夏の風物詩「アリとキリギリス」と神様の思惑

息子たちが小中校生のときの、我が家の夏の風物詩といえば、

「今年もやっぱりキリギリス」騒動であります。

休みが終わる前日は、いつも家内工業的な風景が展開されていました。

 

家内工業的風景

夏の終わり。リビングに広がる、化粧品の空き箱や色紙。

当時わたしは、美への追求に余念がなかったため、おフランス製の化粧品をたくさん購入しておりました。よって、箱はシャネルだのクラランスだのと、派手なものがたくさんありました(笑)

余談ですが、化粧品にそれほどの効果はなかったですね。今でも日本人のままですので。

さて、ただの一度も自力で図工系の宿題がこなせなかった坊やA。

箱の名前を色紙貼って隠す作業の開始です。今年はロボットでも作るべか。

わかってるんです。たぶん、今年もできるはずはないってこと。だから早めにやっとけってね。

だけど、母も忙しい。それどころではない。夏は暑くて、暑い。

「明日やればいいさ」と一日伸ばし。

気がつけば 今年もやっぱり キリギリス

アリにはなれないりっつん家。

この名句が生まれて20年以上。これ以上の名句を未だ生み出せてはおりません。

しかし年を追ってわたしの負担が減りました。我が家には図工系の得意な坊やBがいたからです。

「ここにはこれを貼ればいい?」

「そうだね。そこでいいね」

「僕も何かやろうか?」

「触らないで!」×2人

「紙がまっすぐに貼れて、すごいね」

わたしと坊やBが懸命に作業を続ける傍で、驚嘆の声を上げながら見守る坊やA。

こんな会話をしながら、2時間くらいかけると、そこそこのものができる。ここで大事なのは、目立つような作品を作ってはいけないということ。

とりあえず、出したよ

この控えめな雰囲気が大事です(笑)

 

わたしの絵日記

わたしの過去として、今でも思い出すのは、小学1年かときの「絵日記」

石巻の北上川の川開きの花火大会を見に行ったことを書こうとしていたら、母親が「下手ねえ」と手を出してきた。

「こう書けばいいのよ」

ちょっと絵には自信のあった母親が、書いちゃった。

出来上がった絵は、どう見ても、小学1年生のものではなかった。無理にへたっぴに書いてあるのだけど、大人のタッチであることは、一目瞭然。

絵日記はノート形式だから、破るわけにもいかず、提出。なにも言われなかったので、これでいいんだと思っちゃったお嬢ちゃんは、そのまま親になってしまった。

実はわたしも図画工作系は不得意も不得意。他に不得意科目といえば家庭科。何かを作るってことが不得意なんです。

家庭科でミシンが踏めなくても困ったことはありません。上手な友達がやってくれました。なんとか切り抜けてきました。

そんなことで、わたしは学んだのです。

できないことは、みんなのチカラを借りる。

わたしはやれることに専念すればいい。

 

個性こそが宝

わたしは紙をまっすぐに貼ることのできない坊やAに対して、どんな感情を持っていたかといえば、

できないことも、この子の個性。

そして、そんな個性を愛していました。

できないことも、かわいいなあと思っていました。できないことがあるってことは、できることもあるってこと。

きっと、何かはできることがある。

坊やAは本を読むことが大好きで、小学5年生のときには、探検小説なんかを書いていました。今でも大切に保管してあります。学校の成績には反映されなかったけれど、これは大した能力だと思っていました。

夏休みの光景を思い出すたびに、楽しかったなあと思います。工作の得意な兄弟に対して素直に「うまいなあ」と目をキラキラさせながら見つめることのできる人。これもこの人の個性だと思った記憶があります。

1つができないからと言って、それがその人のすべてを決めたりはしない。そんな思いを持って接していました。できればいいのにと思ったことは、もちろん一度もありません。

 

できすぎ君と平凡君

小学生時代の坊やBは”できすぎ君”でした。

オール5の通信簿。4教科はもちろんのこと、スポーツテストはいつも学年でトップ3に入る。図画工作は県展に出品されること数度。ピアノも弾ける。さらにはモテる。

学校に関しては、手のかからない人でした。今でもその印象のままです。頭の回転が早くて、チャカチャカした人。

それも最初からそうだったというだけのこと。わたしが指導したことなんて1つもありません。

坊やAの方は、中学を卒業してするまで、一度も”秀才”と言われたことのない、平凡な成績の人でした。

平凡というのとも、ちょっと違うか。

平凡な成績の変わり者。

突出した能力かあるとは思えない人でした。

なんとか、自分の口を養える人になってくれればいいと、願っていました。

“存在してくれるだけでいい”

それだけは心の中からいつも伝えていたつもり。どんな人であっても、母ちゃんにとってはかけがえのない人。

しかし、結果として、坊やAはとんでもない進化を遂げました。

坊やBもなかなかユニークな人生を歩いています。

そんな息子たち2人の今を知った人から、こんなことを問われることがあります。

「どうやって育てたの?」

だから、正直に答えます。

「ご飯、食べさせてだけ。布団、干して寝せてただけ」

「お金をかけてはいないよ」

ところが、そう言っても、信じてもらえません。

ものすごい教育熱心な人だと勘違いされて、とんだ迷惑です。しかも、事実を言ってるのに、嘘をついてるとか、説得力がないと言われる始末。

ま、正確に言えば、大雑把な教育的指導はありました。しかし何しろわたしだけの独断と偏見による指導なので、果たして指導と呼べるのかどうか(笑)

いろんなポイントで坊やAは落ちこぼれそうになりました。確かに、そのときだけは救いの手をさしのべました。

最後のこぼれポイントは中1での英語。ローマ字で名前すら書けず、置いてけぼり。すでにみんなは塾などの先取りでスラスラでしたから。

しかたなく夏休みに「I have a pen」を教えたのは、わたしです。( ̄^ ̄)ゞ

なんとか2学期からは、そこそこついていけるようになりました。だから母ちゃん英語もそこまででおしまい。

そんな人でしたが、今ではどこで覚えてきたのか、母国語レベルに英語を操ります。本当に不思議だ。

 

神様の預かりもの

どこかで、みんなは勘違いしているように思えてなりません。子どもがいい成績をとったりするのは、親の手柄だと。

「わたしはこうして息子を●●大学に入れました」とか。

すごいなあと思います。でも「だから何?」とも思います(笑)

そういうこともあるのでしょうが、そういうことがなくても、そう育つ人はそう育つのです。

坊やAの突出した能力に最初に気づいたのは、高校1年生のときの担任の先生でした。

言われて、まじ、びっくりした記憶があります。そのときの先生の予言がわたしには信じられなかったのですが、坊やAの現在はその予言をも超えたポジションにいます。

「人の未来など、誰にもわからんようにしてある」by 天の声

そもそも子どもは神様からの預かりもの。

神様はちゃんと使命を与えて、この世に送り出しているはずなので、親にできるのはあったかい気持ちで育てるということだけ。

自分で自分の能力に気づき発揮できる人に育てる。

これが子育ての真髄なのかなと、今は思っています。それは学力ともあまり関係がないように思います。

だけど、これがなんてったって難しい。どうやればいいのか、わかりません。

親の思うとおりになんぞ、いくはずもない。神様の思惑はかなり深いよ〜。

わたしは特定の信仰を持っていませんので、神様とか言っていますが「わたしの思惑の及ばない大きな存在」とでも解釈していだたければ、幸いです。

または、仏さまとか、ご先祖さまとか、天使ミカエルとか、適当に当てはめてください(笑)


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ABOUTこの記事をかいた人

りっつん

1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。