死に方は選べない。何かできることはあるのだろうか?

友人からメールが届きました。メールを読みながら、死に方と残される者について、ちょっと考えてしまいました。

 

突然死

友人からのメールは、こんな内容でした。

「年下の友人が突然死。家族にとっては、病気で看病したほうが、いいのだろうか・・・」

残される者(主に家族)にとっては、突然に死なれるより、看病という期間があったほうが、いいのでしょうか?

わたしの周りにも、突然にパートナーを亡くした人が何人かいます。

「心臓発作で3分もかからずに死んでしまった」(友人の言葉のまま)

「息子の中学の卒業式の朝、夫を起こしに行ったら、冷たくなっていた」(友人の言葉のまま)

風邪のウイルスが心臓に入って、1週間で逝ってしまった知人もいました。わたしは、これも突然死みたいなものだと思っています。

病気療養中で退院予定の前日に、突然亡くなってしまったという知人もいます。そこまで深刻な病ではなかったのに。

みんな、還暦前のことでした。60歳どころか、50歳を超えずに亡くなった方もいます。当時、残された家族の心労は、たいへんなものでした。

あっけなく逝かれると、あまりにショックが大きくて、立ち直りに時間がかかるとか。看護する期間があると覚悟ができて、諦めもつきやすいとか。いろいろ言われてはいます。

ある程度の看病期間があると、確かに覚悟もできます。いや、正直に言えば看病することに疲労してしまって、諦めてしまいたくなります。

わたしは夫を見送った時に、寂しさと同時にホッとしたことを思い出します。

「もう、あの姿を見なくてすむ」

「いつ息を引き取るのかと、ハラハラしなくてすむ」

なんとも言えない安堵感を持ったことは、今も鮮明に覚えています。

わたしは、夫と過ごした最後の日々で、体力、気力、使い果たしました。もうわたしにできることはやり尽くしたと思いました。

しかし、体力、気力が回復してくると「夫にもっと何かできたんじゃないか」と自分を責めてみたり。最善を尽くしたと思っいても、後悔はあるものです。

感情や精神が安定しない期間は長く続きました。長く看病させてもらったけれど、わたしは立ち直りが早かったとはいえない。それほどに「死」という現実は、36歳のわたしには衝撃的な出来事でした。

どのように死のうとも、事実は1つだけ。

大切な人とは、もう触れ合うことはできないということ。その事実をどう受け止めていくのかということが、残された者の課題かもしれません。

 

それまでの関係性

死に方は選べないんです。どう頑張っても、どう願っても。

しかし、わたしが思うのは、死に方だけが、残された者の明日に影響するわけではないということ。

わたしの周りで、親やパートナーを亡くした人は何人もいるけれど、今、みんな、元気です。わたしも含めて(たぶん)楽しく生きています。

その人がいなければ生きていけないなんてことは、ないのです。どこまでもわたしという主役は消えない。劇中で1人の脇役が消えたとしても、主役とともに舞台は続いていくのです。

人間には自分を生かし続けるという本能があるので、それぞれ自分の道を歩いていくことになっているのです。

大丈夫。残された人は、なんとかなる。

そうして、ホモ・サピエンスは続いてきたんです。

もちろんわたしは自分の死んだ後のことなんて、まったくに気にしていません。

わたしが死んだら、わたしの世界は完結です。お・し・ま・い。

どう死ぬかは、いわば偶然に支配されているだけかもしれません。たまたま、そういうことになったというだけ。

しかし、その死を通じて、死にゆく人は何かを伝えているのかもしれません。

そのメッセージを、受け取ろうとするのか、そして受け取れるのかは、残された人しだい。

ある程度の年齢を越えていたら、もうそれは人間の定めとしては必然なので、残された者が立ち直るのも早いような気がします。

死に方よりも、実年齢のほうが、まだ、その死に対して納得できるかもしれませんね。

わたしのように30代で夫を失ったりすると、ゆっくりと悲劇の主人公を味わうことができます。

しかし、残された者も60歳を超えていれば、もうそんなこと言ってる時間はありません。すぐに自分の番になってしまう。

大切な人たちと、一緒に、どれだけの時間を、どう過ごしたかということが何より大事だろうと、わたしは思うのです。

きちんとした関係が築いてあれば、自分の死を通じて、残された者への温かいメッセージをプレゼントできると、思うのです。

 

