39年回目の結婚記念日は”サンキュー婚式”と命名す。

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数日前、結婚記念日を迎えました。

39回目の記念日。夫とは11回しか結婚記念日を過ごしていません。12回目の結婚記念日を迎えるには、20日ほど足りなかった。

39−11=28。

なんと28回も、ひとり結婚記念日!

ひとりで結婚記念日を祝ってはいけないという法律もないので、ケーキなどは食べないまでも、実はこっそりと意識しています。

結婚記念日は、わたしの姓が変わったポイントでもあり、それは大きな分岐点であったわけですから。

あの日から、わたし、別の人?

 

暑かったあの日

新郎だった方は、今やすっかりあちらの国の住人。いまごろ、どこでなにをしているのやら。予想も見当もつきません。もしかすると見分けもつかないかも。

39年前のあの日は「父の日」で、とても暑かった。とにかく暑かった。

体型補正のために、幾重にも体にタオルを巻きつけられ、ミイラ状態の新婦。

最後に布団のような打掛を羽織ったのだから、たまったもんじゃない!

だらだらと足を伝っていく汗。いまでも鮮明に覚えているのは、そんなことだけ。夫がどんな顔をしていたかとか、ほとんど霧の中。

乾杯の音頭をとってくださった方の顔だけ、なぜかくっきり覚えているのが不思議。顔を覚えられないことでは自信があるのに、絵にも描けそう。

夫の上司だった方ですが、名前も覚えてはいないのに。

「今日は父の日。今朝、娘に祝ってもらいました」

こんな言葉で始まった乾杯の音頭。なぜかとても印象に残って、顔まで保存。

参列してくださった中には、わたしの書道の師がおられました。

この方、実は・・・。

 

姓名占い

仙台ではなかなか有名な書道家。

当時すでに直弟子はとってはいなかったのですが、ほんの小さなご縁から直接指導をしていただくことになりました。

わたしに才能があったとか、そういうことでは、まったくありません!

単なるコネ。それもわたしが望んだわけでもなく、おつきあいという名のコネ。

◯◯先生についているというと、筆の達人ではないかと誤解されてしまうので、ずっと口をつくんでました。

書道に関しては、素晴らしい先生につくことができたのに、単なる手習いレベルで終了してしまい、非常に残念な結末(笑)

ところで、この◯◯先生。とある趣味をお持ちでした。

当時すでに80歳を超えていたはずですが、なんと、姓名判断で若者の恋路を占うのが大好きという方だったのです。

わたしもたいそう若かったので、すぐにえじきとなりました(笑)

「恋人の名前をここに書きなさい」

ついに、キターーー。

夫の名前を紙に書いて、しずしずと差し出すと・・・。

じっと見つめたのち、いつになく渋い顔。

「これはダメだ。結婚はやめたほうがいい。病気ばかりで苦労する」

これが先生の姓名判断の結果でした。

あまりに大真面目に言われたので「単なる遊びじゃなかったの?」と驚きました。もしかすると、先生にはほんの少し霊感みたいなものもあったのかも。

その時は、夫はあくまでも恋人。結婚まで考えていたわけでも、あるようなないような。なにしろ、ややっこしい2人でしたので、すんなりいくとも思えず。

そして2年後。

暑い中での布団かぶっての華燭の典。

先生にも参列していただいて、先生自筆の表札をお祝いにいただきました。

 

占いは当たった!

あの占いは当たっていました。

結婚してほどなくして、義理の父にとても厄介な病気が見つかりました。義理の父はそれから3年後には亡くなってしまいました。

看護だ、介護だと、幼い子供を抱えながらも、嫁としての役目をやらせてもらいましたが、結婚早々、わりと暗雲。

病気で苦労するというのは、このことなんだ。

そう思いました。

しかし、それから3年も経たずに、夫の病。

本当に当たっている。

そう思って、ゾッとしたものです。

しかし、夢中になって過ごしているうちに、そんなことも忘れていきました。

なぜか、あれから40年ほどが経過した今になって、ふと、そのことを思い出したのです。

 

結婚しないほうがよかった?

