第54回「文藝賞」受賞作品です。
久々に面白いなあと思える小説に出会いました。
作者は63歳の新人
作者の若竹さんは1954年 岩手県遠野市生まれ。
55歳から小説を書き始め、この作品で史上最年長の受賞者となりました。快挙です!おめでとう!
だけど岩手弁で始まるので、とっつきにくいと思う方がいるかもしれないなあ。わたしには、なじみある言葉なので、難なく読み進められたけど、出だしでつまずく人がいるんじゃないかな。
と、すると、ちょっともったいない。
方言は文字に起こすと本当に読みにくい。ほとんど外国語です。読み進めると、本当に読みやすい躍動感のある文体です。もちろん普通の日本語です。
真ん中あたりは、一気に読ませる勢いがありました。
だから、どうぞ最初で諦めないでください。最初だけですから。
主人公の桃子さんはひとり暮らしの74歳。
子どもたちは離れ、夫に逝かれ、これからどうしようと思っている人。
桃子さんは、ある時気がつく。あらまあ~頭の中から、いろんな声がしてくるんでねえのぉぉぉぉ。
『インサイドヘッド 婆編』の始まりです。
ボス猿との別れ
わたしは36歳半で夫を見送りました。
夫が死んだ時、号泣した記憶はなし。
それから今日までも、悲しくて泣いた記憶もなし。
告白すると、喪主挨拶では泣くフリをしました。泣かないと許してもらえない雰囲気があったから。妙に冷めていて、もうひとりの自分が、遠くから見ていました。
別に夫に死んでほしいと思ってたわけじゃないのです。どこかで感情をしまい込んでしまったのかなあとも思うけど、それもちょっと違う。どうにもうまく言えません。
本当に悲しいことなんて、実はこの世には、そんなにないんだ。そんな気がしてる。
みんな、やたらに泣きすぎ。わたしって、冷たい女なのでしょうか。
夫の死で分かったことは、
自分の力ではどうすることもできないことがあるということです。
この感覚だけは、身に染みて分かっている人と、頭だけで分かっているだけの2種類の人がいるようです。
これはしかたないこと。
そういう経験がないとムリだから。経験しても分からない人もいるみたいだけど。
この世でどうにかできるのは、自分のことだけ。
それだって、限られた範囲の中だけのこと。
夫がいなくなるまで、子どもは2人もいたけれど、まだまだお嬢ちゃんでした。
わたしが結婚して失ったものの一つは「決断力」
学生時代からリーダーを務めることも多く、仲間からは頼りがいがあると思われていました。
だけど、それ以上のリーダー力を持つ夫と結婚した時、こう言われました。
「船頭は、2人いらない」
その言葉どおり、夫は死ぬ瞬間まで、何でも決めてくれました。
決断力を完全に失っていたことにに気づいたのは、夫の棺おけを決める時。
「(松竹梅)どれにされますか?」
思わず、まわりを見まわして、夫を探している。
だけど夫は言葉を発することもなく、そこに寝ているだけ。
だって、ついさっき死んだんだもの。┐(´~`)┌
あの時、ものすごく途方に暮れたことを思い出します。
それから1週間後。人生で初めて、本気で決心しました。
ひとりでやってみせる!
親は「仙台に戻れ」と言ってくれたし、本心では戻りたかった。でも、頭の中から声が聞こえてきたのです。
やめろ!仙台には戻るな!
あれは誰の声だったのでしょうか。夫の声だったのかもしれないし、過去の自分の声だったのかもしれません。
あの時仙台に戻ってたら、また母親のしばりの中で生きてしまったと考えると、ちょっとゾッとします。
あの時に「ここで生きてみせる!」という選択。
あれが人生で一番の岐路。
あの選択が違っていたら、たぶん「今」はないでしょう。
そして、ひとりになった
10年ほど前。うちのアホぅ息子2人は、出て行きました。
あっけなく、わたしの「家族」の時間は終了。
ああ、家族って終わるもんなんだって、ポカーン。何日か部屋の真ん中でボーっとしてました。
「あらら。これからどうしよ」
そう思ったのは、桃子さんと同じ。
それから「わたしの旅」が始まりました。
夫の遺品を始末し、息子たちのものも処分。
20年かけて、家の中から家族のものを捨てました。ついでに、いろんなしがらみも捨てました。
最後に残った心のトゲは、子どもではなくて、親。
親とも、もうきっちりと離れていると思ってたけれど、違っていたようです。
いつもどこかで母親の声がしてしまう 。
時々わたしを生きづらく縛る窮屈な考えは、実は母親からバトンされたものだと気づいた時には、怒りがこみあげてきて。
そして決意しました。
要らぬものは、捨てよう!