なぐさめは何か

大切な人がいなくなっても、その人の気配というものは、しばらくの間、家の中に残るものです。残した物に、その人の生きざまが反映されていますから。

わたしの夫はカメラが趣味でしたので、たくさんの機材が残されていました。

「これだけ好きなことができて、よかったよね」と、腹立ちながらも思いました。こんなに買って・・・とね(笑)

夫がやりたいことを我慢し続けて、妻や子の生活のためだけに生きていなくて、本当によかったと思いました。

夫にはわたし以外に、最期まで親密にお付き合いしている人がいたのですが、今となっては、それもよかったと思っています。

まあ!なんて心の広い女なのでしょうか!あはは(笑)

でも神に誓って、これは本心です。

この心境に達するために、わたしはせっせと年齢と人生経験を重ねてきたようなものです。( ̄^ ̄)ゞ

「短い人生のわりには、愛に満ちた人生でグー!」

「モテる男で、よかったよね」

今となっては、夫の武勇伝でもあり、笑い話でもあります。

妻だからという理由だけで、夫の心に塀を立てる権利はないです。心を縛ることは無理です。

あちらで夫に会ったら「何がどう好きだったの?」と聞いてみようと思っています。

たぶん夫はこと細かく(大いに盛って)丁寧に説明してくれるはずです。夫には笑って会えるという確信があります。そういう確信を持てるだけの関係は築いていたつもりなので。

いろんなことがありながらも、夫が最期の眼で見ていたのは、実母とわたしと息子たち。これがわたしたち家族の1つの事実ではあります。

最期の言葉を残した相手はわたしだったということも。

「課長 島耕作」に出てくる誰かのように、愛人宅で死ななかったことが、救いといえば救いかもね(笑)

もしかすると、最期の場所くらいは選ぶことができたのか?

 

結局、生き方

なんだか、とりとめのない話をしてしまいました。

つまり、残された者を慰めるものは、その人の生き方しかないのかなと思っています。

どれだけ人生を楽しんで、味わい尽くしていったのか。人生は長さではないことは確かでしょう。

もしかすると、どんな年齢で終わりを迎えても、名残惜しさは同じかもしれません。

「結局、生き方が大事」

「死に方より、生き方」

 

はあ、そうですか。

ここまで書いてきたら、ふと、自分に対して腹立たしくなりました。

\\\٩(๑`^´๑)۶////

こうして、ありきたりの、きれいに整地された場所に、着地しようとしている。

実は、こういう着地、嫌いなんですよね。どこか、説教くさくて(笑)

やってらんないゾ。

本当にこんなありきたりな答えでいいのか?

なんか、ほかにシャレた着地はなかったのか?

実は人生にはもっと秘密や秘訣があるんだ・・・みたいなね。

別な着地点がどこにあるのか、何なのか、わかりませんけれど、わたしは探し続けるつもりです。

今一度、自分に問いかけてみたいと思っています。「生きるって、なんなのさ?」

来年は、もっと違う結末を書いてみたい!!

これが、いまのわたしの偽らざる心境です。


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14 件のコメント

  • 初めまして。いつも楽しませて頂いてる者です。
    りっつんさんのユーモア(の感覚)が大好きです。

    今回の記事も、りっつんさんにしか書けない
    (というか、りっつんさんだからこそ書ける)ものだと
    惚れ惚れ(感動)してしまいました。
    私も人の死について、自分流の着地点を考えた方がいいのかもと・・・と
    65歳にして初めて考えました。

