「しかたないよね。一度、酸素が止まってるんだもんね」と、わたしは息子が人並みにいろんなことができないことを納得してきた。
みんなと同じテンポでないのは、そのせいだと思っていた。
息子が変わり者なのは、そのせいなんだと思っていた。
でも、最近、息子が変わり者なのは、そもそもが変わり者なんだと思っている。
実家とは今では疎遠
父の死後、実家とはすっかり疎遠になってしまいました。
でも、一緒についた餅のおいしさは忘れていないです。たくさんごちそうになりました。
父が亡くなる2か月前。12月30日に餅をつきました。父も点滴をつけたまま、杵を振り上げてつきました。孫たちに囲まれて、満足そうでした。
父は手厚い訪問看護のおかげで、最後の餅つきまでやれたのです。本当によかったと思っています。
実家の臼は、父が家を建てたときに、鳴子(なるこ)という所の職人さんに頼んで、わざわざ彫ってもらったものです。
小さな臼でしたが、それが父が自分の家を建てたときの記念だったのです。
それまでは毎年年末には、父の実家や母の実家に餅つきに出かけていました。
父は家を建てたことを機に、自分が率いていく新しい家族の実家になろうと決心したのでしょう。
実家から餅が届く
さっき、まじ専務が、昨日ついた餅を届けてくれました。
昨日ついた餅を、のして持ってきてくれたのです。
まじ、うれしいです。本当にありがたいことです。
昨日は、まじ家の餅つきに飛び入り参加させてもらい、夜はつきたての餅をごちそうになりました。
3人で、ワイワイやりました!
まじ夫さんとは、母の実家が隣町ということもあり、里仲間なんです。方言が通じて面白いのです。宮城県の小さな田舎町。これまた不思議な縁です。
つきたての餅はおいしいよねえ~。
ずんだ餅とあんこ餅と納豆餅です。
ふるさと仕様のお雑煮。
デザートは皿の作成から盛り付けまで、まじ夫さん。
この皿は新作です。いちごは我が家に届いた「やよいひめ」です。
ほら、こんなふうに新しい実家ができたりするわけです(笑)
血がつながっているとか、つながっていないとか、今のわたしにはあんまり関係ないかもしれません。
わたしが好きな人が、わたしの大事な人。
今、わたしが息子たちと付き合っているのは、あの人たちが好きだからです。
誕生日につき、現金を絶賛受付中である。
一度あの世に行って蘇った男は、ズーズーしい。
ところで、何歳になったんだっけ?
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