臨月嫁のお腹がピクピクと動くのをみて、なんとも不思議な気分になりました。
どこから始まったの?
「命」はどこから始まるの?
こういう議論は巷でも、よく交わされているけれど、考えれば考えるほど分かりません。
どこから、この人は「人」と呼ばれる存在になるのか。
「命」とよばれるものは、どの時点から始まったのか。
もともと「無」から「有」を生むことはできるのか。
すでに父親の中で、母親の中で、ひっそりと息づいていた「命」が、別の「命」に姿を変えただけなのかもしれません。
「肉体」と「魂」はそもそも別物で、あるとき「魂」が肉体に宿っているのかもしれません。
そして「肉体」の滅びとともに、どこかの瞬間で「魂」というものが飛び出すのかもしれません。
「魂」と呼ばれるものが存在するという前提での話ではありますが。
どうにもこうにも不思議です。
どこで終わるの?
こうしていろいろ考えていると、ますます「死」は終わりではないような気がしてきます。
「始まり」が不明なら「終わり」もまた不明。
確かに「死」という現象によって肉体は動きを止めるけれど、肉体は燃やされて別の「物体」になるけれど、それはまた循環していく。
決してゼロにはならない。物資としては、形を変えるだけ。
「有」が「無」になることはないと、空を見あげて、雲を眺めながら思ったりします。
実は5月の末に、また1人、親しい人がこの世を離れました。
しかし、いまだにその人が、どこかその辺にいるようなそんな感じがするのです。時々声が聞こえる気がします。
「死」は肉体が動きを止めるという、衝撃的な事実を目の当たりにするので「あの瞬間で終わり!」と確信を持ちたくなるけれど、実は違うのかもしれません。
親しい人の旅立ちに際して、不思議なことがありました。「やっぱり、何かある」と、わたしは思いました。
「死」の瞬間は、もしかすると自分で決めているのかもしれない。
そして、赤ちゃんが生まれてくるまでの謎めいた10ヶ月と同じように、人は姿を消しても、そのへんを漂いながら、同じ空間にいるような気がしてならないのです。
わたしは、自分の周りで「死」を体験すればするほど、そう思うようになりました。
わたしたちの目に見えないだけ。
肉体から離れた「魂」は地球をも飛び出して、宇宙を飛び回っているのかもしれない。時間もない世界で遊び続けているのかもしれません。
だからわたしは「亡くなった人の分まで生きる」という言葉が、好きではありません。
「亡くなったご主人の分まで生きてね」とずいぶん言われました。言われるたびに、ムカムカしました(笑)
なんでムカムカしたのか、今なら分かります。「死」で終わってほしくないと思っていたからですね。
生者と死者の違いってなに?生者のほうが偉いの?長く生きた人がエラいの?
夫は別の場所に行っただけ。なのに、なんで、その人の分までは生きなくてはならないの?夫はどこかで生きているのに。
ましてや、わたしは自分の命を生ききるだけで精一杯。2人分生きるなんて、とてもできやしません。
そもそも、人はやるべきことを終えて旅立つんじゃないかと、思っています。だからわたしは、わたしのやるべきことを全うするだけです。
今日は親しい人の月命日。あれからひと月が過ぎました。
きっといまごろは、次はどこに行こうかななんて、考えているに違いありません。ニコニコと笑いながら。
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又々夜分にごめんなさい。
本日のお話、私も良く考えます。
何だか懐しくて、つい西の空を眺めたり。
いつぞやの「ゆっちゃんのレインボー町」
のお話も思い出しますね。
私はやはり魂はあると思います。
いつか又、再会出来るかもと思うと
ちょっとだけ楽しみです。
人格とか品格とかって魂のレベルの事なの
かも。
ゆっちゃん、その後の続編はなしですか?
キャサリンさん
おはようございます。
いつも、コメントありがとうございます!
始まりがわからないのに、終わりだけがわかるって、やっぱりおかしいなと思うのですよ。
どう考えても、ヘン。
やっぱり何かあると思いますね。
ゆっちゃんのレインボー町の話は、
この夏に物語として完成させてみようかと思っています。
最近、また、こういう世界の本を読み返しています。
りっつんさん、こんにちは。
「やるべきことを終えて旅立つ」同感です。
今まで見送った人たちもそうであったように思います。
だから、不思議と寂しさも未練も後悔もないのです。
きっと、次の場所で生きている(言葉が変ですが)と。
そして、時には、姿を変えて私の前に指南役として現れます。
一人で生きることは、一人での決断が必要ですが
案外間違わない選択ができているのも、そういう力が
働いているのかもしれません。
しばふねさん
おはようございます。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
「姿を変えて指南役として現れる」に同感です!
同じような感覚をわたしも持っていると思います。
どこからか、何か声のようなものが聞こえる。
わたしの中に、いろいろな人が入っている。
言葉で表現するのが難しいのですが。
亡くなった人と生きている人に、違いがあるのかといえば、肉体の有無だけ。
肉体を持っていることが、そんなにすごいことだとは思わなくなってきました。