    読めて良かった! どーしてもひとことお礼が言いたくて
    余計なことを書きました。

    • ムーマ(ねね)さん

      初めまして!
      コメントありがとうございます。
      うれしいことを言っていただいて、光栄ですぅ。

      誰にも「死」ということを
      遠ざけることはできません。
      必ず身近なところで起こること。

      わたしの着地点も何やらアヤシゲではあります。
      どうぞ、ムーマさん流に考えてみてくださいヾ(@⌒ー⌒@)ノ

  • 知人が105歳で亡くなった御祖母さんのお葬式に出席したら、
    親族も、知り合いも、近所の人も、誰一人泣いたり悲しんだりした人はいなくて
    みんな笑っていたそうです。
    その御祖母さんは、周りから嫌われてたとかではなくて、普通の人。
    御身内の方々も、皆それなりに立派な人たちです。

    • チェルさん

      おはようございます。
      105歳はすごいですね。
      わたしの母の実家の地域では(イマイチ記憶が定かではありませんが)
      確か90歳を越えての死去は、お祝いみたいに扱われていました。
      「天に召されてよかったね」ということなんでしょうね。

  • はじめまして、りっつんさんのブログを楽しみに読まして頂いています。一読者ですが、コメントしたくなりました。
    私も若くして夫を亡し長い年月が経ちました。
    詳しくここでは書けませんが、子供も2人、結婚済みです。孫もいます。
    生死については亡くしてから長く考えました。
    その度に気持ちは変わります。
    特に生き方については迷いばかりでした。
    親や子が中心の長い年月を経てこれからは自分中心になってみたいと思っています。まだ難しいですけれど。
    りっつんさんの着地点がどのようになるのか楽しみです。

    • chikoさん

      初めまして!
      コメント、ありがとうごさいます。

      chikoさんも色々な思いをされたんですね。
      早くに喪主の立場になったりすると、
      「死」について思いを巡らすようになってしまいますよね。
      でも、それもきっと無駄ではないのだと思います。

      「わたし」とは付き合い続けなくてはいけないのです。
      それが最後の仕事?かもしれませんね。

      きっと、思いがけない自分と巡り会えるかもしれませんよヾ(@⌒ー⌒@)ノ

  • こんばんは~。
    コメントいつも書いているのですが
    文才のない私は駄目だーと消しています。
    今日のリッツんさんのブログ、涙がでました。
    最近自分の生き様をこれで良かったのと
    思う事しばしば。
    振り返っても仕方ないのに、先が見えて来たから感傷的になるのでしょうね。
    リッツんさんはお若くしてお一人になって思い出も悔しさもいっぱいあるのでしょうね。
    うーん?最後の方これって何なに
    リッツんさん太っ腹!
    私は別の人と結婚してたらといつも思っています_(._.)_
    猫ちゃん早く食欲がでればいいですね!

    • わこさん

      おはようございます。

      文才なんて、あるようでないものですよ。
      思ったことを書けばいいんですよ。
      消さずに投稿してください(笑)

      今、わたしの腹は太いよ〜。ど〜ん!(笑)

      いやいや。この心境に達するのには、
      長い年月がかかっているわけでして。

      自分の生き方だけは、自分で決められるし、
      決めなくてはいけないと思っています。

      ま、人生、暇しない程度には事が起こるものですよ。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

  • はなです!

    そうですね~生き方ですね~
    私は、ほんとに平凡な主婦で、主人中心で生活が回っていたのです。
    突然、入院して、40日で緩和ケアを勧められ、ホスピスに入り、二週間であちらに旅立ってしまい、最期の言葉が、何か食べないとあかんねんやろ?で、眠るように逝ってしまったのです。私の覚悟はできていませんでした。だから霊媒師さんに頼ってしまったのです。確実に表れたのは主人でした。さっさと私を一人にしやがって!と、ふてくされている、私を、生きていた時と同じように、これからは第二の人生があるから、そばにいるからな!と言いました。どう生きたたらいいかもわからない、未熟者ですから、この三年近くで変わったことは、一人で行動ができるようになったことでしょうか(笑)もともと一人行動得意だったはずが…36年ですっかり臆病ものになっていましたから…どんなけ、主人に甘えていたのかが、よくわかりました。今思うと、主人は私に自由な時間をくれたのだと思いました。まだ動けるうちに(笑)好きなことしてみ!なんじゃないかと思いました。未だそれを見つけ出せずに、ちょろちょろしていますがね(笑)

