不安で貯めたお金は使えないという話

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不安で貯めたお金は使えない。どこかで読んで印象に残ったらしく、わたしの頭の中にしっかりと記憶されています。

 

不安で貯めたお金は使えない

なんでお金を貯めるのかと聞かれれば「不安だから」という答えが返ってくることが多いとのこと。

特に年を取ってくると、そういう答えは増えてくるらしい。

若い頃には、貯金にも目的がありました。お金を貯める目的がはっきりしていました。

「住宅が欲しい」とか。

「子どもの教育費」とか。

それが年を取ってくると「不安だから」という漠然としたものに代わってくる。

不安が消えないかぎり貯めたお金は使えない。そりゃ当然です。不安のために貯めたのだから。

だけど、生きているかぎり大なり小なりの不安から解放されることなんて、たぶんありえないです。

大きな何かがやってこないと、貯めたお金は使えない。

だけど、実はそんな大きな何かなんて、やってこないのかもしれない。

想像しているより、もっと自然にやってきて、小さな何かとして何気なく通り過ぎていくのかもしれない。

だから不安が解消される日まで、そのお金は通帳の数字となって残り続けることになるのでしょう。

不安が解消される日って、いつ?

 

子どもがいなかった80代の女性の話

わたしの友人の叔母に当たる女性は、夫の死後20年あまり、ひとりで持ち家の一戸建ての家に暮らし続けました。

わたしの友人が時々見回りがてら会いに行ってました 。そのたびに叔母さんは「お金が足りるかな」と不安がっていたのだそうです。

だから、友人は叔母さんはお金がないのだと思っていました。

その叔母さんが病んで、ついに一人で暮らせなくなりました。友人が施設を探してきて入所させたのが、昨年のちょうど今ごろ。

できたばかりの介護つきの施設。1か月の費用は40万円くらいとのでした。友人がこれくらいなら自分が負担してもいいということで決めた施設でした。

叔母さんはその施設で2か月後にわたしの友人らに看取られて静かに亡くなりました。

実はガンの末期でしたが、叔母さんは治療をまったく望まなかったそうで、無治療でした。それほど苦しむこともなく亡くなったそうです。

医療費もほとんどかからなかったので、2か月分の施設費に医療費と雑費を足しても、大したお金を使わずに逝ってしまったのです。

残された遺書には、全財産をわたしの友人に譲る旨が記されていました。

資産を整理してみて、友人はビックリしました。

首都圏に叔母さんが住んでいた持ち家が1軒。そしてなんと預金が〇千万円。もちろん持ち家はローンなど残っていませんでした。

「なんで、叔母ちゃん、もっと楽な暮らしをしなかったの!」と友人は涙が出たそうです。

これだけのお金があれば、もっといい施設に入れた。そして楽しい何かをすることもできたのにと。

質素倹約なつつましい暮らしを続けていた叔母さん。そして「お金が足りるか不安だ」と言い続けていたのです。

不安をお金で解消する術を知らなかったんでしょうか。どこでお金をサービスなどに変換すればいいのか知らなかったんでしょうか。

切ない話です。

友人は相続の手続きで、相続人と協議しなければならないことになりました。

子どものいない叔母さんの相続人は、姉妹と甥っ子&姪っ子。

友人は弁護士に委託してすべてを任せることにしました。

相続ということで、音信普通だったいとこも積極的に参加してきたそうです(笑)

このいとこは、叔母さんとは何十年も会ったこともなく、死んだことも知らなかったというのに。

結果として、友人は預金部分の相続を放棄したので、預金の〇千万円は相続人にそれぞれの比率で分配されました。1人ずつに振り分けられても、結構な金額になったようです。

今の世の中、こんな話はたくさんあるのでしょう。わたしも相続に絡むこんな話をいくつか知っていますから。

友人の叔母さんの不安の額は〇千万円だったのかなあと、ふと思いました。

この話を聞いて、わたしはお金は貯めることも難しいかもしれないけれど、使うのはもっと難しいのかもしれないなあと、思いました。

 

わたしにとっての不安は何か

わたしにとっての最大の不安って何なんでしょうね。

わたしは何が一番怖いのか。何を恐れているのか。

それを解消するためには、いったいどれだけのお金がいるのか。計算してみようと思いました。

計算してみて、お金の問題というのは、生き方そのものの問題につながるのたということを改めて感じました。

お金がないとか、足りないとか言う前に、自分にはどれだけ必要なのか、ちゃんと答えられなければいけないんです。

何のために、いつ、どんな場面でお金を使いたいのか。

想定外な事例は、実はあまりないと思います。一般庶民に起きることなんて、ほとんどは想定できるはずだと思います。

まあ、わたしが100歳を越えるとかいうのは、想定外ということになるのかもしれません(笑)

テレビをつけると、不安をあおるようなCМばかりが流れています。

CМにあおられたら、いけないんです。ダメなんです。(笑)

老後はこういう生活ならこれだけかかるとか、病気になったらこれだけかかるとか。

世間一般の金額が、必ずしも自分に当てはまるとは限らないです。

老後にどんな暮らしをするのか、したいのか。どう終わっていくのか。

病気になったら、どう医療と関わるのか。

どれだけの治療を自分に施してもらうのか。どこまで延命するのか。

その辺を考えずして、一般論だけに踊らされて怖がるのは、どうなのかしら。

 

不安が減った

考えていたら、わたしには少し先が見えてきました。

わたしが希望する老後。それにかかるお金。

なあ~んだ。自分のこれからに覚悟を持てばいいだけだと悟りました。

おかげで、お金に関する不安が減りました。もちろんゼロにはなりませんけど。

そんなことを言ってても現実に何か起きたら、あたふたするだろうって?

はい。すると思います(笑) きっと大騒ぎすると思います。わたしのことだから、ギャーギャー騒ぐに決まってる。

だけど今。そんなこと考えても無駄だとばかりに、覚悟を持つことを避けていたら、もっとあたふたするんじゃないかと思うんです。

「予想外だった」とか。「こんなことが起きるなんて」とか。

予想外なんて言うのは、想像力が足りないことを暴露するようなものだから、わたしははいつも「想定の範囲内」と見栄を張りたい。

自分のことくらい、想定できる大人でいたいとなあと思っています。


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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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2 件のコメント

  • こんばんは
    一つの見方としてお金を数千万残す人とは お金を使いたくない人のようです。
    ある方で お金をあまり使いたくない方でたくさん残された方がいらっしゃいました。
    使わないから残るのですね。

    老後不安で使えないのは ある程度理解できます。
    数百万 数千万 は 収入がそこそこないとあっという間に無くなってしまいます。
    黙って蓄えておくというのも知恵の一つ
    全く蓄えず 生活保護を利用するのも知恵ですね。
    価値観の差ですが経済的な理由で 趣味で海外旅行も自由に行けないのはちょっとさみしいと小生は思いますね。
    もったいなくていけないですけど。

    • tomo1955さん。コメントをありがとうございます。
      使いたくないのですか。なるほど!
      お金はあっという間になくなるもの。わたしも実感したことあります。
      かつて息子たちが学校に通ったころは、ザックザックむしり取られて、
      あっという間にかなりの残高が減った記憶があります。
      あんな調子でなくなったら、怖いですね。┐(´~`)┌

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。