闘病を続ける大切な人を支えている友がいます。
同じ体験をしているわたし。
あの頃の気持ちが、ふとよみがえってきます。
いつのころからか、わたしの頭の中にずっしりと根をおろしていること。
それは「無常観」というものです。
25年前に見た風景
夫の胃がんが再発したことが分かったのは、亡くなる10か月前のこと。
抗がん剤の治療のため、都内の大学病院に10日ほど入院することになり、わたしは毎日1時間かけて、病院に通うことになりました。
毎日電車の中から見る景色は、まるで白黒のよう。
わたしの時間だけが、止まってしまったように見えました。
なんで、わたしたちばかりが・・・。
一歩外に出ると、普通の暮らしをしている(ように見える)人たちばかり。世の中から置いてけぼりを食ったような、疎外感を抱いていました。
電車の窓から見えた、夏のなごりと秋の気配が入り混じる景色。その景色が教えてくれたことを忘れることができません。
わたしに何が起きていようとも、世の中は何1つ変わることなく動いている。
みんな、消えてしまえ
あの時のわたしは、ただただ悔しかったのです。自分に降りかかっていることなど、受け止められるはずもありません。
「みんな、消えてしまえ」と心の中で思っていました。
世界が一瞬にしてなくなればいいと思っていました。
しかし、車窓から景色を見続けていたら、ある瞬間に、こんなことがスーッと頭の中に入り込んできたのです。
「この景色は今も変化しているんだ」
「この電車に乗っている人だって、100年もすれば、誰もいなくなるんだ」
立ち並んでいるだけの建物。その建物だって、昔からここにあるわけではないし、今、解体されている建物のある。少しずつだけど、変わり続けている世界。
今、電車に乗って歩いている人だって、動かなくなる日が必ずやってくる。
この世は何一つとして、とどまることなどない。常に変化し続けている。
時間が止まったりはしないということを実感したのが、電車の中での、あの瞬間だったのです。わたしは35歳でした。
25年後に見ている風景
あれから25年。様々なことを乗り越えてきました。
夫と生きている時には「競争」の中に身を置いていました。
それは夫がまだ30代で社会の中で最前線にいたからでしょう。わたしも最前線の戦士になったような気分でいました。
しかし戦線から離脱したことで、わたしの中で新たな価値観が必要になりました。
その根っこにあったのは「無常観」
競争に勝って「すごいねえ」と褒められれば、快感を得ることはできるけれど、それも一瞬。
もう「大邸宅へのあこがれ」はないし「憶り人」なんて言葉にもほとんど反応しません。
だって、しょせんはこの世での借物。
いずれは、すべては返却しなくてはならないのですから。
それよりも、もっとやらなくてはいけないことがあるかもしれない。
人として生まれたのだから、人として死にたい。
じゃあ「人」ってなに?「人らしい生き方」ってなに?
川の流れを見ていると、わたしたちは流されている小さな泡みたいなもの。
流れていく時間の流れの中で、自分をどう立てて泳がせていくのか。それだけのこと。
方丈記
『方丈記』をいつも手元に置いています。わたしにとって、心がつらい時には、この本に勝る本はありません。
『方丈記」を書き写していることもあります。
ひとつひとつの文章に心から納得できる自分に驚いています。生きた環境がまったく異なる800年も前の人に同意できるというのは、そこに真実があるからなのでしょう。
鴨長明が『方丈記』を書いたのは58歳とされています。
鴨長明は方丈の庵(四畳半の小屋)を町の外れに建て、ひとりで暮らしましたが、時々都に下りてきては、世間を眺め渡していたそうです。
長明はそんなふうにして、自分の経験と重ね合わせて、人生とは何か、人間とは何かに思いをめぐらせていたのでしょうか。
『方丈記』は800年という長い時間の中で、人々の手によって一文字一文字を書き写されながら、手渡されてきました。
それは時代を超えて、長明の無常感に同感する人々が多く存在したからにほかなりません。
すべての体験はわたしの人生にとって意味のあること。
体験は与えられた「問題集」みたいなもの。
しかし体験というものは、経験するだけでは意味がないのです。
その体験から何を学ぶのか、その体験をどう生かしていくのか、それこそが人生の醍醐味なのかもしれません。
昨日と同じではないわたしが、今日を越えていくのです。
さあ、きょうも流れていこう!
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私は、通勤途中に、40分だけカフェに寄って、読書したりプログを読んで過ごします。今日は、自然に笑みが出て、心と身体に自然の力がわいてきました。私も私らしく流れて行こうかしら。
美代子さん
おはようございます。
きょうもカフェに寄っているのかしら。
流れていきましょうよ!
