笠間の栗を食べながら、よみがえる記憶は小学2年生のわたし。

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有名な焼き栗をいただきました。

茨城県の笠間市の焼き栗です。並ばないと買えないという高級栗。

今年も味わうことができて、とってもうれしいポン!!

とにかくでっかいんですよ。そしてホクホクしていて甘いんです。

茨城県は芋と栗の産地!サイコーです!

間もなく干し芋の季節もやってきます。

 

栗の思い出

栗を食べると、必ず頭の中に浮かんでくる話があります。

(たぶん)小学2年生のときの国語の教科書に載っていた話です。

こびとさんの話でした。

森に住んでいたこびとさん。ある日、大雨が降ってきて避難を余儀なくされるのですが、避難するときに乗ったのが、栗の皮の舟だった。

2人のこびとが、栗を半分に切って、中身をくり抜いた栗のからに乗って避難。木の枝で漕いでいくのです。

そして友達を助けてにいくという話だったような気もします。

話の展開を詳しく覚えていないのが、とても残念です。

たぶん、相当に衝撃的だったのでしょう。

頭の中には、

栗→こびとという図式が出来上がってしまいました。

あれから、およそ55年。

ひぇ〜!!55年だって。書いていて驚いた。

あれから、そんなに時間がたったのねえ。Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

いまだに、栗を食べると思い出すのです。毎年、必ず。

 

教科書の魔力

同じように、もうひとつ、忘れられない物語があります。

こちらは小学3年生の4月に渡された教科書だったと思います。春だったことは確か。なぜなら一緒に春の匂いを思い出すからです。

首の長いキリンがアドバルーンを見て、何かを思うという話でした。

こちらも内容までは記憶されていないのですが、教科書に乗っていた挿絵だけはしっかり覚えているのです。

キリンの横顔と遠くに見えるアドバルーン。

以来、たくさんの教科書とともに、学校に通いました。

が、内容については、ほぼ・・・・

記憶にございません。

わたしが育ったころ、そんなにたくさんの本が身近にあったわけではありませんでした。

童話もそんなに読んだ記憶はありません。

そんな環境の中で、物語の世界に自発的に触れたのは、教科書だったのかもしれません。

新学期が始まって、新しい国語の教科書が配られると、ワクワクしたのを覚えています。新しい話を読むことができるからだったんですね。

手にした途端に夢中になって、最後のページまで読み通していたことを思い出します。

現実とは違う世界が広がってる大きな世界。

そういう世界があることに気づいたのかもしれません。

そんなことに気づくらいに脳が発達するのが10歳前後なのかもしれません。

わたしは小学5年生のときには本好きを自覚するようになっていましたが、そのきっかけになったのは、国語の教科書だったのかもしれません。

栗を食べつつ、小学生だったころのわたしを思い出します。

どんな小学生だったのかは、さっぱり記憶にございません。

記憶はかけら状態です。

時間というものは不思議なもので、一瞬前のわたしは、もうどこにもいないのです。

一瞬先のわたしもいません。

過去も未来もない。今だけ。この瞬間だけ。瞬間をつなぎ合わせているだけ。

ただ、いろんなわたしを飲み込みつつ、61歳になったわたしという物体が、ここにいるだけのようです。


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ABOUTこの記事をかいた人

1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。