チャリ正平さんの旅が福島に入りました。
きのうの朝は磐梯山。猪苗代湖だの、磐梯山だの、本当に懐かしい。胸がキュンキュンするわ~。
いろいろと思い出してみる。このあたりは、宮城県人にとっては一泊のコース。高速飛ばして、猪苗代湖へ白鳥を見に行ったり、春、夏は裏磐梯高原へ遊びに行ったり。思い出の多い場所です。
好きな人と行った記憶は、不思議なほど「何を食べたか」まで覚えています。そうでもなかった人とは景色だけが鮮明に残ってる(笑) ご飯って大事なのねえと、こんな年齢になってしみじみと思います。
わたしは大学時代は学業よりバイト優先という学生でした。お金に困っていたわけではなく、人材として多方面からの要請が多く、気がつくと、ものすごく働く学生となっていました。もちろん、成績は良くなかったですわ~(笑)
いや~、よく働きました。体を張った仕事が多かったです。現場仕事ばかりを数か所掛け持ちしていました。
その一つのバイト先でのこと。わたしが裏磐梯に春旅行に行って帰ってきたら、わたしの苗字が「裏磐梯」に変わっていたということがありました。
ここは本当に労働環境の悪いバイト先でしたけど、楽しかった~。
わたしがバイト先に数日顔を出さなかったら、
「あいつはどこだ?」
「あいつは裏磐梯へ行った」
と、いうことで「裏磐梯」になってしまったようです。
当時、バイト先には与作さんという正社員がいました。わたしは1か月ほど与作という名が彼の実名だと信じていました。与作さんの宴会での持ち歌が「与作」だったので、与作という芸名(?)になったことは、ひと月後に知りました。
騙されたんですね。みんなは、わたしの前で「与作」と呼ぶという演技を続けていのたです。みんなグルだった。┐(´~`)┌
わたしが「与作なんて名前、今どき、ありえないね」と言ったら、
「そんなことを絶対に本人の前で言ってはいけない!」と、先輩方から真面目に怒られたので、わたしは信じきってしまったんですね。
本人も「僕はこの名前で本当に苦労した」と、涙を浮かべる勢いで語っていましたし。
それ以来、わたしは「自分もだまされることはある」と思うようになりました。
本当にわたしとっては、良き時代でした。働いては飲み、飲んでは働いていたあの時代。あしたのことなんて、考えたこともなかった。
学生時代は「国分町のことはりっつんに聞け!」とまで言われ、大学の同級生たちからは、夜の街に詳しい学生として認知されていたことを、二日酔いな気分とともに思い出します。確かに国分町には詳しかったけど、お酒そのものは、それほど好きじゃないし、強くもないです。
※二日酔いな気分・・・・吐き気&頭痛をともなう、後悔を含む気分。
この記事を読んで「あれ?」と思われた方、連絡をお待ちしています。キーワードは「与作」「裏磐梯」そして「Bach」です。
あたしだよ、あたし!(∩´∀`)∩
でも、本当に連絡が来たら、どうしよう。そうなると、小説が1本、書けちゃうかもしれないよ。
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