「断捨離」という言葉。実はこの言葉はヨガ哲学からきているとのこと。
「断行・捨行・離行」
・自分にとって不必要な物・情報・悪い習慣などを、断つ。
・不必要な物や余計な心配事を、捨てる。
・物やお金や地位・名声への執着を、手放す。
あくまでも「行」なのだそうです。
なんだかんだ、物から離れることが流行っています。こんなにも物にあふれているから、物疲れなんでしょうか。
と、思っていたら、このコロナ騒ぎで備蓄に取り組む「プレッパー」なる人々が増加しているとか。
ミニマリストとかプレッパーとか、なんか、いちいち名前つけなくてもいいのに。わざわざ宣言しなくてもいいのに(笑)
よくよく周りを見渡してみるけれど、周りには「ミニマリスト」なる人もおりませんし「プレッパー」なる人もおりません。
周りにいるのは、「ほどぼどに片付いている人」と「ほどほどに物に囲まれている人」そんなところです。みんな、それなり。
人が求めるもの。それは安心感。
その安心感の助けに物もある程度は必要。これは動物として当然の感覚です。安心した気持ちで暮らせればそれでいいのです。
わたしは「ほどほどに片付いている」部類です。
それは誰かに言われてそうなったわけでもなく、そういうふうに人生が流れてきたからです。
きっかけになったは、夫の荷物を片付けたことで、”物”というものに、最終的にはうんざりしたからです。
“物”は、それぞれにパワーを持っています。
しかし”物”がわたしを幸せにするのには、限界があることも知りました。
たくさん持っていたとしても、それはしあわせ感には比例しない。
そしてたどり着いたのは、
自分の頭で把握できる量だけ、持とう。
「あれ、どこだっけ?」
ではなくて、
「あれは、あそこにある。あれはあっちにある」
頭の中で把握できると安心します。忘れているものなんか、わたしにとってはないのと同じ。
いまクローゼットやタンスに並んでいる服を、かなり正確に書き起こすことができます。
記憶容量がゼロに近づくころには、物への執着も比例してなくなっているはず。
気軽に旅立てるかもしれません。
モデルは鴨長明?
所有物について考え始めると、必ず鴨長明に行き着きます。
鴨長明が書いた『方丈記』はわたしが最も好きな随筆(エッセイ)です。
書いたのは60歳くらいのときとされていますが、長明が人生から学んだことが書き記されています。
権力闘争に敗れた長命が最後に住まいとして定めたのが、京都の町外れの方丈の庵。だから、『方丈記』。
1人で暮らすならこれで十分と、家具も物も捨てた暮らし。だけど、琴と琵琶は持ち込んでいたようです。音楽は手放さなかった。
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
これほど、世の無常を的確に表現している文章はないです。
長明は世俗の暮らしを捨て、京都の外れに庵を結んだということですが、きっと人の世を俯瞰してみたかったのではないかと思うのです。
最後まで人への興味は尽きず、そしてこの世の謎を解きたかった。
この世とは何か?
