日本製紙 石巻工場の再生物語『紙つなげ!』に思うこと

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身の回りをくるっと見渡せば、必ずある”紙”。

“紙”がなくても生活はできるだろうけど、たぶん快適な生活はできません。

『紙つなげ!』は、2011年3月11日のあの大震災からから始まった、パルプ工場の再生の物語です。

 

日本製紙 石巻工場

宮城県の石巻市には、大きな製紙工場があります。

石巻市は父の出身地。

子どもの頃は、おじいちゃんの家に行く途中で工場が見えたし、親戚のおじさんが勤めていたこともあって、その存在は知っていました。

しかし、あの工場でどんな紙が作られていたのか。まったく知りませんでした。

紙といっても、いろいろあります。

日本製紙の石巻工場は、日本での出版用紙製造のなんと4割を担っているのだそうです。

もしかすると、あの本もあの本も、石巻工場で作られた紙かもしれない。

そして書籍の紙にも、いろんなこだわりがあることを知りました。

めくりやすい紙、色がきれい出る紙、厚めの紙、薄めの紙などなど。

紙の色も書籍の内容に合わせて選ばれているとのこと。

書籍用の紙事情についても、知識が増えました。

 

2011年3月11日

日本製紙石巻工場があるのは、海の近くです。

あの大地震と津波で、6台の抄紙機(しょうしき)は壊滅的な被害を受けてしまいます。

多くの困難を乗り越えて抄紙機を復活させるのですが、そこには語りきれないほどのたくさんの物語がありました。

世界最大レベルの巨大な抄紙機を持っていたことも、初めて知りました。

そこにあの津波が押し寄せてきたのです。

機械そのものもだけれど、電気系統が遮断されれば、機械はただの塊でしかないのです。

壊れた機械、海水を被った機械たち。その機械に流されてきた民家が引っかかる。

それは、どれほどの状態だったのでしょう。

ただ、人的被害がなかったことには、本当に救われる思いがしました。

地震の多い地域なので、地震がきたら、山頂に避難するという訓練ができていたのです。

本当に津波を見るまでは、切迫感はあまりなかったようですが、山から降りるなというリーダーの強い命令で、その時に工場で働いていた従業員の命は守られました。

そして、その日から始まった想像を超える過酷な日々。

重機が入れない状態では、頼りになるのは人の力だけ。

どれだけの労働力が必要だったのか。想像するだけでも胸が詰まりした。

 

復興への道、そしてこれからの紙

再稼働できるかどうか、危ぶまれた石巻工場でしたが、工場再建にかける、みんなの熱量は大きかった 。

ついに巨大な抄紙機は再び動き出すことになりました。

だけどこの本を読み終えて、感動だけではない複雑な気持ちが押し寄せてきたことも事実です。

今後、ますます減る人口。

そして、今でさえ、本を読む人が減ったと言われているのに、さらに電子化も進んで、さらに書籍用の紙の需要が減ることは、明らか。

今後、紙はどんな運命をたどるのだろう。

そして、また大きな地震がきたら・・・。

 


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6 件のコメント

  • 今日は。なんか肌寒いですね。
    久しぶりにコメントします。日本石巻の文字を見て、オー!と思い連絡してしまいました。日本石巻は私の会社のとっても重要な関連会社です。ホントに3.11の時は大変だったと思います。私も会社も埼玉にありますが、何人かお手伝いに行ったと思います。私の亡くなった主人も一度だけ出張にいったなあと思い出しました。スミマセン、懐かしくなってしまいコメントしてしまいました。桜も満開ですね♪

    • 寛子さん

      こんにちは!
      あんなに大変なことが起きていたとは、です。
      あれから12年。
      新しい紙がまた開発されているのでしょうかね。
      石巻、いつかまた行ってみたいです。

  • りっつんさん、こんにちは。
    先日、ようこそみちのくへ・・ってコメントしようと思ってたら、翌日はピンポイントで石巻の事が・・胸がいっぱいになりました。
    こんな書籍が出ているとは 知りませんでした。
    小さい頃から近くにあった工場の事なのに 知らない事ばかり。
    昔は 十條製紙という名で 通称「十條」とか 「パルプ」と呼んでいました。
    私の叔母も長年 働いていました。
    南風が強いと 北西部にある私の実家の方まで煙の臭いが来て 「パルプ臭い!明日は雨だな」と よく言いました。
    私のふるさとの記憶は 田舎なのに パルプの臭いと 航空自衛隊松島基地の飛行機の爆音!(ブルーインパルス、カッコいいけど 練習音がすごいです)
    そして 津波被害からの復活と紙の将来と・・・難しいですね( ´ー`)

    • ほっこり〜なさん

      こんにちは!

      機会があったら、この本、ぜひ読んでみてください。
      石巻、そして矢本。
      松島基地の最寄り駅は、確か矢本でしたよね。
      仙石線に乗って、野蒜に海水浴に行ったことを思い出しました。
      思い出がたくさんあります。

      みちのくの桜は、これからが本番ですねヾ(@⌒ー⌒@)ノ

  • 初めまして!数年前からブログや書籍を拝読させてもらってます。仙台に住まわれてたと言う事で親近感を抱いてましたが、今回石巻の話題でびっくり!
    私自身も石巻出身で20歳の時から30年程仙台にいて、5年前から旦那さんの実家の岩手に移り住みました。
    日本製紙!ほっこり〜なさんのコメントのように、昔は十條製紙(通称パルプ)と呼ばれて、まさに実家でもパルプの臭いがすると雨が降るって言ってました。懐かしい〜(⁠^⁠^⁠)
    父は去年亡くなり、身内とは疎遠になってますが、先日もお墓参りに行って日和山からの景色の中にパルプの煙も眺めて来たばかりです。
    紙つなげ!是非読んでみたいです。

    • ゆりさん

      はじめまして!
      コメント、ありがとうございます。

      仙台、石巻、岩手。
      どれも馴染み深い地名です。
      みんな、パルプ、パルプって呼んでましたよね。

      日和山、いつかまたのぼってみたいと思っています。
      北上川の川開きの花火も、よく見に行きました。

      「紙つなげ!」ぜひ読んでみてくださいヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。