家族ではなくて、家族のようなもの。

片づけをしていたら、出てきた本。一度は読んだはずの本。あの時は何も感じなかったのに、改めて読んでみたらとても面白かった。

実はこういうことは、よくあります。

人というものは、日々変化しているものです。去年のわたしは、今年のわたしとは、ちょっとだけ違う。

自分では何が変わったのか、自覚はありません。毎日、いろんな事に遭遇して、その都度何か変化を起こしているのかもしれないですね。

 

家族のようなもの

柳美里さんの『人生にはやらなくていいことがある』というエッセイ。

「家族のようなもの」というところに、感じるものがありました。

「家族のようなもの」とは素敵な響きです。家族のようで、家族でもない、だけど家族。ちょっと曖昧で限定し合わない関係性。そんな感じがします。

わたしの最後の始末をしてくれる人たちが2人います。どんなに頑張っても、最後の始末だけは自分ではできないので、誰かの手を借りなければなりません。

世に出てくる時に彼らに手(体)を貸したので、その代わりに、消える時には手を貸していただければと、そう思ってます。血縁の役目とはそういうことですね。役所的に便利な人たち。

わたしがリーダーだった家族は賞味期限が切れました。解散〜。

息子たちとのつながりは、つかず離れず、お互いが邪魔にならない距離間です。困った時には相談をし合うことはありますが、あくまでも相談であって、本人以外に決定権があるわけでもないので、その意見を採用しなかったからと「何だよ、あいつ」ということもありません。

息子たちはそれぞれが「家族」とか「家族のようなもの」を作ればいい。そして、わたしも新たに家族のようなもの」を作ることにします。

さらっとしながらも、家族のような人たちと温かい関係を作れたらいいなと思います。

 

血のつながりはそんなに大事か?

昔は血のつながりはとても大事と思ってました。でも今はちょっと違う気もしたりする。大事ではあるけれど、関わりが深くなるほど、生きづらくなる気もします。

血縁だからと何でも許されると勘違いしている人もいます。血のつながりは壊れないはずと思っていたけど、わりと簡単に壊れたりもします。

血よりも地。血よりも知。

たまたまご近所になった人たちとの縁。これってすごい偶然です。こんな広い宇宙の中で、地球の中で、日本の中で、同じ場所で暮らしている。縁を感じずにはいられません。こんな縁こそ大事にしたいと思っています。

なんだかんだ現実的に助け合えるのは、近くの人たち。昔の人たちも「遠くの親戚より近くの他人」と言っているとおりです。

自分の頭で考えて、知性で結びついた縁。これも貴重だと思います。感性の合う人と出会うこと。これこそが人生の醍醐味。どれだけ、感性の合う人と出会えたか。直接出会えなくも、本を通しての出会いも1つの出会い。

生まれ出る時には血縁の方々にお世話になりましたが、自分の人生を歩くのは自分。

考えてみれば、夫とだって最初は血の縁はなかったのです。血の縁も作られていくもので、不変ではないのです。長い時間の中では、ある瞬間だけのつながりなのかもしれません。

このエッセイは柳さんが東日本大震災後に、鎌倉から福島県の南相馬に移住して書かれたものです。移住にまつわる話、大人になっていく息子さんのことなど、なかなか興味深かったです。

 

 


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ABOUTこの記事をかいた人

りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。