「ものを忘れることは人として当然」と開き直ってから、自分を嘆かなくなりました。
むしろ、ものを忘れたことを楽しんでいるフシさえある。
あんなことも、こんなことも忘却のかなた〜。みんな流してしまおう。
そもそも、毎日のことをそんなに記憶できるわけがないっしょ!
昨日の朝の8時に何をしていたかなんて、思い出せるわけが・・・いや、思い出した。昨日も確か、ブログを書いていたわ(笑)
なんとも平坦な毎日でございます。
Contents
記憶の引き出しが開かない
記憶したはずの、あれはどこへ行ってしまったの?
忘れちゃならんと、どこかには、しまったはずなんだけど。
どうにも、その記憶の引き出しが、ゆがんでしまったのか、開きづらくて、開くのにとっても時間がかかります。
開けようとすると、ギシギシいってる。
特にダメなのは、人名に関する引き出し。
たぶん、引き出しが満タンで、開きづらいのかもしれません。
生まれて60年以上も経ちますと、そりゃ、どれだけの人の名前が入っているか。
ゆえに、あの人、あの人、ということが増えています。
しかし最近、”あの人”で通じることも、案外あるってことに気づきました。
年寄りの会話というものは「あれ」「それ」「そうそう!」でつながっていくもの(笑)
その「あれ」が一致しているかどうかもわかりませんけれど、話はつながるので問題はなし。
もしかすると、引き出しが開きづらくなった分、クラウドみたいなもの(テレパシー領域)が発達しているのかもしれません。
そのうち、言葉にしなくても、話が通じるかも。
でも、もう、それも、これも、できるだけ気にしない(笑)
脳を鍛える?
いい話を聞きました。
何かを思い出そうとするだけで効果があるというのです。
思い出せなかったとしても、その努力だけは認めてもらえるらしいのです。
大事なのは、思い出そうとする癖をつけること。
思い出そうとすると、記憶を整理する回路に刺激され、物忘れの防止にもなるんだとか。
あきらめずに、”あの人”の名前、思い出そう!
それにしても、刺激の足りない毎日。
なんてったって、驚きがない!
ハラハラ、ドキドキが足りない。
これが脳にはよくないみたい。
自分を裏切る行動
実は心地よく暮らしているだけでは、脳は満足しないようなのです。
刺激が必要。毎日同じことを繰り返していては、脳はサボってしまう。
なので、最近、こんなことをはじめました。
歩きながら、突然、道を変える
唐突な行動を起こしてみるのです。
左右に分かれている道があったら、足の向くままに歩いてみるということなのですが、頭を使わないでこれをやるのは、意外と難しい。
脳からの指令では、歩き慣れたという理由だけで、そっちの道を選ばれてしまいます。それを瞬間的に、まるで意識してなかったかのように、裏切る。
脳は過去からのデータを蓄積していて、知っているのです。
- この道を行くと、最短距離
- この道は安全
実は計算しながら歩かせているのです。
だから、それをやめさせて、別の何かに任せてみる。
別の何かって、感性?本能?正体は不明だけど。
これがけっこう面白いのです。
突然に、ふいっと道を変えると、
「え〜!こっちに行くの?」とか、
「こっちを歩いてみたかっの?」とか、
そんな声が、頭のほうから聞こえてきます。
究極の一人芝居と言えなくもないけれど。
子どもの頃には、きっとそんな感じで暮らしていたはず。
脳を鍛えるのも大事だけど、それ以上に自由な感覚みたいなものも、もう一度味わってみたいなあと思っているのです。
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♪
りっつんさん こんにちは
何かを思い出そうとするのはいいらしいですね。
一昨日何を食べたか、昨日の昼ご飯は何だったか
考えることがいいそうです。
それからいつものウォーキングコースを変えるこ
とも、認知症予防になるとか。
そうは言っても、旅行や人と会うことは刺激にな
りますが、毎日のルーティンは変えない方が違和
感なく安心なんですけど、ダメでしょうか?
相棒さん
おはようございます♪
毎日のルーティンを変えないことは安心なのですが、
1本だけでも道を変えると、新鮮な感じがしますよ。
そのうち、どんどん変えたくなって(笑)
同じ道を歩けなくなってるかもヾ(@⌒ー⌒@)ノ