蔦屋書店で平積みになっていた『毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代』という本。タイトルに惹かれて読んでみることに。
著者はマーケティングの専門家。新しい時代を予測し社会デザインを提案している人だ。
『毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代』 三浦 展 光文社新書 2016年 10月
サブタイトル ~今を読み解くキーワード集~
シンプル族
最近流行りの断捨離。究極の無所有者、ミニマリストと言われる人まで誕生している。ミニマリストとはよく考えられた名前だと感心する。ミニトマトみたいで、覚えやすくて使いやすい。
『方丈記』の鴨長明は元祖ミニマリストだろう。四畳半の庵に布団と琵琶を持ち込んで、老年期を暮らした。わたしの憧れの人だ。それは長明が紆余曲折の人生を歩いて、考え抜き行き着いた結果だ。だから『方丈記』は現代人をも説得する力を持っていると思う。
本屋に行くとミニマリストになるための本がずらっと並んでる。自分の持ち物の削り方を人から学ぶって、どうなんだろう。自分に必要な物とそうでない物の区別はつくんじゃないの?と思うのだけど。
わたしは整理整頓は好きだけれど、ミニマリストのように物を減らすことはできない。わたしは自分の好きなモノだけに囲まれて過ごしたいという目的で物の整理をしている。単に物を減らすということとは違うと、自分では思っている。
三浦氏は「あまり物を持たず、気に入った物だけを部屋に置き、しかもできるだけ自然な物を使うという人たちをシンプル族」と定義している。それなら、まあ、わたしもシンプル族かもしれない。でも〇〇族と分類されるのは気持ち悪い。わたしはくくられるのが嫌いなので。
以前から、部屋とか家というものは、その人の心の在り様を表現していると思ってきた。だから自分の心の中に何を置いておきたいのか、何が不要なのかということが、わたしの「片付け」の基本だ。
親しい友人たちはみんなすっきりした部屋で暮らしている。時々お茶などをごちそうになるが、居心地はとてもいい。たぶんその人の部屋を見ただけで、仲良くなれる人かわかるのかもしれない。心の中の風景が似ているということなのだから、当たり前と言えば当たり前だけれど。
わたしは、わたしの頭で把握できる分量の物だけで暮らしたいと望んでいる。そこの引き出しに何が入っているのか、見なくても把握できる状態。それが最善だと思っている。
毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代
おっとっと。間違ってはいけない。ゆうべ無造作に脱ぎ捨てた服を、翌日も着るというのが、おしゃれということではない。
決断をたくさんしなくてはいけない人々にとって、何よりも貴重なのは時間。服について考える時間なんかもったいない。ただし、なんでもいいわけではなくて、品質にはこだわるということ。そこは大事なポイントだ。
結果、着心地のいい同じ服を着るということになる。ビルゲイツがそうらしい。確かアインシュタインなんかもそうだったらしい。頭脳労働最優先。カリスマだからこそ、服に対する姿勢さえも評価されるのだ。
毎日同じ服を着るということは、同じような環境(温度)下にいないと、とんでもないことになる。自律神経が劣化して体温調整がヘタくそなわたしにとっては、着るものはとても大事。わたしの皮膚となり、その日の快・不愉快を決めることになる。だからわたしは吟味せずにはいられない。
若い頃に比べたら、素材にはこだわるようになった。デザインよりも素材。着心地優先。それからわたしは、前日と同じ服は絶対に着ないことにしている。服が傷むからだ(笑)
寝たきりベッドタウン
我が家の近辺でも日中(在宅)おじさんが増加中だ。高度成長期からの日本を支えた人々。通勤時間1時間以上もかけて東京まで通った人々。この町は「寝るためベッドタウン」として発展し、今衰退しつつある。
ここもいずれ「寝たきりベッドダウン」になることは間違いないだろう。そう考えると、なんとなくどよ~んとしてしまう。
いつの世も、老人は世間のお荷物なんだなあとしみじみ思う。お荷物だと堂々と言えるようになったのは、わたしが老人世代になったからで、若者が言えば角が立つ。老人は静かに去らねばならぬのだ。それが自然の摂理。
できうる限り邪魔にならない老人を目指そう。片すみでひっそり生きさせてもらおう。間違っても自分は役に立つ老人だなんて思ったりしてはいけない。そう思ったとしたら、たぶん情報分析力が劣化した能の誤作動だ。
今後は、町全体が老人介護施設化するのを覚悟しよう。町全体が介護施設だと思えばいい。道路は廊下だ。
たとえば、まじさんの家は食堂で、わたしの家は喫茶室。お風呂もみんな同じ日に順番に入る。個室の多い誰かの家は個室ベッドルームにして、夜はみんなそこで寝る。案外そんな暮らし方も面白いかもしれない。
年寄りは年寄り仲間でやってこいう。それしかない。小さないざこざなんか、もちろん承知の上だ。残ったエネルギーで昔話を延々と語り合おう。どうせ翌日は忘れているはずだ。記憶装置は劣化し続けるのだから。
くれぐれも若者を巻き込まないようにしよう。どうしたって最後には世話にならざるを得ないのだから、せめてギリギリまでは巻き込まないようにしよう。
あっちうろうろ。辻々でぶつかりっこ。ああでもない、こうでもないと右往左往。そうして三途の川の順番待ち。「どうぞ、どうぞ、お先に~」と譲り合う声が聞こえてくるよ。
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