久しぶりに久坂部さんのこんなタイトルのエッセイを読みました。
なかなか、すごいタイトルですよね。
この本を書いたのは、小説家の久坂部洋さん。本業はお医者さんで、医学的な知識の散りばめられた小説を書かれている方です。いやいや、今は小説のほうが本業かも。
1955年生まれということですから、わたしより2つ年上の方です。現在64歳ですね。
この本を書かれたのは、2006年のこと。久坂部さんは50歳のときです。
わたしが50歳になったばかりの頃は、1人暮らしが始まったばかりで、無我夢中。新しい暮らしに馴染むのに精一杯で、しかも気分はまだまだ40代の気分。だから、自分の死に方ついて、久坂部さんのようには考えていませんでした。
久坂部さんは、高齢の人たちに接する機会が多かったことから、日本人の死に方に対して疑問を持ったようです。
わたしは50代からの10年間を経て、「自分の死」というものをイメージしやすくなっていることに気づきました。
1人になってからのこの10年で、わたしもぼちぼちと自分の仕舞い方を考えてきたようです。
もちろん、死の瞬間は自分で決められることではありません。生と死だけは、わたしが決める領域ではありません。しかし、死の瞬間の手前までは、わたしの選択の余地はあるのです。
「どう死ぬのか」それは、ひっくり返せば「どう生きたいのか」ということにつながっていくと思います。
「死ぬこと」を意識すると「生きること」がくっきりと迫ってくるように思います。
長生きするためだけに生き続けさせられるのは、勘弁してほしい。
現時点では、わたしはそう思っています。
そして、わたしにとっての62歳は、もう長生きの部類だと思っています。意外と未練はありません・・・いやいや、やっぱり少しだけはあるわ(笑)
とにかく、わたし、もう十分長生きしてます。( ̄^ ̄)ゞ
こういうことは、今、思いついたというわけではなく、自分の目で見たこと、感じたこと、そして考えたことを元にして、思っていることです。
だから、医療との関わり方については、自分なりのルールがあります。
なにを信用するのか。
それはその人が生きて見てきたものに左右されるものです。
わたしが60年生きてきて、うっすらと実感していること。その確証を得たいがために、わたしは本を読むことも多いのですが、久坂部さんの考え方には頷くことが多いです。
何歳くらいから、長生きだと思いますか?
何歳くらいまで、生きたいですか?
これからの時間を、どう過ごしたいと思いますか?
たまには、そんなことを考えてみるのも悪くはないと思います。
いつかは必ずやってくる「自分の死」。
「自分の死」を自分が認識することはないわけですが。
夫が死ぬ2日前に、わたしは聞きました。
「怖い?」
「なんだか、ちっとも怖くない」と夫は穏やかな顔で答えてくれました。
その言葉だけは、信じています。きっと、そういうものだろうと。
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はなです!
少し興味の持てる本のご紹介ありがとうございます。
読んでみます。
私は、主人があちらに逝ってから自分の生き方を考えなければならなくなりました。いつも一緒にいてセットものでしたから(笑)一人での行動は、考えたこともなかったのです。60を前にして私に何が出来る?と、もがきながらまだ見つけることができないでいます。
孫ができるたびに、この子が二十歳になるまで元気で生きていきたいと思います。でも、今、逝ってもいいとも思っています。このことが片付いたらもういいだろうとかね(笑)
主人は、子供が独立したときに僕の父親としての仕事は終わったと言い、父母の介護が終わった時に、僕の役目は終わったと言いました。それから三カ月後、彼は旅立ちました。
主人をあちらに連れて行ったのは、山の神(笑)亡くなる二日ほど前に、山の神がやってきたと言いました。私は、主人が迎えに来ると言っていましたから、あちらに逝くことは全然怖くないですし、また会えることを楽しみにしています。
開き直って生きている今は、十分長生きしたからだと思います(笑)
はなさん
おはようございます。
たぶん、わたしたちはここにいるだけでいいのですよ。
探さなくても、任務は落ちてきます。気づくかどうかだけです。
「あっ。わたしがやろう」と思ったら、やればいいだけだと、わたしは思っています。
あとは、のんびり暮らしていようと思っています。存在していようと。
まだ生きてるってことは、たぶん、なんか任務が残っているからだろうと。
逝くときについては、神様の任務ですので、お任せあるのみ。
山の神の話、すごく興味あります!
こんにちは!
ご主人の怖くないの言葉
涙が出ました。
きっと安心して旅立ちが
出来ると思われたと確信しています。!
わこさん
おはようございます!
夫も今ごろになって、
人前に出てきて、照れているようにも思います(笑)
ありがとうございます。