最近読んだ2冊の本。感性を大変刺激されました。わたしの歴史観が大きく変わりました。出会えてよかった本です。
2冊の本のこと
時代の先端を走る2人の作者。
時々世の中を騒がせるホリエモンは1972年生まれ。
イスラエル人の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは1976年生まれである。
すべての教育は「洗脳」である ー21世紀の脱・学校論
堀江貴文 光文社新書 2017年3月20日 発行
サピエンス全史 上下 -文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房 2016年 9月30日 発行
サピエンス全史
『サピエンス全史』を読むのは大変な集中力を要したけれど、本当に読んでよかったと思える。この本に出合えたこと、読める体力と気力が残っていたことに素直に感謝している。
読後、わたしはわたしがどんな時代に生きているのかということが、本当に気になっている。
100年後、今の時代はなんと名付けられるのだろうか。この時代は時代の大転換期だったと言われるのだろうか。
後世において自分たちの時代が「産業革命」と定義されていることを、当時の人々はどう感じるだろうか。社会構造の変革に気づいていた人がどれだけいたのだろうか。
「大化の改新」の意義を正確に認識し、後世に与えた影響を予測できた人はどれほどいたのだろうか。
生きている間は分からないのだ。
人類はフィクションを共有することができたから、地球上でここまでの繁栄することができた。
宗教も国家も幻想に過ぎないと、『サピエンス全史』の作者、ユヴァル・ノア・ハラリは論じている。
俯瞰した目で見れば、まさにそうなのだ。目からうろこ。ハラリの説には驚くほどの説得力がある。
人間はただ生きてるだけだ。すべては幻想なのだ。
すべての教育は洗脳である
ホリエモンの新刊『すべての教育は洗脳である』。
初めてホリエモンの本を手にした。
今まで、ホリエモンにはテレビで叫んでいるというイメージしかなかった。積極的に本を読んでみたいと思ったことはなかった。
そんなわたしが、本屋でこのタイトルに引っかかった。このタイトルに引っかかるということは、ホリエモンに言わせれば、G人材ということらしい。
今後、人間は2種類に分かれていくとホリエモンは言う。グローバルを行動範囲とするG人材。もう1種類はローカルに根付くL人材。
読み始めると、スルスルっと理解できる。40ぺージあたりで『サピエンス全史』の話が出てきたので、ああやっぱりそうかと思った。
ホリエモンが同じことを思っていたのか、刺激されたのかはわからないが(どっちでもいい)、『サピエンス全史』を読んだ後なので、「教育は洗脳」と言われると、ストンと理解できる。
教育は何のためになされるのか。それを考えれば、すぐにわかる。
学校は労働者生産工場なのである。共通認識を持たせるための場なのだ。
ホリエモンの対策
『サピエンス全史』の舞台は地球全体である。人類を俯瞰したものだ。
それに対して日本に限定して対策まで掲げてくれたのが『すべての教育は洗脳である』という本だろう。
今後の世界を予測することは無理だ。誰にもわからない。
いろんな人がそれぞれの思惑で生きていくうちに何かが積み上げられて、歴史は作られていく。
全体像を見渡せないまま、一人一人が小さな影響を残しながら、全体としての方向性は不明なまま、人間の歴史というものは続いていくのだと、思う。
現在、わずか10年前20年前には予測できなかったくらいグローバル化が進んでいる。ものすごいスピードだ。
インターネットによって、国境があいまいになったということに異論のある人は、少なくなっただろう。
しかしインターネットがもたらした本当の衝撃は、国家がなくなることだとホリエモンは断言している。
そんな時代に、統制しやすい労働者を大量生産する工場として作られた学校は、向いてはいない。
だから生き方を変えろとホリエモンは提案している。
国民国家というフィクションはもはや持てない時代。だから自分を自分で育てよと提案しているのだ。
時代をけん引していく若い頭脳
賛否が出てくるのは当然のことだが、こういう意見を自分の中で吟味してみるのは、決して無駄なことではないだろう。
1972年生まれのホリエモンは45歳。『サピエンス全史』のハラリは1976年生まれの41歳。時代をけん引していくのは、こういう若い頭脳なのだろう。
「昔は昔」なのだ。今を生きなければならないのだ。
若い頭脳に触発され、もう少し生きてみたいと思った。どんな時代がやってこようとしているのか、チラッと見てみたいと思ったからだ。
そんな好奇心で、100まで生きてしまったら、息子たちよ、すいません(笑)
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