磐梯山を見ながら、20歳のころのわたしを懐かしむ。

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チャリ正平さんの旅が福島に入りました。

きのうの朝は磐梯山。猪苗代湖だの、磐梯山だの、本当に懐かしい。胸がキュンキュンするわ~。

いろいろと思い出してみる。このあたりは、宮城県人にとっては一泊のコース。高速飛ばして、猪苗代湖へ白鳥を見に行ったり、春、夏は裏磐梯高原へ遊びに行ったり。思い出の多い場所です。

好きな人と行った記憶は、不思議なほど「何を食べたか」まで覚えています。そうでもなかった人とは景色だけが鮮明に残ってる(笑) ご飯って大事なのねえと、こんな年齢になってしみじみと思います。

わたしは大学時代は学業よりバイト優先という学生でした。お金に困っていたわけではなく、人材として多方面からの要請が多く、気がつくと、ものすごく働く学生となっていました。もちろん、成績は良くなかったですわ~(笑)

いや~、よく働きました。体を張った仕事が多かったです。現場仕事ばかりを数か所掛け持ちしていました。

その一つのバイト先でのこと。わたしが裏磐梯に春旅行に行って帰ってきたら、わたしの苗字が「裏磐梯」に変わっていたということがありました。

ここは本当に労働環境の悪いバイト先でしたけど、楽しかった~。

わたしがバイト先に数日顔を出さなかったら、

「あいつはどこだ?」

「あいつは裏磐梯へ行った」

と、いうことで「裏磐梯」になってしまったようです。

当時、バイト先には与作さんという正社員がいました。わたしは1か月ほど与作という名が彼の実名だと信じていました。与作さんの宴会での持ち歌が「与作」だったので、与作という芸名(?)になったことは、ひと月後に知りました。

騙されたんですね。みんなは、わたしの前で「与作」と呼ぶという演技を続けていのたです。みんなグルだった。┐(´~`)┌

わたしが「与作なんて名前、今どき、ありえないね」と言ったら、

「そんなことを絶対に本人の前で言ってはいけない!」と、先輩方から真面目に怒られたので、わたしは信じきってしまったんですね。

本人も「僕はこの名前で本当に苦労した」と、涙を浮かべる勢いで語っていましたし。

それ以来、わたしは「自分もだまされることはある」と思うようになりました。

本当にわたしとっては、良き時代でした。働いては飲み、飲んでは働いていたあの時代。あしたのことなんて、考えたこともなかった。

学生時代は「国分町のことはりっつんに聞け!」とまで言われ、大学の同級生たちからは、夜の街に詳しい学生として認知されていたことを、二日酔いな気分とともに思い出します。確かに国分町には詳しかったけど、お酒そのものは、それほど好きじゃないし、強くもないです。

※二日酔いな気分・・・・吐き気&頭痛をともなう、後悔を含む気分。

この記事を読んで「あれ?」と思われた方、連絡をお待ちしています。キーワードは「与作」「裏磐梯」そして「Bach」です。

あたしだよ、あたし!(∩´∀`)∩

でも、本当に連絡が来たら、どうしよう。そうなると、小説が1本、書けちゃうかもしれないよ。


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ABOUTこの記事をかいた人

1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。