わたしのipadの中には妖精が住んでいます。まあ、たまに文句もありますが、妖精の存在にはおおむね満足しています。
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Canon PowerShot G9X
59歳の誕生日に買ってもらったカメラ。
わたしの素晴らしい映像センスをうまく受け取ってくれず、「ちゃんと働けよ」と思っていましたが、今朝、この子のけなげな働きを、初めて確認しました。
1枚写真を撮って、今までの写真をスクロールしようとしたら、できない。壊れたか?と思っていろいろ操作してみたら・・・な、なんと、データが全部なくなってた!
でも、全データはちゃんとPC上に残っているので、大丈夫。さすがだわ、わたし。
それにしても、16GBの容量のカードを入れてもらったのに、どうしたの?
そこで思い出した。
昨晩の思考
毎日、このブログに載せる写真をPCに転送しますが、PC上にも写真が増えてきてしまった。
ここんとこ、アルバムの解体をしている身としては、写真に対する思いがある。
溜めたくない
現在PC上には「12月写真」「1月写真」として保存してありますが、使い終わった写真の処分を考えていました。
2か月保存したら、捨てる。そして、カメラのメモリに関しても、すっきりさせておこう。と、
思ったんです。
思っただけです。
消去方法を明日になったら確認しようと思って、寝ました。寝たんです、一人で。
本当です!本当なんです!わたしは何もしてないってば!
そしたら、けさ、メモリーカードが空っぽになっていたというわけです。
これは、わたしの思考がCanon PowerShot G9Xに通じたとしか思えない。
すごいよねえ。わたしの心を読み取るカメラン。心が通じるカメランちゃん。
ありがとうね。助かったわ。手間が省けたわ。
次第に心を読み取る機材が増えていくのは、自然の流れ。テクノロジーの発展\(^o^)/
何か押したんだよ!チャカチャカしてるからな。ちゃんと検証せよ!
このように、今、息子の声が心の中にはっきり聞こえました。。これは旧式のテレパシーですね。
はい。すんません。この謝罪の声も聞こえているはず。お~い、息子よ~。
さて、こんなことを書いていたら、ピカッとひらめいてしまった。
ああ、また、わが思考は遠い世界をさまよい始めようとしている。
人類はどこに行こうとしているのか。
たぶん、人類は方向性も目的も終着点も持ってはいない?ビジョンなんて、ないのではないでしょうか。今までの歴史もしょせんは「結果論」なんですよね。
毎日、多くの選択をしながら、たどり着いてしまったのが、「今」。こうなっちゃっただけ。だから今後どうなるかは、予測がつくはずもない。なってみたら、そうだったとしか言えない。見てみたいのは、1000年後。
位牌型メモリーカード
個人の記憶や思考を1枚のカードに保存可能になる(に違いない)
なんか、こんな話、映画とか手塚治虫の漫画で見たような気もする。カード保存ではなかったかもしれないけど。わたしが考えつくことなんて、もうとっくに誰かが考えていると思います。
もともと本だって音楽だって、個人の頭の中を飛び出して形になった時、それは頭の中の一部保存です。このブログだってそうです。わたしの一部保存。
だから全体保存も近いうちには可能になるんじゃないかと想像するわけです。
肉体が滅びても、そのカードさえあれば、一時的にその人を復元できる。呼び戻せる。カードの形は日本なら位牌の形でもいいね。 そのカードを仏壇の中に祀る。本人は寝ている感覚を保持する。
つまり、厳密には死なない。
メモリアル復元センター
その思考を復元させるのに、人形の館が建設される(に違いない)
蝋人形館みたいな施設を作って、カードを差し込んで復元対面する。モデル形とか、イケメン形とか、いくつかの理想的な形の人形が作られる。アンドロイドだとより現実感があっていいかもしれませんね。
墓参り代わりに、人はカードを持参して対面する。
「かあちゃ~ん。美人になったね。」と、モンロー型アンドロイドに向かって息子は語りかける。
「あなた、浮気はダメよ。形はなくても、妻はあ・た・し」北川景子型アンドロイドは夫にこたえる。
実は兵馬俑校だって、そんなことを考えなかったとは断言できない。あの人形の数は尋常じゃない。本当は頭の中を保存したかったんじゃないかしら。どこかにヒミツの記憶媒体の差込口があるのかもしれない。
新型宗教
今までの宗教とは違う宗教が誕生する(に違いない)
でも、こんことができるようになると、困るよな~。
頭の中をほかの人に見られてしまうわけだから。ほら、そこのあなた。知られて困る思考があるでしょ。わたしにも、もちろんあります。あんなこと、こんなこと(笑)
「ま、まさか、そんなことを考えていたなんて、信じらんない!」ということにもなりかねない。ということで、新しい宗教が生まれることになるんですね。
もちろん、死に対する感覚も違ってくる。そんなに恐れることでもなくなる。だから死に対する教えはなくなり、「美しい思考だけを残そう」という宗教が生まれるわけです。
都合の悪い思考をどうにかするテクニックを伝授する。美しい思考だけを残す 。
みんながそれなりに、いいことだけを考えるようになるので、そうすれば人類の未来も、そう悪いものではないかもしれない。
実現する思考
「考えうることが現実になる」というか、たぶん、そうなってきました。都市は誰かの思考が具現化したもの。実は誰かの頭の中に住んでいるんですよね、わたしたちは。
わたしたちの頭の中に浮かぶことしか実現しないのは、個人の生活でも同じことだと思います。悪いことを未来予測すると、そうなる。その方向に自分を運んでいく。それは経験があります。良いことも、また然りです。
個人の思考の集合体が、今の世界を作っている。
そういう特質を人類は持っているので、たぶん、わたしが考えたようなことも、いつか実現されるかもしれないと思うのです。
すごく現実的にイメージができるようになってるのは、最近のテクノロジーの発展がすさまじいからということもありますが、実は「サピエンス全史」のせいかもしれない。
「サピエンス全史」を読んで、わたしが一番納得しているのは「宗教」と「神」に対する考え方です。
グローバル化するということは、世界を大局的に見られるということなんですね。人は自分の感覚の届く範囲しか把握できませんから、当然のことながら、昔の人の世界は狭かった。
地球が平らだと考えていた時代の人たちが考えたことと、世界のどこにいても話ができる時代に生きるわたしたちが考えることに差異が生じるのは当たり前。
かつての自分が抱いていた「神」に対する感覚に違和感を持ち始め、ずっと考えてました。ここ10年考えていたことに対する答えが、やっと見えた気がします。ちらりと見えただけですが。
しかし今、わたしたちが見えているのはあくまでも地球規模。もっと大きな世界が判明するかもしれない。そうなると、また別の視点が生まれることは必然です。
だから今、全体像が見えたなんてうぬぼれているのは、大間違い。まだまだ大海を目の前にして、砂浜で遊んでいるだけかもしれませんね。もしかすると、本当に全能の神が存在するのかもしれません。
遣唐使にとってスカイプが予測不可能だったように、わたしたちの想像を越える産物は必ず出現するはずです。遣唐使もスカイプさえあれば、命のかけて荒海を渡ることはなかったのです。
ま、知らないことだらけ・・・なんですよね。わたしの楽しみは、こうして想像の翼をパタパタさせて遊ぶことです。ああ、楽しかった(*^。^*)
ねえねえ、りっつん!撮影に出かけましょうぞ。いい天気だよ。
ということで、散歩で撮った写真が今日の表紙となりました。
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じゃじゃ~ん。僕が仕事しときました。エライ?