昨晩はきれいな満月でした。
満月か・・・。
そうか。
あれからひと月経ったのか。
シャンクスが消えた、あの日の満月は、雲に隠れていたっけね。
この1ヶ月が遠い昔のことのようでもあり、つい昨日のことのようでもあり。
どうにもこうにも、この1ヶ月間の時間の流れは、ゆがんでいる感じがします。
21年前の9月のある朝、どこからともなく、シャンクスはやってきました。
ベランダで洗濯物を干していたわたしは、40歳を少し過ぎたばかり。2人の息子は高校生。
夫を亡くして5、6年が経過し、3人での暮らしにもすっかり慣れたころのことでした。
何か外から日常とは違う気配がしてきたので、ベランダの端っこから身を乗り出してのぞいて見たら、1羽のカラスが低空飛行しながら、何かをゆっくり追いかけています。
よく見ると、小さな猫が、おぼつかない足取りで歩いている。
急いで階段をかけ降りて、玄関を開けると薄汚れた茶色い子猫がそこにいました。
手を差し出すと「にゃー」とあいさつ。
これがシャンクスとの出会いでした。
とりあえずご飯をあげなくては。
当時、時々遊びにやってくる黒猫のくーちゃん用にと買い置いてあったカリカリがあったので、それを差し出す。ずいぶんとお腹が空いていたみたい。
飼うとか、飼わないとか、そんなこと考える以前の行動。
ただ、食べさせなくちゃと思っただけだったけれど、それは人間目線。
子猫は食べ物を見た瞬間に「ここにいよう」と決めたに違いありません。
カリカリを食べ終えたので、家の中に戻ってしばらくすると、何か聞きなれない声がする。
玄関のほうから庭づたいにリビングのほうに回ってきて、網戸にしがみついて、にゃーにゃー言っているのです。
その鳴き声にどうしても見放せない気分になってしまったのが、運の尽き。
こういうの出会いを”縁”と呼ぶのでしょう。
子猫を網戸から引き剥がし、家の中に入れ、午後には部屋の中の住まいとしてゲージを購入してきました。当時の1万円は我が家にとっては思い切った買い物でした。
翌年の春。
妙な鳴き声をあげるようになり、そんな時期がやってきそうなことを確認したので、近くの動物病院でその処置をしてもらうことに。
2泊3日の入院。ケージの中でしょぼんとしていたシャンクスは、もうすっかり我が家の猫になっていました。
避妊手術を終えて、夏が近づいた頃には、なし崩し的に「外に出る猫」になっていました。
家の中だけで飼うべきか、シャンクスの主張を認めるべきか、ずいぶん迷いましたが、根負けしました。
猫という生き物が家の中だけで暮らすというイメージがなかったせいもあります。
家の中と外を行き来するようになり、持ち前の猫力を思う存分発揮し始めたシャンクス。
スズメやメジロをくわえて戻ってきては、わたしを驚かせる日々は10年以上続きました。
実は10歳を過ぎるころまでは、猫かわいがりをした記憶もなし。
カーテンをぼろぼろにされ、壁紙をビリビリに引っ掻かれ、出入りのたびにドアや窓の開け閉めを要求されて、うんざりしていたというのが正直なところ。
わたしのそばで寝るなんてことも、あまりなかったのは、そんなわたしの気持ちを察していたからかもしれません。
わたしたちの距離が近づいたのは、息子たちが家を出てからです。
あの頃から、シャンクスはわたしに寄りそうようになりました。50歳の女と10歳の猫。同じような精神年齢に達したのかもしれません。
そしてブログを書き始めてから、シャンクスとの仲はいっそう深まりました。同胞という感じになっていきました。シャンクスとの同居の面白さを実感為るようになっていきました。
そして21年が経過。
子猫だったシャンクスは、いつの間にか、わたしの先を歩く先導猫になっていました。
最後まで出かけようとしていた、あの自由さ。最後まで立ちあがろうとしていた、あの気丈さ。
あの姿こそが、これから老境に入っていく、わたしの理想の姿。
肉球のほのかなふくらみにも、痩せて平ったくなってしまった身体にも、何よりあの尻尾にも、もう二度と触れられないんだなあ。
今はまだ覚えていられるけれど、その感触もいつか遠くなってしまうのかなあ。
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りっつんさん おはようございます!1か月がたったのですね。にゃんって不思議ですね。いるときには
ほとんど存在感がなくて(どこにでも馴染む景色の一部のような)いなくなると今までの景色が一変してしまうほどの喪失感。。私のにゃんが旅立った時、幽霊でもいいから出てきて!なんて無理なことを
思ってましたが、今頃シャンクスちゃんのとりこになり、私のことなど忘れシャンクスちゃんの後ろをついて歩いていることでしょう(笑)本当にそうだったらいいな。
しおさん
おはようございます。
ホント、しおさんの言うとおり!