母親は天使なんかじゃない。悪魔でもある。
母親って恐ろしい一面を有しているのです。
知らず知らずのうちに、子を洗脳してしまうのです。
母親って生き物は、なぜか自分が正しいと思い込んでいます。根拠なしに。
そして自分のために、子を支配していることにも気づいてもいない。
わたしは自分の子たちの力を、信じて疑わないことにします。
子どもたちは、勝手に何とかやっていく。
「もう、親だの、子だの、いらない」
わたしはわたしを生きていく。
「一人でかわいそうね」と言ってくれる人に、時々出会います。
そもそも人に対して「かわいそうってどういうこと?」と思います。
でも、最近気づきました。
そう言う人は、実は自分が孤独になることをものすごく恐れている。心の底で。
桃子さんが高揚する気持ちも、よくわかりました。
最後に桃子さんの言葉を一節。
人はどんな人生であれ、孤独である。
この言葉に心底うなづける人は、豊かな人生を送ってきた人だと、わたしは思うようになりました。
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横浜発麻布
心を込めてかかわった家族をひとつひとつ捨てて、私は私だけになる、、
私もそうしている途中です。捨てることは新たな自分を見つけることですね。
気づきと勇気と希望です。ありがとう♪です。
麻布さん。そうなんですよ。
新たな自分を見つけることなんですよ。
新たな自分というか、忘れていた自分というか。
そこに立ち戻れたら、違う景色が見える気がしますね。
荷物を捨てて、手が空けば、また何か持つことができるような気がします。
初めまして長谷部と申します。
いつも知的なりっつんさんのブログに勇気づけられている者です。夫を胃がんで亡くし4年が経ちました。66歳の一人暮らしです。今日のあなたのブログを拝見し、コメントを書かずにはいられなくなりました。本当にりっつんさんのおっしゃる通り、作家さんのおっしゃる通りです。私にも子供が2人おり、適度な距離をもって接していこうと心がけています。私はそれを幸せと感じる時と一抹の寂しさを感じる時が・・・・・。いつも応援しています。お互い体には気をつけましょうね。
長谷部さん。初めまして!
コメント、ありがとうございます。
子どもと距離を持って付き合う時、寂しさを感じるのはわたしも同じです。
いまだに、そうです。
でも手にしたものは、必ず手放さなければならないと思っています。
それが早いか遅いかの違いだけだと思っています。
わたしも、長谷部さんを応援していますヽ(^。^)ノ
芥川賞を受賞されましたね。
りっつんのブログを読んで、読み出したところです。
この本を読みたいと思う私にしてくれた、りっつんに感謝いたします。
今日は、痴呆症の母の診察の日でした。
私を生きる日々……それを選ぶのは自分。
幸せは~歩いちゃこない!だーから歩いていくんだね♪♪♪
てんてこさん。おはようございます!
芥川賞を取りましたねえ。
同年代としては、本当に我がことのようにうれしい受賞ですね。
若竹さんは「経験を力にできる人」そして「言葉で表現できる人」。
素晴らしいです。
年齢は関係ないですね!!ヽ(^。^)ノ
りっつんさん、おはようございます。映画見てきました。田中裕子さんが、いい味出していました。
原作本も、最初に方言で躓きそうになりましたが、映画も、なかなか気持ちが入って行けなくて、中座
しようか迷いました。示唆に富む映画だと思いますが、一人歴の長い私にはあまり・・・・・。
自分で決めて、自分の足で歩けるのが、一番の幸せです。
しばふねさん
こんばんは。
原作本、あのややっこしい方言での入りは、
ちょっとつらかったです(笑)
わたしも1人歴が長すぎるので、どうかなあ。
もう、だれかの決めてくれた道は、
歩けないかもしれないです。
自分の道は自分で決める。ですね。