岡部医院のケアマネさんが、「ホームホスピスを運営」というニュースを見て。

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yhooo!ニュースで、「ホームホスピス」という言葉を見つけました。

ニュースのデータ

3月8日 配信 Yahoo!ニュース

「どう死ぬか」ホームホスピス、笑って過ごすもうひとつの家

 

ホスピスの経験

夫は20年ほど前に、胃ガンで他界しました。

最期の1週間は「上尾甦生病院ホスピス病棟」のお世話になりました。

夫はホスピスに入る3か月前に、都内の大学病院で人工肛門をつける手術をしました。

腹腔全体にガンが広がってしまったからでした。同時期に胆汁を体外に出す管の処置もしました。

わたしが傷口の手当てやモルヒネの扱い方を習い、家で看護することになりました。

夫は入院を好まなかったため、一番長い入院でも18日間と、ほとんどが家での闘病でした。

看護担当はわたし。若かったからこそ、できたことです。

しだいに痛みが強く出るようになり、モルヒネの24時間投与が必要になったために、最後はホスピスに入院することになりました。

当時、ホスピス病棟はベッド数が少なく、入る前に亡くなる方のほうが、断然多かったようです。

現在でもベッド数は15ということです。広々とした施設環境ですが、ほとんどが個室なので仕方がありません。

わたしたちは運に恵まれ、何とか入れてもらえることになりました。

5月の下旬、息子たちも連れて、家族4人でホスピスに移動。家族用の部屋も借りました。

小学生の息子たちは学校を休むことになりましたが、看護師さんたちが面倒をみてくださったおかげで、わたしは夫の世話に専念できました。

息子たちは看護師さんの計らいで展望大浴場で泳がせてもらったりしていました。

当時、患者の平均入院日数は1か月足らずだということでした。

入院当日、夫は歩いていましたが、血液検査の結果で「危篤状態」との宣告を受けました。案外、人は最後まで歩けるものです。

痛みのコントロールはできているはずなのに、痛みを訴え続ける夫。

先生は「体の痛みは取れてるはずですよ。痛いのは心なんです」と。

そして手を当てることの意味を教えてくださいました。

看取ったのは、わたしと2人の息子と義母の4人だけ。静かな最後でした。最期の脈は当時5年生だった長男がとりました。

先生方は廊下で待機していて、病室に入ってこられたのは、亡くなってから10分くらい経った後。最期の瞬間を家族だけで迎えられたこと、今でも感謝しています。

やれるだけのことはやったと思いました。しかしそんなわたしにも、1つだけ心残りがありました。

実は夫は入院してすぐに「家に帰りたい」と言い出し、先生や看護師さんは家に帰れる方法を懸命に検討してくださいました。

しかし話し合いの最中、突然夫は「もう、ここでいいです」と。たぶん、何かに納得したのだと思います。笑顔でした。

夫はホスピスのみなさんにも、心からの感謝の言葉を告げて、逝きました。

でも、わたしの心にはずっと引っかかっていました。できるなら、家で看取ってあげたかったと。

 

父の在宅ケア

今から3年前のことです。

今から3年前のこと。当時85歳だった父。単なる体調不良かと思っていたら、ガンが広がっていて余命2か月の状態と判明しました。

あまりに突然の宣告でしたが、病気というより老衰だと理解しました。

父はその数週間前には東京で夜景を楽しみ、ビールを飲み、焼き鳥をバクバク食べていましたから。

実家は仙台市内にあります。父は家に居たいと強く望んだので、家族で話し合い、在宅ホスピスのさきがけである岡部医院にお願いして在宅看護を選択しました。

わたしは埼玉と仙台を行き来しながら、看護をすることになりました。

今回の「ホームホスピス」を実現された方は、岡部医院でずっとケアマネをされていた方だそうです。

記憶が定かではないのですが、お名前に憶えがあるような気がしています。

父の看護は2か月ほどでしたが、在宅看護のシステムを経験しながら、わたしはたとえ1人でも自宅で死にたいと強く思いました。

朝晩、看護婦さんが来てくれる。薬剤師さんも来てくれる。容態に応じて先生もすぐに来てくれる。電話をすると、だいたい30分以内には誰かが駆けつけてくれる。自分に覚悟さえあればできると思いました。

患者が望まなければ積極的治療はしないし、患者が嫌がるケアもしない。患者が納得しない行為は絶対にしません。それは夫の時も同じでしたが、しみじみ、人としての尊厳が守られていると思いました。

ある先生は父の足湯に付き合って、一緒に足のマッサージまでしてくださいました。

看護婦さんは父の話に何時間でも耳を傾けてくださいました。岡部医院の手厚い看護には、感謝の言葉以外見つかりません。

父は2ケ月の短い横臥の後、住み慣れた自分の家で、穏やかに今世の命を閉じました。

しかし、何もかもが円滑にいったわけではありません。大変なこともありました。

母が24時間、死をまじかに控えた人を見守るという緊張感に堪えられなくなってしまい、心の安定を崩してしまったのです。

高齢ということもありますが、気が詰まってしまったのでしょう。

わたしに看護経験があったからこそ、できたこともありました。

短期間でしたし、家も広く、人手も多かったので、何とか乗り切ることができましたが、やはり、現代では人を看取るということが容易でないのは事実です。

人生の最期には、経験のある人たちの手助けが必要不可欠だと痛感しました。

 

ホームホスピス

ホスピスと在宅看護とホームホスピス。選択肢が増えることはありがたいことです。

そういう場所があったら、どんなに心強いでしょう。

いろいろと課題はあると思いますが、ホームホスピスが増えていく方向に進むことを切望します。

そして、もしわたしにも手伝えることがあるなら、手伝えたらいいなと思っています。

資格はありませんが、掃除をするだけでも、話をするだけでも、何かできることがあると思っています。

「どう死ぬか」ということを、わたしは時々自分に問いかけています。

それは、これからを「どう生きるか」ということに直結することだと思っているからです。

補足

ホスピスにかかる費用が、以前とは大きく違っているようです。

わたしたちの時は1日の診療費が3000円。

個室料金を含めても大した金額ではなかったと記憶しています。

費用の面からもホームホスピスの存在意義は大きいと思います。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m


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経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

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2 件のコメント

  • 今晩は。たった今BSで池上さんと橋田さんの対談を見ていたところです。
    ふと開いたこのブログのテーマがとても心に入って来ました。
    やはり、これからの自分の生き方、死に方をしっかり考えねばならない
    年齢になっています。
    最近は、「老衰」で死にたいと思っています。
    そのためには、制度も変わるべきだと思います。

    • となりまちさん。
      「老衰」で死ぬのは最高な死に方ですよね。
      そういう死に方をするためには、
      積極的に医療とは関わらないほうがいいと思ったりしています。
      「自分ことは自分で考えよう!死に方ももちろん」と思いますよね。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。