雨の土曜日。養老先生の『遺言』を読み直しました。
意識って何?
「意識」って何って、最近、よく思います。
どこまでがわたし?
わたしって何者?
意識という「照明」はついたり、消えたりする。眠ると消えてしまい、起きると点灯する。死んだら意識はもはや戻らない。眠るときに、われわれは明日目が覚めると思って眠る。でも寝ている間に心筋梗塞やくも膜下出血で死んでしまうかもしれない。それが分かるのは他人だけである。「俺は心筋梗塞で死んだなあ」。本人の意識はそれに気づかないはずである。
出典:「遺言」養老孟司
意識は眠ると消えてしまい、起きると点滅するもの。意識が戻ることを目が覚めるというわけです。
意識は自分で戻ろうと思って、戻るものではない。勝手に意識はなくなったり、意識は戻ったりする。つまり意識は主体性がなく、身体任せ。ということは意識は身体に支配されてるってこと?
なのに意識は意識があると自分が意識を支配している、一番エライと思ってるらしい。なかなか面白いですね。
自分ってなに?
金縛りにあったこと、ある?
さて、皆さんは金縛りにあったことがありますか?
ズバリ、わたしはあります。(`・∀・´)エッヘン!!
縛られました。
あれは高校生のころでした。続けて三度ほど、縛られました。
目が覚めているのに身体が何者かに押さえつけられて動かない。恐怖を味わいました。しかし、思えばあの時以来、縛られてはいないかな。
縛った、縛られないと、なんのこっちゃな話ですが、わたしはこの体験ですっかり霊感が身についたと思っていました。
そして大人になって、霊感を失ったのだと思っておりました。しかし、どうも違うみたい。
養老先生の解説によれば、金縛りというのはこんなことらしいです。
金縛りという現象がある。(中略) 意識は戻っているが、運動系のはたらきが完全には戻っていない。意識のスイッチは入っているが、運動系のスイッチがまだ入っていない。
(出典:同上)
なあ~んだ。そういうことだったのか!なんとなく納得しました。
スイッチの入るタイミングがズレただけ。高校生のわたしは、身体的に何かがまだ未熟だったからでしょうか。
そして、似たような現象として臨死体験があるというのです。
さすがにわたしは臨死体験を経験したことがありませんが、金縛りの延長線上にあると言われれば、体験してみたい気もしますね。怖くないという保証があるならですけど。
タイミングのズレ。
意識と運動系が連動しないことがすべての原因ということですのようです。
でもなあ・・・・。そうと断言はできないんじゃないの?ということにしとこう。
やっぱり「あの世」とか全面否定しないほうが、物事を考えるときには楽しかったりするから。
死んで、全部おしまい・・・っていうのも、無機質でつまんないですもん。
わたしはロマンチストなんです。命は続くよ、どこまでも。死んだ人にはいつか再会できる。そのほうが夢がある!
デジタル化するのは、なぜ?
いま、わたしたちの社会はひたすらデジタル化に向かっています。なぜ人はデジタルにあこがれるのか?
「不死へのあこがれ」であると養老先生は語っています。
わたしはコンピューターに不調が訪れると、データをコピーして新しいコンピューターに乗り換えていきます。
その作業は、実は人間でいえば
身体が滅んでも頭の中が死なないということを目指しているらしい。
知らず知らずのうちに。((((;゚Д゚)))))))
コンピューターはすでに不死を実現しているということ。
確かにわたし1人が残しているデータも結構な量ではあります。
それが他の人の役に立つのかといえば、かなり疑問です。
ほんの一瞬見たものさえも、とどめておきたいと願う人の心。記憶を残したい願望は不死につながっていると言われれば、そんな気もします。
人はいったいどうなりたいのでしょうか。
「方丈記」の一節をよくつぶやかれているという養老先生。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとに水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
人も家も、久しくとどまることはなし。
なにひとつもあの世へ持ち込むことはできない。例外はなし。誰も同じ。
この世の仕組みは、なんて平等で潔いのでしょう。
こんな雨の降る日には、『方丈記』を読み返してみようかな。
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りっつんさん!こんにちは。最近意識について気になっている私は
意識=魂のような気がします。亡くなってもその先があってほしいなと思っています。
先にあちらに行った人は誰も教えてくれませんね。。。
意識=脳の働きであれば、死んだらおしまいなのでしょうね。確かに眠っているときには意識はありません。
答えの出ないことをこうやって考えるのが好きです。
しおさん
こんばんは
わたしも答えの出ないことを、
あれこれ考えるのが好き。
想像の翼をばたばたとしながら。
死語の世界、気になりますよね。
気にしてもしょうがないけど。
人智を超えた世界はありそうですよね?
私もそう感じる一人です。
が、公に話すにはとてもデリケートな問題だなと思っています。
りっつんさんも配慮なさって控えめに表現してらっしゃるのでは???
16歳くらいの頃、元同級生が新興宗教的なものに入信し熱心に勧誘活動をしていると知って。
以前の勝ち気でスポーツ大好き朗らかな様子からは想像もつかないことだったので驚いたのです。
一体なぜ?って。
なんでも大好きなお父さんの急死でドン底にいるときに死後の世界を約束するその宗教と出会い
「お父さんとまた会える」約束に賭けた、ようでした。
“エビデンス”を出し検証することは叶わないので、
共通認識で語り合いにくい事象ですね。
また最近ご夫君を送った友人の話。
海外在住のご友人宅にご夫君が現れたらしいんです。
ご友人は“見える”人なのですって。
声を掛けたらすぅっと消えたのだとか。
それからご自分の会社にも現れたそうです。
社員の一人が“見える”人で
特徴的な足音が聞こえてきたので振り返ると
やはり故人がこちらへ歩いて来ていた。
声をかけると やはりすぅっと消えていったのですって。
友人自身は“見えない”のです。
きっと、自由な身になって
あちこち懐かしい場所を楽しく訪ねて回っていらしたのではないか、と…。
生まれたときから天使が見えていたという女性の著書があって(とても美しい本です)
その中に、
死後の魂は生者と直接関わることは、基本的には許されていない
というようなことが書いてあったのを、
友人から話を伺ったときに思い出しました。
長文失礼しました。つい(。-_-。)
デイジーさん
こんばんは
わたしには何も見えません。
だから信じ切ることはできず・・。
もし、何かがちらりとでも見えたら、
きっと信じきれるのでしょうけれど。
でも、うやむやなままでも、
見えない世界を信じていたいのです。
そのほうが、自分を律せられる気もするし、
面白いと思うし。
興味深い話、ありがとうございました!