京都で何か事件が起きたと聞けば、山を下って見物に出かけていた長明。
自分はどんな世界で暮らしていたのか。そんな長命の気持ちのかけらが、分かる気がしてきました。
年をとってくると、いままで見えなかったものも見えてくるもの。
わたしも、”何か”をもっと知りたいのです。
何かを「知りたい」という欲だけで、生きている気がします。
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りっつんさん。おはようございます。
「方丈記」いいですね。閑居しながらも、世間に目を向け、人生の何かを追究する姿勢、見習いたい。
現実にいたら、結構、お茶のみ友達になれたかな、なんて思います。
私の家は、4人から1人になって、モノも、置き場所がちゃんと頭の中で整理できるだけの分量に
なりました。
泣いても、笑っても一人。方丈の庵よりは大きいけれど、気分は、コンパクトです。
しばふねさん
おはようございます。
世間を見ることで分かることもあるのですよね。
わたしも長明さんとお茶を飲んでみたい(笑)
コンパクトな気分は、いいですよね。
わたしもとても気に入っています。
はじめまして
いつも拝見しており、独り身のこと・生き方の話など、あれこれと勉強させていただいております。
ふと手にした20年位前の古い手帳の中、住所欄のそばに書いてあったメモです。お坊さん無能唱元氏の言葉。「金儲けは人生の目的ではない。意識を拡大させる手段」悩み迷いは執着から生じる。それから解放されるためには「すべて借り物である」と考える。人生の目的とは「意識の拡大にある」とわかれば夢は求めても、執着しなくなる。幸福になる。・・あなたの後半の文章で思い出した次第です。
突然の変なメールで、失礼いたしました。ごめんなさい
則行さん
おはようございます。
コメント、ありがとうございます。
人生の目的は「意識の拡大」
実にそうかもしれないと思います。
お金が目的でないことは、
さすがにこの年齢になればわかっちゃうことですよね。
りっつんさん こんにちは
母が施設に入る時、実家を処分する為何往復も通
って片付けたことを思い出します。
母はほどほどに片付けている人でしたが、それで
も大変な作業でした。
その経験から、本当に好きな物だけ残して、古い
ものや飽きたものは順次捨てることにしました。
まあ、ぼちぼちですけど(笑)
若い頃のように、未来を追いかけて忙しいわけで
はなく、過去を懐かしむだけの年寄りでもない今
だから、向き合えることや、見えてくるものがあ
りますね。
相棒さん
おはようございます。
「過去を懐かしむだけの年寄り」
これは気をつけなければいけませんね。
今を生きるために必要なものを見分ける力。
これが大事ってことでしょうね。
それが生きることを楽しくしてくれそうに思いますよね。
夫が亡くなって、夫の服の整理を一気に行いました。状態のいいものはお参りにきてくださった夫の友人にもらってもらいました。そうでないものはゴミに出しました。でも、いつも着ていた服はまだ手元に置いたままで、タンスの引き出し一つ分が残っています。もうすぐ亡くなって2年・・・もう処分してもいいのですが、止まったままです。アルバムの整理は終わりました。私もりっつんと同じように大量のアルバムを整理しました。アルバムから写真をはがし、1次審査、2次審査、3次審査まで絞り込み3人の子どもと自分用に小さなアルバムにまとめて1周忌の時に子どもたちに渡しました。とってもすっきりしました。自分の服については、自分の頭で把握できません。自分のものにはまだ執着があるようなのでこれからの課題です。鴨長明の話が出てきたので本箱にあった夫の本を思い出しました。「小説 鴨長明」 作者久山善正 本の後ろには1978年7月12日 寺町二条(京都)の本屋さんで購入したと書かれていました。そういえば、生前、そんな話をしていたなあと思い出しました。私も方丈記は気になっていたのですが。まずは夫の残したこの本を読んで見ようと思います。
tomoさん
こんにちは。
着々と整理が進んでいるようですね。
アルバムの整理、大変だったでしょう。
労力をかけた分、終わると、本当にスッキリしますよね。
これはやった人でなければ、わかりますまい( ̄^ ̄)ゞ
「方丈記」は古典としては読みやすい本です。
現代にも通じる無常観。一読の価値あり!です。
「小説 鴨長明」
わたしも読んで見ようと思います。
でも、見つかるかなあ。古書ですもんねえ。
京都で買ったなんて、なんとも風情があって素敵です。
教えていただいて、ありがとうございます。
ホワイトキャットさん
コメントありがとうございます。
FPの件ですが、ご紹介できる人材も思いつかず・・・。
申し訳ありません。
「日本FP協会」でも人材の紹介をしているようです。
本職の人の目線で見直しをしてもらうことは、とても効果があると思います。
試されてみる価値あると思いすまよヾ(@⌒ー⌒@)ノ