10年後には75歳。どんな世界が待っているのだろうか。

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『静子の日常』という小説を読みました。

主人公は未亡人になってしまった、75歳の静子さんです。

家族は息子と嫁と、高校生の孫娘がひとり。

ひとり暮らしではありません。

とても平凡で平和な家庭の中にいるように見えます。世間から見れば、大変に恵まれた状態にある静子さんです。

どんな思いで、どんな暮らしをしているのでしょうか。

 

65歳が75歳を展望する

まもなく65歳になるワタクシ。

生きて続けていたら、どんな世界が見えるんだろう。

これから10年生きられると仮定して、75歳の世界というのは、どんなだろうと思います。

たまには未来を想像してみようってところです。

そんな未来は、あんまり想像したくない?(笑)

よくよく考えてみると、10年前の55歳の時とどれほど変わったのかと聞かれれば、実はそれほどの変化もないのです。

“10年前のほうがよかった!”

そんなことを思うことも、まったくありません。

たぶん、いろんなものを失いつつ進んでいるはずなのに。

例えば、肌のハリとか、皮膚の弾力とか、体力とか、気力とか、繊細さとか、根気とか、優しさとか、そのたもろもろ。

だけど、それを失ったものを感じとる能力に決定的に欠けているらしいのです。

たぶん、惜しむという感情がないからだと思います。

消えた金にも、立ち去った男にも、未練はないゾ!

いやいや、そんな話はしてないね(笑)

 

わたしは続く

弾力やハリが激減しようとも、体力や気力が減っても、それなりにやればいいわけで。あるものでまかなえば、いいわけで。

ま、できるだけ失わないように、やれることはやってるつもりだけど、それでも無くなっていくのなら、それに任せるしかない。

だけど、わたしがわたしであることは続くはずなのです。

だから10年後も大化けしていることはないんじゃないかなあ。熊とか鹿にはなってないと思う。

もしかすると、この世にいないかもしれないし、病を得て身体がどうにかなっちゃってることはあるだろうけれど。

近いようで、遠い75歳。

老いてゆく道は、未知の道。だけど、いまが続いて行くだけの単線。

だから、あすの自分を、わざわざ恐れることもないだろうと、思っています。

 

妻をやめる宣言

静子さんも、75歳だからと、特別な世界が待ってるわけじゃなかったようです。

そりゃ、そうだよね。

まわりを見渡してみても、75歳の人はそれほど高齢者という感じはしないけれど、でも、そういう人ばかりでもない。

「60歳だから◯◯」とか「75歳だから◯◯」

年齢はただの記号でしかないのに、年齢を言い訳に持ち出す人も多いです。

そんな一般的な年齢公式みたいなものは、当てはまる人もいるのだろうけれど、個人差はものすごく大きい。

だから、わたしはわたしだけの年齢を体験したい。

さてさて、夫の通夜の晩に「妻をやめた」という静子さん。

これからの人生は、自分の価値観で生きていく宣言です。

夫婦からの卒業。ちょっとした生まれ変わり。

いいぞ、静子さん!

残された時間はそれほどないかもしれないけれど、自分の頭で考えながら行動していけば、きっと何かを手にできるはず。

まだまだイケる。

それにしても、妻って、なにすればいいの?夫婦って、どういう関係?

夫が生きていたら、どんな感じの老後を送ることになったのかしら。

ちょっと想像してみたけれど、なんにも浮かんではきませんでした。

わたしは、もう・・・

妻専用座布団には座れないのか(´・ω・`)

 

未亡人の暇つぶし

夫を亡くしたという声が、あちらこちらから聞こえてくるようになりました。

昨年、震災のときに、いっとき一緒に暮らした叔父が亡くなりました。

7〜8人いたはずの伯父や叔父たち。みんな、あの世に住民票を移動してしまいました。

しかし、伯母や叔母たちは、まだ全員が生きています。なんだかんだ言っても、女性は長生き。

かなりの確率で未亡人になってしまう運命にあります。

パートナーを亡くして、そのあとの人生をどう歩いていくのか。これがなかなかの問題なのです。

どうやって暇つぶしをする?

この本を読んで一番共感したのは、静子さんのこのセリフ。

「バスにさえ乗れば何処へでも行ける!」

年をとると、行きたい範囲も狭くなる。だから、バスで十分。バスを乗りこなせれば、案外楽しい世界がまだまだありそうです。

今まで見えていなかったものが見えるかもしれない。

自分の意思だけで移動するということは、本当に大事!

暇つぶし、誰にも頼らず、やってみる。

あまり日常からかけ離れない場所で、楽しむことを考えればいいのです。

何歳になっても大事なのは、自立しようとする精神だろうと思います。

できるとかできないとかではなくて、自立しようとする気持ちが大事なのです。

この気持ちがあるかないかで、生活の質は大きく違ってくるのかも。

どんな小さな世界でも、自分の足と意思で立つ覚悟。

そうすれば、きっとおもしろいことが待っている!

わたしは、75歳に、なってみたいです。


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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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4 件のコメント

  • りっつんさん こんばんは

    静子の日常読みました
    静子のように賢く、家族の中にいても誰にも依存
    しない生き方は、理想ですけど難しいでしょうね
    そばに頼れる人がいれば、頼ってしまうものです
    から
    私の周りにも息子や娘に依存している人が何人か
    いますけど、もちろん人の勝手ですけど、そうい
    う人はだいたい他人にも頼ろう頼ろうとする傾向
    がありますね
    自分の足と意思で立つ覚悟、肝に銘じます

    • 相棒さん

      こんばんは♪

      そばに誰かいたら、
      知らず知らずに頼ってしまいますよね。

      年をとっても、自立を求められる。
      生きていくのは、たいへんです。
      でも、その気があるだけでも、
      違ってくるように思うのですけれど。

  • 毎日ブログを楽しく読ませて頂いています。
    りっつんさんの暮らし方、考え方が大好きです。
    「明日の自分をわざわざ恐れることはないだろう。」そうだよな!と思いました。
    不安に思ったり、恐れることはないんですね。
    自分の足と意思で立とうと思います。
    これからも楽しみにしています。

    • じゅんさん

      こんばんは♪

      コメント、ありがとうございます。

      昨日の自分が今日に続いていて、
      今日の自分が、明日の自分になるだけ。
      だけど、なんか、不安を煽られるものです。

      シンプルに考えていこうと、思っています。

      これからも、どうぞご贔屓にヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。