この町に住んで30年以上になりました。
まさかこんなに長く住むことになろうとは。
もう、ここはすっかりわたしの故郷です。
この町、東京からは通勤範囲内にあります。なのでご近所の皆さんは、ほぼ東京へ通勤していました。
まあ、いまでも都内へ向かう電車は混んでいるので、それなりの通勤者はいるのですが、やはり数は減っているように思います。
越してきた当時は、30代の住人が多い町でしたが、しかし最近は若い人が少なくなりました。日本全体がそういう傾向だから、仕方ないのだけど。
10年前と比べると、飲食店も激減しました。
駅前にあったラーメン屋さんも、道路沿いにあったパン屋さんも、いまはなし。生活に直接影響が出るほどではないけれど、選択の範囲は狭くになりました。
小学校の学年は5クラス編成でしたが、今では2〜3クラス。
いまも昔も、若者たちは中心点を目指すもの。
かつてそこで学んでいた子どもたち。我が家の息子たちもそうですが、一駅でも都内へ近い町にと、越してしまった人が多いです。
それでも、少しずつ古い家が壊されて新築の家が建ち、若い人たちが引っ越してきて、それなりに新陳代謝はしています。
しかし、空き家はあまりありませんし、中古物件もあまり出てきていません。
ということは、つまり、住んでいる人たちのほとんどは変わっていないということ。
そして、その人たちは、わたしも含めて日々高齢化。
かつて混んだ電車に揺られて、都内まで働きに行っていた人たちが、いまはのんびりと暮らしている町。
それがこの町の実態。
日中には男性の姿なんて見かけなかった30年前ですが、我が家の近辺では、元気な日中(在宅)おじさんが増加しています。
高度成長期からの日本を支えた人々。通勤時間1時間以上もかけて東京まで通った団塊世代の人々。
はてさて、これから10年を過ごしたら、どんな町になっていくのでしょうか。
いまは畑を耕したりして、まだまだ元気な日中おじさんたちも、いずれは家の中とか施設の中?
「寝るためベッドタウン」として発展したこの町は「寝たきりベッドタウン」へと向かっていくのでしょうか。
都内への通勤距離圏にある町には、そういう町がたくさんありそうです。
とりあえず、できることといえば、できる限り邪魔にならない老人を目指すことくらい。
老人どうし、助け合うしかないのかな。
若い人の力にも限界があるのだから、それが一番現実的。
町全体が老人介護施設だと見立ててみる。町全体が介護施設だと思えばいい。道路は廊下?(笑)
くれぐれも若者を巻き込まないようにしよう。どうしたって最後には世話にならざるを得ないのだから、せめてギリギリまでは巻き込まないようにしよう。
あっちうろうろ、こっちうろうろ、ああでもない、こうでもないと右往左往。
そうして三途の川の順番待ちをしよう。
「どうぞ、どうぞ、お先に~」と譲り合う声が聞こえてきそう(笑)
人の気配が少なくて、大きな空のある、この町が大好きなんだけれど、それは年をとって、物欲が減ったからこそ、感じられることのようです。
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