あの時、ほかに可能性のありそうな人の名前も占ってもらって、その中から運の良さそうな人を選べば、もっと楽な人生になったのかしら(笑)

いやいや。

占いの結果を無視して結婚して、いろんなことがあったけれど、その決断にほんの少しも後悔していません。

ここにくるまでには「あの人とさえ結婚しなければ」と思ったり、自分の選択を恨んだりしたことも、確かに何度もありました。

だって、夫に守られている人たちが羨ましくないはずがない。

結婚生活がそんなにいいことばかりじゃないとわかっていても、羨ましいもの。

だけど、ひとり結婚記念日が増えていくうちに、なんだか納得してしまったのです。

“これがわたしの道”

夫の価値観に出会えたこと。

夫を通して新たな人たちと知り合えたこと。

物理的に世界が広がったこと。

息子たちと出会えたこと。

そして、

ひとりで歩かざるを得なかったこと。

 

39年目に寄せて

時に眉間にしわをよせながら、ため息をつきながら、実はワクワクしながら過ごしてきました。

“この先に何があるんだろう”

いくつもの岐路。

いつくかの選択肢を前に、いつも考え抜いてきたつもり。自分で決めたことには責任を持ってきたつもり。

何かを誰かのせいにするということだけはしてこなかった。

ただそれだけのことだけど、それを根気よく続けていれば、デコボコ道だとしても自分の道ができていると、振り返ってみると、そう思うのです。

そもそも、まったくの見ず知らずの2人から始まった、新しい世界。

結婚って、思えば思うほど不思議です。

少しでも何かがズレていたら、出会うことがなかったのだから。

そう思うと、やはり何か大きな力が作用した気がしないでもないけれど。

占いは、参考程度で十分。

当たっていても、こんななふうに後悔しない道を歩くことはできる。

自分の道は自分で整備舗装すればいいのです。

結婚式場で灯した巨大なキャンドル。

結婚記念日ごとに灯すように記がついています。

結婚1年目には灯した記憶があるけれど、2度目に灯したのは、3.11の計画停電のとき。

電気が不足した夜用として、今後もわがやに残るであろうろうそくは、結婚式の証拠品の1つ。

そしていま、言いたいことは、これだけ。

39年目に、サンキュー!


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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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14 件のコメント

  • りっつんさん、こんにちは。
    毎回こんなに私とよく似てる人がいるものだと感心します。
    今回はろうそくのお話。。。私も久しぶりにろうそくをともしたのは震災の時でした。
    あの時生後2か月の孫がろうそくのススで鼻の穴が真っ黒になって、ヤバいと消したのを
    思い出します。。
    私の旦那様もすでにどこかで生まれ変わって生きてると思います。
    そして、人様の生活をうらやんでも仕方がないそろそろあきらめた未亡人16年生です。

    • うさぎさん

      おはようございます。
      震災の時には、あのろうそく、役に立ちました。
      16年ともなれば、やはり生まれ変わってるかしらね。
      もう人様の生活も目に入らなくなってしまいましたよね。

  • 追伸です。
    そういえば、私の顔は「後家の相がある」と母方の祖父から言われていたと
    母から聞いたことがあります。
    その話を主人が亡くなってから母から聞いて、怖くて再婚できません。
    今となっては縁もないし、ニアミス的なものもなく。。。。
    顔の相が悪くて再婚できないことにしておきます(アハハ。。。。)

    • うさぎさん

      実はわたしも「後家の相」と言われたことが。
      でも・・・後家になる確率は高いですよね(笑)
      顔の相のくだり、うまい!!

  • おはようございます。

    39回目の結婚記念日おめでとうございます!
    今は、分かれるのも普通の時代になっていますが
    やっぱり、連れ添ってきてよかったと思える人生て
    すてきですよね^_^

    はじめまして、
    りっつんさんのことはリベラルアーツ大学で知りました。
    35歳の男性です。

    自分もブロガーになりたくて、
    最初に拝見したのがりっつんさんのブログでした。

    その後、月に~千万稼ぐブロガーさんの研究をしてましたが…
    心がポキリ…

    自分には収入をバグらせることは向いてないようです…

    それでも、ブログを書くことは楽しくて、
    つづけていきたいなと思いました。

    そしてちょっとお小遣いがはいれば幸せだなと…w

    現代3ヶ月の駆け出しブロガーです。
    これからもりっつん先生に学ばせていただきます!

    • よーいちぃーさん

      はじめまして。
      わたしはブログでお金が稼げるなんて、本当に知らなかったのです。
      以来、他のブログを見る目が変わりました(笑)
      これはお金の発生するブログ、これはそうでないブログなのねって。
      世の中、知りました。

      ブログは育っていくものです。
      育てる楽しみ、あります!

