こんな怖い話を見つけました。
干し芋代とは書いていませんが、かなり気になります。わたしも財産を食いつぶすのか?
徒然草 第六十段
これを見つけたのは、かの有名な『徒然草』の中の「第六十段」
芋代で財産を食いつぶした人がいたとは、恐るべし、芋!
財産を食いつぶすほどのおいしい芋は、芋頭だそうです。
サトイモの親芋のようですが、あれってちょっと固いんじゃない?ゴリゴリしてない?
わたしはサトイモは子芋の方が好きですけど、まあ、人それぞれですから。
財産を食いつぶすほど芋を食べた人は、盛親僧都(じょうしんそうず)という優秀な学僧さん。僧侶であり、学者である人。
このお坊さん、講義の席でも脇に芋を置いて、芋をほおばりながら講義を続けていたというのです。
病気になると、何週間も部屋に引きこもり、治療中と称して好きなだけ極上の芋頭を食べ続け、どんな病気でも治してしまったらしい。
芋で病気が治るのか!?
それも、人に食べさせることはなく、いつも自分だけで食べていた。
芋代に消えたお金は三百貫。現在のお金に換算すると、ざっと1800万円!
このお坊さんは眉目秀麗・身体強健・健啖快食・達筆・博学・雄弁で地位もあったと兼好さんは書いています。
理想の自由人
このお坊さんは、簡単に言えば、変人奇人のKY(空気、読めない)さん。
法事などで、もてなしの膳についても、みんなに膳が配られる前にさっさと食べて、帰りたくなるとさっさと帰っちゃう。
どうも常識外れの大物だったらしい。
にもかかわらず、このお坊さんは人から嫌われることなく、何をやっても許されたそうな。
兼好さんは、この話を「徳の至れりけるにや」と結んでいる。
人徳が最高の域に達していたから、何をしても許されたということらしい。
たぶん兼好さんにとって、このお坊さんはあこがれのの自由人だったのでしょう。
なりたくてもなれない自由人の理想形。
なるほど。
ただ芋を食べるだけではダメ。
1800万円分食べないとダメだ。それも誰にも配らず一人で食べないとダメ。
なので、わたしは芋で財産をつぶことはなさそうです。
安堵しました。
だけど自由人もなれないことも理解しました。
それにしても、芋という食べ物はなんでこんなにも人を魅了するのでしょうねえ。
ほどほどに干し芋でも食べて、我が人格を省みることにしましょうか(笑)
『徒然草』角川ソフィア文庫
現代語訳と解説付きです。
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芋ですか、、芋はどうも×の部類です。
食いつぶすほどの食材に巡り合いたいものです。
兼好法師さんは今の時代にも、うん、うん、、と人を納得させるエッセイをお書きですね。
お会いしてお話聞いてみたい人の一人です。
究極の自由人は究極の変人ということですかね、、。
麻布さん。
食いつぶすほどの食材はなかなかないですよねえ。
「徒然草」「方丈記」は現代にも通じるエッセイですよね。
時代は変わっても、人はあんまり変われないものなんでしょうね。