あっ!流れの中に美代子さん、みつけた!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
たまきさん
おはようございます。
コメント、読ませていだたきました。
未公開希望とのことでのですので、
お返事だけ書かせていただきますね。
遠い地での看病の日々、さらなる苦労も多いことでしょう。
「がん患者の家族も患者」ということを、
ホスピスで言われたことを思い出します。
心労が積もっていることと、お察しいたします。
読みながら、当時のことが思い出されて・・。
「もう、いいことはないだろう」って、あのときは本気で思いました。
どん底でした。
でも、時は止まらない。
子供たちは確実に大きくなっていきます。
男の子2人。これから10年経てば、14歳と17歳ですよ。
どんなかっこいい青年になっているのか。
試練は私たちにだけ訪れるものではないことを、
時を過ごすことで納得しました。
たまたま、私たちには早めに試練が来ただけ。
伴侶の病や死という試練は、
どんな人にも訪れるものだと思います。
とにかく、その日その日を、
懸命に過ごすしかなかったです。
子どもたちは宝です。
わたしは夫が亡くなったときに
「夫はやるべきことはやった」と納得することにしました。
生物として、子孫を残してくれたと。
そうでも思わないと、やり切れなかったです。
「方丈記」ぜひ読んでください!
現代語版に訳されているものも出ています。
今と変わらない真実があります。
どうぞ、眠れるときには、寝てくださいね!
りっつん様、
いつもブログを楽しく読ませていただいてます。
この記事を読んで、全く同じことを感じていたことに驚いてしまいまして…初めてコメントをさせていただきました。
私の主人は51歳、大腸がんです。終末期になり、今は在宅医療に切り替わりました。
私も、主人のがんが発覚した時の日の帰り道から、周りの景色が色褪せた白黒に見えてしまっていました。それまで当たり前に健康で、当たり前に働いて、二人で楽しく暮らしていたのが一転、いきなり突き落とされた気分、まさに「なんで私たちばかりが…」と、周りの普通の人たちがうらやましく、疎外感を感じてしまったものでした。
だけど、結婚しているかぎりは、いつか相手を看とる時が来るのだ、私はそれが早くに来ただけだ…と、最近、なんとなく思えるようになりました。
周りの人から気の毒がられても、気にしないようにしています。
恥ずかしながら、両学長のYouTubeでりっつん様を知り、私も僭越ながら闘病を支える日々のことを書いてみようと4月からブログを始めたのですが、この日の記事は知らずに、一部、見事に内容が似てしまいました(^^;すみません。
私は、りっつん様のブログからいつも勇気をもらっています。
来年の今頃には確実に主人は私のそばにはいないと思うと、何度もめげそうになりますが、りっつん様のいう『主人のドラマの最終回』のその日まで、後悔のないように残りの時間を大切にすごしていきたいと思っています。
すいっちょんママさん
はじめまして。
本当にピンポイントで、「あの日」なんですよね。
世の中からはじき出されたような疎外感。
同情されるのが、一番嫌でした。
同じような境遇にあれば、同じようなことを考えるものですよ。
ブログに吐き出すことで、自分も癒されるものです。
ブログには自分を癒す力があります。
生きている者すべてに共通しているのは、
「いま」しかないということです。
みんな気がついていないだけか、知らんぷりしているだけ。
どうぞ「いま」だけを過ごしてください。
はじめまして!私は京都在住の62歳になるオバサン(おばあさん?)です。
私も両学長のYouTubeでりっつんさんのブログを知り、今日はじめて拝見しました。
心に刺さるテーマの中にも、クスッと笑えるところがあったりで、とても楽しく読み進めてしまいますね。
両学長が『まずは行動してみよう!』といつもおっしゃっているので、私もブログを始めてみようかと思っているのですが、何の取り柄も無く、文章も苦手なのでなかなかその一歩が踏み出せずにいました。でもりっつんさんのブログを読んで、なんだか勇気をいただいたような気がします。ブログ開設…っとその前に、方丈記を是非読んでみようと思います(^^)
ちーちゃんママさん
はじめまして
両さんが言うとおり。
まずは自ら行動してみるしかないのです。
それ以外に新しい道は歩けません。
やってみると、思いがけない自分に出会えて、びっくりしますよ。
方丈記は短編なので、ぜひ。
現代語訳も数種類出ています。
そして、ぜひ、河合神社へ!
美人の神様がいらっしゃいますよ。
お化粧室という不思議な建物があります。
とても面白かったです。