    今世の残りはどれくらいあるかはわかりませんが、死に方は選べませんから、生き方は選ばないといけないのでしょうね。主人は今世の、目標はもう済んだのでしょうね。今度は、全部自分で決める人生の始まりのようです(笑)

    • はなさん

      おはようございます。
      ご主人さん、穏やかな最期だったのですね。
      わたしも、霊媒師に頼ったことあります。
      ほぼ、霊媒師さんの言ったとおりになっています。
      もう期限ぎれですが。
      今聞いたら、どんな答えが返ってくるか、興味あります(笑)

      ご主人からのメッセージ、ありがたいですね。うれしいですね。

      きっとはなさんには、何か仕事が残っているのですよ。
      楽しみですね、どんなことなのか。
      ワクワクしながら待っていましょうよ。

  • ふむ、ふむ~、今朝ブログを拝見して
    から頭の隅で考え続けておりました。
    りっつんさんも仰られている様に
    「いかに生きたか、いかに関わったか」
    に尽きる気がします。
    亡きご主人との関係、着地点も
    りっつんさんが生きて考え続ける限り
    変化していくのかもしれませんね。
    そう考えると縁(えにし)を結ぶって
    大変な事ですね。
    人生の秘密や秘訣、加齢の楽しみだと
    思っています。
    若い時よりは随分見えて来ましたし。
    じゃなきゃやってられないですワ!

    • キャサリンさん

      おはようございます。

      キャサリンさんのおっしゃるとおりです!

      若い時より、随分、見えてきましたよね。
      ああ、こういうことだったのか〜って。
      加齢にも楽しみがあるということで、
      積極的に年を重ねましょう。
      ・・・って、積極的でなくても、年は重なりますね(笑)

  • りっつんさん、こんばんは^_^
    今回のブログを見て驚きましたー(*゚▽゚*)
    『心の広い女』のくだり、私だけかと思ったら(笑)やはり師匠は経験済みでしたか(笑)

    夫は倒れて意識が戻らないまま10日後に旅立ちましたが、その間にLINEに来たメッセージで発覚ʅ(◞‿◟)ʃ
    でも、同じくなんだかホッとしました。
    倒れた段階でもう回復の見込みなしと言われたので、彼女も含めてたくさんの人に会いにも来てもらいました。
    私にはそのくらいしかしてあげられなかったので。形見も分けて差し上げました(笑)
    友人には信じられない!と言われましたが、もはや不貞な夫とゆーよりは大切な家族だったので(^^;;

    48歳の若さで旅立ってしまう夫を目の前に、全てが取るに足らない些細な事に思えました。
    もちろん健康だったらぶちのめしてますが(笑)

    身近な人の死は、なるほど周りの人の人生観を変えてしまうんだなぁ〜と思いました。
    私も立つ鳥跡を濁さずで、シレ〜っとこの世から去りたいと切に願ってます(^ω^)
    それまでは師匠を見習って、人生楽しんでいきます٩(^‿^)۶

    • rubyさん

      こんばんは!同士さん(笑)

      LINEバレというのが、今風ですね。
      rubyさん、大人だわ。あっぱれだわ。
      形見分けは、すごいです!
      ご主人が泣き笑いしているのが、見えます。

      「すべてがとるに足りない些細なこと」というところに、思わず涙が・・・。
      当時、わたしもそう思ったんじゃないいかなって。
      あまりに時間がたちすぎて、わたしは自分の気持ちも忘れているけれど。
      でも、rubyさんの言葉で思い出しました。
      2年前に亡くなった友人も亡くなる直前に、同じようなことを言ってました。

      わたしも思い切りぶちのめしたかったなあ。
      足蹴り、膝蹴り、頭突き・・・全部してやりたい!

      身近な人の死は人生観を変えます!
      ただし、濃厚な付き合いのあった場合に限ってです。

      師匠って・・・そう?そうなの?
      じゃ、そういうことにしておこうかしら(笑)

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    ABOUTこの記事をかいた人

    りっつん

    1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。