読後感『日本人は死んだらどこへ行くのか』

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七月、八月はお盆月。亡くなった人たちを思い出す季節。

日本人の心の中にある原風景って何だろう。

本のデータ

日本人は死んだらどこへ行くのか

鎌田東二 PHP新書 860円

 

霊魂はある?

わたしは学生時代に葬送儀礼について学んだことがあります。

必須科目でもないのに、わさわざその講義を取りました。今思えば、当時から、こういう世界に興味があったのだと思います。

それは、18の時に父方の祖母が亡くなった時の体験があるからかもしれません。

「霊魂」があるという確証は、もちろんありません。しかし、父方の祖母が亡くなった時に、わたしは祖母の気配を感じた・・・ような気がするのです。

以来、見えないものに対する敬意のようなものがあるのです。確証はないけれど、否定はできない何か。

こんなに科学が進んだ現代でも、すべてが科学でケリがつくとは思えないのです。すべてを数字で理解しようとしても、どこか?マークがつくのです。

科学で解決できない何か。それが、わたしたちに影響を与えているような気がするのです。

 

何を信じているのか

わたしと宗教

特定の宗教を信仰してはいません。

夫からは「特別に信じているものはない。無宗教で葬ってくれ」と言い残されたので、わが家の墓には宗教色はありません。

ただ、墓石の下に夫の遺骨があるだけ。

わたしはキリスト教の教育を10年受けています。

聖書から学んだことも多く、キリスト教は身近な存在でした。心の成長に大きな影響を受けていることは間違いないと思います。

しかし、慣れ親しんだキリスト教にも何か違和感を感じています。

それはたぶん、わたしの中に眠る日本人としての信仰心なのだと、最近思うようになりました。

年を経て、日本人としての流れを強く感じるようになりました。ですから、見えない世界を日本人はどうとらえてきたのかということに、大変興味があるのです。

 

自然の中に宿る魂

わたしの中にある感覚。自然のあらゆるものに「魂」が宿るという感覚です。そこにもここにも「魂」を感じるのです。大きな存在を感じるのです。

本文より

死への不安や恐怖をいかに乗り越えべきかについて多くの人は関心を持っていますが、しかし、いざ考えようとしても、どうしたらいいかわからない。

答えなき問題を解いていくためには、どのような資源があるかを自分なりに点検しながら、自分自身で組み立て直さなければなりません。

本書の試みもそのような「組み立て直し」の一助として、伝統的な資源を概観しようというものです。

資源とは、生まれてから自分の目で見てきたもの、感じてきたもの、そして経験してきたこと。それを自分で整理整頓するということ。

鎌田さんはご自分の生まれる時の状況さえ、自分の死生観に関係していると語っています。

鎌田さんは難産の末に仮死状態で生まれたそうです。死にかけて生まれたことが宗教学や神話の世界に興味を持った最大の根っこかもしれないと語っておられます。

そういうことがあるのなら、そうかもしれない。わたしも難産の末、仮死で生またそうです。

 

祭囃子に涙

つい最近のこと。自分でも驚く出来事がありました。

町で行われる夏祭り。なかなか本格的なお祭りです。朝、たまたまその山車を倉庫から出してくる場面に遭遇しました。

40人ほどの人たちが、祭囃子とともに、山車引いてきました。若い人が多かったです。

太鼓と笛の祭囃子。それが聞こえてきたら、涙が出てきて止まらなくなってしまったのです。

驚きました。今までこんなことあったかしら?

わたしの中に眠る何かが揺さぶられるような感じがしました。

これがわたしの中にある資源なのかもしれません。

 

受け継がれてきた何か

生きていくということは、何かをつないでいくことだと感じます。

わたしは突然ここに現れたわけじゃない。何かをバトンされて、ここに存在しているのです。そして、バトンを次に伝える責任を負うているのです、たぶん。

一人の人間が伝えられることなんて、本当に小さなこと。

受け取り手は、子かもしれないし、孫かもしれない。全然血のつながらない人かもしれない。

血のつながりじゃない、つながり。

見えない何かでつながる。それでいいじゃない。それがいいじゃない。そう思うのです。

夫とは血のつながりはありませんが、いろんなことを伝えてもらいました。

しょせん、小さな存在。

100年たったら、誰もわたしのことなど知るはずもないのです。だから自分だけとか、自分の家族とか身内と呼ばれる人だけに、拘泥して生きていくのは、つまらなさすぎる。

少し大きな目線で、俯瞰的な目線で眺めてみたいのです。

 

能力を取り戻したい

見えない世界は、間違いなく存在しているように思います。

昔はもっと身近にあったのに、いつの間にかわたしたちの能力が薄れてしまったようです。

ならば、時々、耳を澄ませて、心を開放して、その存在を感じてみようとするのも悪くはないはず。

動物としての能力を少しだけ取り戻してみよう。自分の感覚、感性に従ってみようと思うのです。

おりしも季節は夏。先祖が帰ってくるお盆という行事を、今年は心を込めて過ごしてみたい。

日本人が何を大事にしてきたのか。そのことをもう少し深く感じてみたいと、強く思うようになっています。

この『日本人は死んだらどこに行くのか』では、日本人の死生観を『古事記』から『君の名は。』まで読み解くことで、探っています。

残された時間がどれほどあるかはわかりませんが、その時間をこんなことを考える時間にも使えたらと思っています。自分の死生観と向き合ってみようと思います。

こちらは五木寛之さんとの対談になっています。この本も面白いです。


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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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2 件のコメント

  • はじめまして。
    いつも拝見させていただいております。

    突然の質問ですが、
    もし返答いただけると幸いです。

    大変多くの記事数ですが、
    1記事当たりどれくらいの時間を要するものでしょうか。

    私はブログ初心者でまだまだ他人に公表できるレベルではありません。

    簡単ですが、返答いただけるとありがたいです。

    以上、よろしくお願いいたします。

    • 関 憲さん

      はじめまして。

      1記事あたりの作成時間ですが、
      記事の内容によって、かなり違います。

      今日の映画記事は1時間ちょっとでした。
      だいたいは1時間〜2時間程度で書いています。

      文字数は1500文字程度を目安にしています。

      推敲に時間のかかるものもあります。
      何度も手を入れれば、それだけ時間はかかりますが、
      完成度は上がります。
      ブログをはじめた頃は、
      1日5時間くらい向き合っていたこともありました。
      楽しくて、ですが(笑)

      楽しければ、どれだけ時間がかかっても苦にならないものです。
      どういうブログが自分にとって楽しさを運んできてくれるのか。
      そんなことも考えられるといいかもしれません。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。