いる時はあんまり存在感がなかったのに、
いなくなって、存在感を発揮するのが、にゃん。
幽霊でもいいから、出てきてほしいわ〜、本当に(笑)
しおさんのにゃんと、もう出会ったかなあ。
こんにちは。
私も21年前にペットショップで5千円で売られていた、キジトラの雑種猫を一目ぼれして買いました。
それから17年間その猫は生きて、4年前の6月にあの世に旅立ちました。
穏やかな最後でした。
初めてその猫と出会った時の私は43歳、今64歳。
もう23年も経ってしまったのが、嘘の様な気がします。
出会いがあれば、別れがある。
分かっていても、別れは寂しいものですね。
りっつんさんのブログがあまりにも面白いので、過去記事を毎日読ませて頂いています。
もう何十年も前に、ご主人を癌で亡くされたと分かりました。
私もりっつんさんも還暦越え、自分だけではなく、身内にも癌を患う可能性がありますが、最近たった1日で癌細胞をやっつけ、転移した癌までもやっつける所まで研究が進み、後2年後位には、安価でしかもたった1日で治療が済む治療法が確立されました。
その記事を貼りつけておきますね。
https://www.ibm.com/blogs/think/jp-ja/mugendai-6080-interview-nci-cancer-treatments/
マッキーさん
おはようございます。
出会いがあれば別れがあるのは決まり事。
そうはわかっていても、やっぱり寂しいものですね。
がん治療も日進月歩。
たくさんの人たちのたくさんの頭脳が、
その道を開いてくれることを信じています。
師匠!こんばんは^_^
激務に追われて、しばらくブログにお邪魔してなかったら・・
会長のご冥福を、心よりお祈り申し上げます
私は夫を亡くして4年、愛犬を亡くして3年しか経っていないのに、最近時折すべてが幻だったのでは?と思う事があります。
それでも自分以外の生命体の気配がない家は、やっぱり不安ですそんな時、愛犬の存在の大きさを改めて実感!温かくて頼もしい存在だったなぁと。
師匠が関西支店では良く眠れるという理由!
なるほど納得で、とても腑に落ちました(笑)
まだまだ暑い日が続きますが、ご自愛くださいませ
rubyさん
おはようございます。
不死身だと思っていた会長も、ついに旅立ってしまいました(涙)
やっぱり、すべては幻なのかもしれませんですよ。
続けて亡くされたrubyさんのつらさを思います。
生きているものの気配、大事なんですねえ。
はじめまして。
群馬県で会社経営をしている36歳の男、既婚、子ども2人です。
おそらく息子さんと同世代かなと思います。
かなり前からブログを読みに来ていたのですが、コメントは初めてです。
感想を書こうかと何度も思い、
でも文字にすると何か平べったく、薄っぺらい気がして、読む専門でした。
今回のブログ記事も良かったです。
良かったですという言葉でいいのかわかりませんが。
りっつんさんが7月の満月を見て思ったこと、
情緒豊かな言葉で伝わってきて、とても気持ちがいっぱいになりました。
行間に、文字と文字の間に、シャンクスが見え隠れします。
りっつんさんの負担にならなければ、また思い出話を読みたいです。
りっつん先生の本も、昨年発売と同時に2冊買いました。
娘の友達のお母さんが、一昨年未亡人になられました。
お葬式翌日の保育園の運動会、放心状態で参加されていました。
その姿が忘れられず、本を何度も渡そうと思ったのだけど、
娘の友達のお父さんから渡されるのはどうなのかと思い、
いまだに手元に2冊の状態です。
ゆりいかさん
はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
実にいろんなことが起きるのです。
お友達のお母さん、今は少し元気になられたでしょうか。
気になります。
いつか、その方にも本を読んでいただけたら、うれしいです。
ゆりいかさんの控えめな温かさ、感じました。
きっといいお父さんなのでしょうね。
りっつんさん、おはようございます。
私が初めて育てた猫は16歳で12年前にあちらに行きました。
まだまだ毛の手触り、顔を手で包んだときの感覚は時を越えて蘇ります。
そうやって今でも私を支えてくれているのでしょうね。
猫はあっという間に私たちの年齢を越え、人生を教えてくれているようですね。
私も猫に習い、こびない、無理しない、嫌なことは出来るだけしないなど(笑)
を心がけています。今そばにいる猫も老師のようです。
たまさん
こんにちは
いつの頃からか、
わたしに何かを教えるようになったシャンクス。
それは、わたしの年齢に追いついた頃だったように思えるのです。
人に媚びずに、マイペース。
また、猫と暮らしたいなあ、なんて思ったりしています(笑)