わたしには、大切にしている本が何冊かあります。
『日本人とは何か』
日本人とは何か 中西進 講談社 1997年10月刊行
中西さんは万葉集を学んだ者にはなじみ深い先生です。
比較文学、万葉集を専門としておられる先生です。2013年には文化勲章を受けられています。
中西さんは、現在88歳。この本は中西さんが68歳の時に書かれた本です。
さて、『日本人とは何か』なんて、とてもいかめしい感じのタイトルですが、中身はいたってわかりやすいエッセイです。
「生まれる」「親と子」「家族」「愛と結婚」「生活を楽しむ」「死ぬこと」「信じる」「自然に生きる」「この国」 これらの九つの章を通して、日本人とは何かを語られています。
この本では、軽~く古典文学に触れながら、現代を生きるわたしたちへのメッセージを伝えてくれています。
『源氏物語』ではこう書かれているよ。だから、こうしてみたらとか。そんな感じです。
おススメの1冊です。
医療が神様?
健康ブームです。
テレビをつけて「〇〇が効く!」という類の番組やCMを見ない日はほとんどありません。
健康にいいということを全部やってたら、時間もお金も足りないです。
なんでこんなに日本人は健康に気を配るようになったのでしょうか。
健康ブームは病気を避けるためです。病気の不安からのがれたい。その心の底にあるのは死への不安なのでしょうか。
中西さんはこの本の中で「今や医療が神様である。病院の待合室には信者が集まっている。寺や教会に人が集まらなくなったのは、医療という神様が出現したからだ」と語っておられます。
わたしも医療の世話になることはあるし、現代医療で命を救われた人も多いと思います。
しかし、信仰しているレベルの人も少なくないんじゃないかと、中西さんの意見に妙に納得してしまうのです。
我が母はたぶん信者
85歳になる実の母。病院がとても好きです。と、いうか、今や、病院と薬が生活のすべて。いろいろな病院をはしごしています。趣味?生きがい?
母は妹一家と同居していますが、タクシーを呼んで、一人であちこち通院しているようです。元気です。頭もクリアです。
そしてわたしに電話をかけてきては「今回も値は安定していた」と、その話題で一人で盛り上がっています。血液検査などの数値のことですね。
わたしはただ聞いているだけです。
先生に褒められたとか、励まされたとか。先生によくしてもらってるとか。その「値」を守るため、日常生活には相当に気を配っている様子。
そして電話の〆には、毎度このようなセリフが語られます。
「あなたも、少しでも体に異変を感じたら、素人判断しないで、すぐに病院へ」
それもこれも、「信仰」ということなれば、納得いきます。母は医療を「信仰」しているのです。あなたも「信仰」しなさいということですね。信仰のお誘い。
いろいろと思い返せば、実家は若者まで含め、みんな信者。だからわたしは行くたびに不思議な違和感を感じていたのですね。納得。
震災時。母の一番の心配は薬
3.11震災の時、両親はたまたまわたしの家におりました。次男の結婚式のため、数日前から来ていたのです。
両親にとっては、運がよかったとしか言いようがありません。仙台市内の実家は大規模半壊で、住める状態ではなくなりましたので。
わたしのところに来ていたことで、両親は不自由な暮らしをせずにすみました。仙台の家で暮らせるようになるまで、結果的には2ヶ月以上滞在することになりました。
あの時、母が一番心配したのは「薬」が手に入らなくなることでした。余震のたびに、バックを抱えて避難準備をしていました。そのバックの中には「薬」がどっさり。
当初1週間の滞在予定で我が家に来たはずなのに、薬は全部持ってきたようでした。家にあった薬、全部。たぶん、それまでも我が家に来るときにはそうしていたのでしょう。震災でバレちゃった(笑)
母は「何があるからわからないから、持ってきたの。さすが、わたし」と自慢していましたけど。
しかし薬はどんどん減っていきます。不安は募る。
飲まないとすぐに「死」に直結するような薬ではありませんよ。血圧の薬とか、糖尿の薬とか。なんだかんだで10種類くらいはあったと思います。
実はどの病気も大したことないんです。病気なのか、加齢なのか、線引きが難しいラインだと思います。母は病気で入院したこともありませんから。
結局、我が家の近くの診療所に行って、薬をもらうことになりました。母は薬をもらって「これで安心」と本当に嬉しそうでした。今思えば、診察券はおふだみたいなものかもしれません。
わたしは猫教
中西さんは「健康ブームを否定するわけではない。人は当然の義務として自分の健康に気をつかい、寿命をまっとうしなければならない。しかし・・・」と結んでいきます。すべては程度問題ですよね。
医療費のことなどを考えると、本当に微妙な気持ちになります。
いいのか?こんなんで。
だけど我が母であっても、信仰というものは止められないのが現実。
どうすりゃいいのか、わたしには解決策は見当たりません。
母は父のように在宅では看取られたくないようです。最後は病院に入れてほしいと言っています。わたしたちへの迷惑を考えてるのかといえば、どうもそうではないようでして・・・。
家族よりたぶんお医者さんのほうが好きなんだと思います(笑)
信じられるのだと思います。それならそれでいいんじゃないかと思っています。
わたしは、わが愛猫を師と仰いでおります。
猫教ですね。猫は様々なことを日々わたしに教えてくれます。言葉ではなく、その生き様で、わたしに人生を教えてくれております。
猫は何か真実を知っているような気がしています。ニャ~メン。
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りっつんさま
「医療を信仰」という言葉に、ものすごくスッキリしました。
父も母も義父も義母も、きっと信者です。
薬やサプリをお札のように信じていると考えると腑に落ちます。
私は信者ではないので、健康診断すら行きたくなくて困ってます。
病院に関わると病気になりそうな気がして・・・
でも進行している人にとっては大切なことなので批判や文句を言わず、
おのおのの信じるところを生きていくのがいいんですよね。
歯医者は別で欠かさずに行くんですけどね。食いしん坊だからかな?
私一人で医療へのモヤモヤした気持ちを抱えていると思っていたので、
とてもうれしかったです。
ありがとうございました。
ゆちまこさん
こんばんは♪
わたしの両親は間違いなく信者です。
薬がなにより大事。
検査も大好き。
でも、足しげく病院に通っていた父も、
胃がんが発見されたときには、なんと末期。
あれだけ通っていたのになあと、思いました。
わたしも健康診断・・・行きませんm(_ _)m
しかし歯医者だけは行きます。
歯医者はわたしの中では美容院と同じ感じです(笑)
病院には、痛くなったときなど、緊急事態のときだけです。
医者とどのように関わるか。
年を重ねてくると、これはかなり重大な問題になりそうです。