今日は3月11日。
テレビでは東日本大震災関連の特集がたくさん組まれているようです。
あの日、この地も大きく揺れました。震度は5。
たまたま我が家に滞在していた仙台の両親。実家は大規模半壊と認定されるほどに壊れましたが、その場に居合せなかったことは不幸中の幸いでした。
そして、宮城県北部に家を持つ叔父夫婦はイスタンブールに旅行中。そこで地震発生を知り、混乱の中、なんとか帰国はできたものの、成田で身動きが取れなくなっていました。
我が家を頼ってやってきたのは、在来線が復活してすぐのことでした。
そこから始まった、70代後半の4人の我が家で避難生活は、1ヶ月以上に及びました。
地震から1週間ほどは息子一家も一緒だったので、大人7人、赤ん坊1人、犬1匹、猫1匹の大所帯。
ご近所さんにもたくさん助けていただきました。
笑いあり、珍事件あり、トラブルもありの日々でした。
あれから12年。
53歳だったわたしは、65歳になりました。
あの時一緒に過ごした父も叔父も犬も猫も、もう、この世にはいません。
生後6ヶ月の赤ん坊だった孫娘。みんなに順に抱かれて笑っては、重く暗い空気を吹き飛ばしてくれました。この春からは中学生になります。
日々は気づかぬほどに少しずつ変化しているけれど、年という大きな単位で振り返ると、こんなにも変化していることに驚きます。
毎年秋になると、大きなサンマを送ってくれていた気仙沼の知人は、港のそばに建っていた会社も家も全部流され、4年後には札幌に移転しました。
東京の料亭に卸していたという極上のサンマは、もう思い出の中でしかお目にかかれません。
知人は元気にしているかなあ。
そして、テレビに映される、ふるさとを思う人々。
わたしが守りたい「ふるさと」はあるのだろうか。
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りっつんさん こんばんは。
東日本大震災 その日私は頭痛、発熱で伏せっていました。
午後3時前に千葉に住む娘からの電話で地震のことを知りました。コンビナートの近くに住んでいたので、爆発音と揺れで怖い❗️と怯えていました。娘はその時妊娠初期でつわりで苦しんでいました。2011年の9月に生まれた孫娘は今年 小学6年生になります。
2011年3月11日 忘れることはできません。
範子さん
こんにちは!
関東以北に住んでいる者たちには、
何かしら、あの日の思い出がありますよね。
コンビナートの爆発音、どれだけ怖ったか。
わたしは、1983年の秋田での日本海中部地震の時、妊娠中でした。
震度は5。
つわりでダラダラしていたのですが、
驚きと怖さで、吐き気が飛んでしまったことを思い出しました。