未亡人として、25年。

夫の命日を迎えて墓参りを済ませた。庭には夫の好きだった沙羅の花が咲き始めた。

 

24年

23回目?24回目?あやふやである。死んだ年は数えないから・・・。細かいことはもういい。

とりあえず墓参りには行った。ほかには何もしない。未亡人失格かもしれない。「今だに夫を思っています」とは、とても言えない。

「夫はわたしの中に住んでいる」とか言って、墓参りの数が減ったことの言い訳にしている。ここ数年は命日に参るくらいになってしまった。

息子は「あそこ(墓)には何もないよ」と科学者らしいことを言って、わたしが墓参りをサボることを援護をしてくれる。「無理して行くな」と言ってくれる。そう言われると肩の力が抜けてホッとする。もちろん墓参りはサボっても、夫への感謝までは忘れていないつもりだ。

24年か。

わたしは24歳で結婚した。つまりわたしが生まれてから結婚するまでと同じ年月を、わたしは形のない夫と暮らしてきたのだ。とてつもない年月だ。赤ん坊がウエディングドレスを着るまでにかかる時間なのだから。

24年を過ごして、わたしも変わった。姿形だけでなく、もう24年前のわたしは、もうどこにもいないだろう。

 

祖母のこと

今から60年前のこと。わたしの母方の祖母は49歳で夫(わたしの祖父)を亡くした。わたしが1歳の誕生日を迎えて数日後のことだった。

祖父は飲酒運転のトラックに轢かれて死んでしまった。その町で初めての交通事故の死者だという。祖父はたぶん50をいくつか過ぎたくらいだったのだろう。孫のわたしは祖父の死んだ年齢も誕生日も知らない。祖父が知ってる孫の顔はわたしだけだというのに。

祖父の死後、残された祖母と母の弟たち3人。18歳と15歳と12歳だった叔父たち。祖母は土地を切り売りしながら息子3人を育て上げた。

そして祖母は祖父の死後、33年を生きた。

「33回忌を済ませるまでは」が祖母の口癖だった。そして祖母は願いどおりに33回忌を済ませた1か月後に、実にあっけなく、しかし見事にこの世を去った。

わたしにはそういう願いはない。

 

特別な夕焼け

これはきょうの夕焼け。一筋だけピンク色に染まっていた。

夫が亡くったのは午後の8時前だった。その日の夕方、燃えるような夕焼けをホスピスの窓から見た。あんなに燃えるような夕焼けはその後見たことがない。

特別な夕焼けだったのだろうか?

そう。確かにわたしにとっては特別な夕焼けだったのだ。だけど客観的に見て特別な夕焼けだったのかは疑問だ。

普通の夕焼けだったのかもしれない。だけど衝撃的な出来事と結びついて、わたしの頭の中には燃えるような夕焼けとして記憶されたのかもしれない。

ほのかにピンク色に染まる夕焼け空を見ながら、そんなことを思った。そのことに気づくのに24年かかったということか。

もう、この日を迎えても、わたしの心が不安定になることはない。かつて、この日が来るのが怖かった。そんな年が何回かあった。そのうち、この日を忘れて過ごしてしまうのかもしれない。

人は変化し続ける。


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ABOUTこの記事をかいた人

りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。