昨日は、バーバラさんに誘われて、映画を観てきました。
ショッピングモール内の映画館。
公開されたばかりの『あちらにいる鬼』は、シニアでそこそこ賑わっていました。
あの映画、男の人が観て、面白いんだろうか?(笑)
Contents
また、あの2人?
何気なく見始めたのだけど、主役の2人のあのシーン、どこかで観たような気がするなあと思いました。
後で、調べてみると『愛の流刑地』の2人でした。
あ〜、そうだった。あれは、2007年の作品ってことだから、あれから15年!?
今回の不倫カップルも豊川悦司さんと寺島しのぶさん。
濃い不倫といえば、あの2人ってことらしい(笑)
しかし、原作とは少し違うイメージでした。
でも、映画は原作とは別物としてして観れば、問題なしだけど、原作が実在の人物がモデルということで、どうしても意識してしまいます。なんか違うよなあって(笑)
不倫とはいえ、修羅場もなく、静かに淡々と話が展開されていきます。
心の中のモヤモヤをぶつけ合うこともない三角関係。奇妙な連帯感。それぞれの生活を壊すことなく続く関係。
男が才能ある魅力的な人だったから?
妻ができた人だったから?
愛人に生活力があったから?
最後には愛人の尼僧化で、なだらかに着地。
まあ、凡人には、ちょっと理解できな展開です。
そもそも、どうして、そんなに惹かれあったの?
映画では、そのあたりが、イマイチ、説得力がないなあと、感じました。
説得力がないのは当然?
でも、よく考えたら、それは当然のことなのです。
どれだけ好きだったかなんて、そんなこと、当人以外には分かるわけがないのです。
だから、映画の描き方は正しい(笑)
世間を見渡してみても、なんであんな人、好きになったのと思うことがある。しかし、それは、ある人から見たら、わたしもそう見られているかもしれないということでもある。
わたしにとってなんでもない人が、誰かにとっては特別な人。
誰かにとってはどーでもいい人が、わたしにとっては、かけがえのない人だということもありうる。
ただ、それだけのことなのです。
この話は、ある女が、ある男を好きになって、その男と別れるために仏門に入った。
ただそれだけのことなのです。
映画を観ていたら、いつの間にか、俯瞰的な鳥目線になっていました。
人はひとりひとり、それぞれがとても小さな世界で蠢いているんだなあって。
だれもが、自分の生きることだけに夢中なんだなあって。
誰かが誰かを、どれだけ好きかなんて、そんなことを知ろうなんて、それこそ野暮ってもんです(笑)
作られた結末
恋愛関係、始めるのは簡単だけど、終わるのは難しいものです。
男女に限ったことではないけれど、出会ってしまえば、いつかは、必ずやってくる別れ。
どうやって別れるのか。どういうふうに別れるのが、かっこいいのか。かっこいい別れなんか、あるのか。果たして傷つかない別れなんてあるのか。
そんなことをきっと、みんな考えてきたはず。
“両者納得の上、笑ってさようなら”って、かなり難しいことだろうと思います。
寂聴さんの考え抜いたケリのつけ方が、仏門に入ることだった。
これは、わりと完成度の高い別れ方。
そういう人はきっとほかにもいるのかもしれないなあ。
意識していないようでも、自分が主役のドラマの脚本を書いてるのは、実は自分。
成り行きに任せているようでも、いつも小さな選択をしながら、歩いているのです。
これは、寂聴さんだから書けた結末。
静かで変化の少ない映画だったけれど、居眠りせずに観通しました(笑)
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観ましたか。興味あって、今迷ってます。情報参考になりました。
寂聴さんには、一時傾倒して、東北の天大寺まで法話を聞きに行ったこともあったけど、今は、YouTubeで聞いても
けたたましく感じるだけになりました。
男女の恋愛は、当人同士しか面白くない。傍の人間に見せられてもよくわからない。
ただ、今回の映画は、寺島しのぶの演技に興味がありました。得度を含めて、そこに至る過程をどう演じるか。
行くか行かないかは未定。
先に、初めてアニメ映画「すずめの戸締り」を観ました。感想省略。
ではまた。
しばふねさん
こんにちは〜
わたしも50歳になりたての頃は、
寂聴さんの説教本(エッセイ)をよく読んでいました。
説得力、ありました。
いろいろと助けられた気がします。
でも、確かに、晩年の寂聴さんには、
そういう力がなくなってしまったようにも思いました。
あの映画の感想、難しいです(笑)
「すずめの戸締り」も観てみたいとは思っています。