  • いつもプログを読ませていただいています。
    「夫に守られている人たちが羨ましくないはずがない。」本当にそう思います。テレビでよく老後に夫婦2人でお店をやったり、畑をやったり、移住したりして楽しく暮らしている方たちを見ると、私にはこういう未来がないんだっと思ってしまいます。ラブラブではなかったけれど、共通のスポーツの趣味があり、老後は2人で楽しく暮らしてみたかったです。私にはまだ一人で気楽だ〜と思えるようになるまでに時間が必要ですね。

    • viviさん

      おはようございます。
      なんか1人で生きていると、
      真っ向から風に当たってる気がした時もあって。
      風除けが欲しいなあって(笑)
      いまは、本当に「ひとりでも悪くないなあ」と思えるようになりました。
      でも、また変わることがあるかもしれませんね。
      人の思いなんて、変化し続けるものですからね。

  • りっつんさん、こんにちは。
    先日のりっつんさんからのコメントにあった小池真理子さんのエッセイを、職場の古新聞から探して読みました(笑)
    結婚って本当に不思議ですね。
    そもそも、夫とは血が繋がっていない。
    なのに、こんなにも大きな存在の人。

    夫に頼りきってきた31年。
    「ねぇどうするの?」と言っても、もう答えてはくれない。
    大量に届く夫宛ての郵便物がとても怖かった。
    ただ泣いているだけなら、まだ少し楽なのにと思いました。
    この一年、色々な人にアドバイスを頂きながら、たくさんの事を解決し、自分でこうすると決めました。
    これからも、”わたしの道”を自分で整備舗装します。
    りっつんさんの言葉がいつもわたしの背中を押してくださいます。

    • よろさん

      おはようございます。
      小池さんの連載も終わりです。でもきっと単行本になるはず。
      軽井沢の自然の中での暮らし、ステキです。

      みんなで「わたしの道」を舗装しよう!
      そしてどこかで繋がろう!

  • こんにちは
    今回のお話もいい話でした。
    私はまだまだどんな結婚生活でも、夫に守られている人達が羨ましくて仕方ありません。
    ひとり結婚記念日もまだ2回しかないのですから、りっつんさんのようになるまではきっとまだまだいろんな気持ちになるんでしょうね。
    もう、父も母も夫もこの世の人ではないので、これからは自分を信じて歩いていくしかないのですけど、その自分がいちばん怪しいのです(笑)
    久しぶりに結婚式の写真など見てみたら、集合写真に写っている人がだいぶこの世からいなくなっていました。
    なんとまあ‥この写真の中の私は、想像もしていなかったでしょうね。

    • まめぴよさん

      おはようございます。
      「夫」という響きに敏感なんです(笑)
      先日、わたしも集合写真を見て驚きました。
      もう、かなりの人が、この世を去ってしまいました。
      40年って、そういう長さなんですね。

  • こんにちは、ミックです。私の母も36歳で夫を亡くし未亡人で私と姉を大学まで出してくれました。父は42歳で亡くなり、私が2歳になった年でした。姉が12歳でした。母は泣く暇もなかったそうです。49日が過ぎてやっと冷静になって、あ~この悲しみはいつか消えるのだろうかと思ったそうです。どうすれば消えるのだろうかと。時が自然と消してくれたそうです。
    父を知らない私は今母と二人暮らしです。今72歳です。まだパート勤務してます。
    りっつんさんのようにお金に対して計画的とは言えなかったので、まだ働かないといけないのですが、母は健康のためと言っています。私はりっつんさんや私の母が未亡人になった年齢を少し過ぎても、まだ独身です。最愛の人がいなくなる事は現実的に当たり前にそだったせいか、初めから一人のほうが良いと思っています。
    りっつんさんの境遇がとても身近に感じて何かと参考にさせていただいております。母にも読んで聞かせてみます。
    それでは失礼いたします。

    • ミックさん

      おはようございます。

      時間が悲しみを癒すというか、悲しみを遠ざけるというか。
      息子は自分が父親になるときに、戸惑いがあったと言っていました。
      8歳でしたが、それほどの記憶はなかったようです。

      どんな形で暮らそうと、人はひとりの時間を生きているのです。
      愛する人は意識して巡り会えるものでもないと思います。
      あるとき、ふっと、そばにいたりするものです。
      これから先、なにがあるかわかりませんよ。
      失うことはつらいけど、つらいほどの人に巡り会えたことは、
      幸運だったのだと思っています。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。