おはようございます。
逃げるように過ぎると言われる2月。気がつけばすでに1週間が過ぎてしまいました。
月が改まると、ピアノの次のレッスンが気になり始めます。アレンジの難しさにアタフタです。イメージしている音が出てこない(´・ω・`)
図書館へ
昨日はかなり冷えた1日だったので、外に出たのは図書館に本を受け取りに行くときだけ。
おそらく1000歩も歩かない、なまけた1日になってしまいました。
図書館にリクエストしていたのは、古い本ばかりです。
わたしの町は、何年か前に近隣の町と合併したのですが、その最大の利点は図書館です。
蔵書が一気に増えました。
あの町の本も、あっちの町の本も、おらのもの!(笑)
近所の図書館にない本は、別の図書館から持ってきてもらえるというサービスができました。
ネットで調べて、リクエストすると、翌々日には届くという仕組みになっています。
立原正秋
さて、友人の言葉がきっかけで、立原正秋を読み始めています。
わたしは作家の名前を見たり聞いたりしたら、即、反応します。
親しい人に会うと「面白い本、なんかあった?」と必ず聞いてしまいます。いつも本を探しています。
立原正秋は若い頃に読んだ気もしないではないのですが、あまり記憶にありませんでした。
少し読んでみて、記憶にない理由が分かりました。
こんな話、若いころのわたしに分かるわけがない(笑)
たぶん、途中で投げ出したか、目を通しただけ。でも、今なら、ちゃんと読めるかも。
本を積む週末
わたしは「いい!」と思った作家を見つけると、その人の世界をしっかりとのぞいてみたくなります。
ですから「この作家、いい!」と感じると「やった!」と思います。しばらくの間は、読む本に迷わなくてもすむからです。
短編集はkindleで2冊買いました。しかし立原正秋のkindle本は高い!
kindle予算は月に5000円ですので、到底全部は買えません。先月も予算オーバーしてるし。
ああ、買いたいだけ、買ってみたい(笑)
こういうとき、本当に図書館はありがたいと思います。
『その年の冬』は立原正秋の代表作で最後の作品。
京都、宇治、奈良、大阪、鎌倉。どこも馴染みのある土地ばかりで展開される話。土地を知っていると、イメージが膨らみます。
わたしの頭の中では、いちいち登場人物たちと電車で一緒に移動しては下車しています。あのへんだな。このへんだなって。
娘である立原幹の書いたエッセイ集『風のように 光のように』と、立原正秋のエッセイ『愛をめぐる人生論』も取り寄せてもらいました。
この2冊を読めば、立原正秋という人がもっと身近に感じられるはず。
本という媒体を介して、会ったこともない人の頭の中、心の中と、濃密に触れ合えるのは、本当に贅沢なことです。
わたしは小説そのものよりも、書いた人本人に興味があるのかもしれません。
積んである本を、同時平行的に読んでいくのが、わたしの読み方。1冊の本だけを読んでいるということは、まずありません。
こちらを30ページ。飽きたら、あちらを40ページ。チェンジする本が何冊あるかということで、わたしの幸福度は上がったり下がったり。
今日は幸福度の高い1日になりそうです。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
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夢逢人
https://blog.goo.ne.jp/yumede-ai
今回、貴女様は作家・立原正秋について、記載されていましたので、
私は微笑みながら、読ませて頂きました。
私は2011年8年8日に、
『作家・立原正秋(たちはら・まさあき)氏に、私は圧倒的に熱愛していた頃の思いで・・。』
と題して、投稿した次第です。
参考まで、お読み下されば幸いです。
私は過ぎし4月の下旬に、家内に手伝って貰いながら、本の整理をした。
居間は17畳前後の洋間であり、本棚は3本と小さな本棚が1本あり、
和室の奥の書庫に3本あり、2階の洋室に1本あるが、
収納出来なかった本は、押入れ等にあった。
たまたま若き頃に、映画・文学青年の真似事をした体験もあったので、
小説、随筆、歴史書、現代史など本は5000冊前後あり、
この際、老後に向かうこともあり、徹底的に処分しょう、と決意したのである。
小説・文学評論が圧倒的に多く、、
石川達三、丹羽文雄、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などの各氏の作品も多数あり、
そして福永武彦氏の本は、殆ど所有していたが、
この方たち作家の作品は、今後は読むこともないだろう、と処分した。
こうした中で、ある作家だけは、どうしても捨てきれず、書庫に残すことに決めたのである。
私は東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)の頃,
大学を中退し、映画・文学青年の真似事を始めた・・。
そして翌年の夏、立原正秋・著の『剣ケ崎』(新潮社)の短編集を購入し、
深く魅せられて、過去に発売された単行本の『薪能』(光風社)を古本屋で買い求めたりした。
この頃の私は、文学に関する月刊誌は、
純文学として、『新潮』、『群像』、『文学界』、
中間小説として、『小説新潮』、『オール読物』、『小説現代』を精読していた。
そして、欲しい小説の単行本があったならば、
たとえ一食抜いても、買い求めていた時期であった。
私は作家・立原正秋に関しては、これ以降は作品、随筆が発表されるたびに、
買い求めて、熱愛し、精読していた・・。
この当時の私は、アルバイト・契約社員などをしながら、小説の習作に専念していた。
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりした。
しかし当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、
三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗北宣言を心の中でして、やむなく安定したサラリーマンの身に転向した。
その後は35年ばかり音楽業界のある会社の情報畑・管理畑などのサラリーマン生活をして、
2004(平成16)年の秋に定年退職を迎えた。
この間、昭和55年(1984年)の夏、立原正秋氏は無念ながら亡くなわれたが、
これ以降も追悼などで、立原正秋氏の綴られた未刊の小説、随筆が出版されたり、
或いは立原正秋氏の友人、知人らに寄る氏に関する随筆が出版され、
私は買い求めていた・・。
その後、三周忌記念出版として、『立原正秋全集』全24巻が角川書店から、
昭和59年(1980年)から発刊され、私の書棚には単行本が少なくとも30数冊はあったが、
心新たにの思いで購入したのである。
そして、愛惜を重ねながら、毎月配本されるたびに改めて精読したのである。
私は拙(つたな)い読書歴なかで、小説・随筆に関して、
明治以降の作家の中で、最も影響を受けたのが、立原正秋氏となった。
作品はもとより、文体、そして庭園、茶事、食べ物、日本酒、焼き物など、
私の青年期から30代の終わりの頃まで、多大に教示された人であった。
このように記載したしました。
夢逢人さま
はじめまして!
コメントをありがとうございます。
記載文を読ませていただきました。
わたしはエッセイ「愛をめぐる人生論」を読んで、
立原氏の知識、交友関係、経験の豊富さに驚かされました。
だからこそ、あれだけの小説が書けたのですね。
もう少し、立原氏の世界を味わってみたいと思っています。