いろいろな人に助けてもらって、ここまで生きてきました。
今から40年近く前のこと。わたしは秋田で暮らすことになりました。
夫が秋田に転勤することになったからでした。
秋田には、親戚も友人も1人もおらず、まったく縁のない土地でした。
そんな環境の中で、転居して1年後には長男が、そしてさらにその1年半後には次男が生まれてきました。
初めての妊娠と育児。そして再びの妊娠。いま、思い出してもドヨ〜ンとしてしまいます(笑)
「なんでこんな目に遭っちゃうの?」
それに対して夫の放った言葉は、我が人生の支えにはなりましたけれど。
あまりの生活の激変についていけず、暗くなってしまいしたが、それは同時に人の情を知るという貴重な機会にもなりました。
夫はまったく頼りになりません。仕事に忙しくてそれどころではない。当時は、周りを見渡しても、どこの家もそんな状態。男は戦士なのよ的な社会情勢。
つわりで身動きがままならない状態を知った、同じ社宅の7〜8歳の年上の数人のお姉さん方が、順繰りで長男の面倒を見てくれたのです。
携帯電話もパソコンもまだない時代。情報も人づて。そして足りない力は補い合う。確かにまだまだ古き良き時代でもありました。
しかし時代とはいえ、そんなにしてもらって、どうお返ししたらいいのか。見当もつきません。
知らない町で、どれだけ心強く、ありがたかったことか。
「何もお返しができない」
と、26歳のわたしが言うと、8歳年上の方から、こう言われました。
「お返しはどこかで誰かにして」
そして、自分もいろんな人に助けてもらったのだからと言われました。
忘れられない言葉になりました。
そうか。どこか別の場所でもいいんだ。だれかに返せばいいんだ。
その言葉を深く心に刻んで、秋田を出ました。
それから数年後、今度は夫が病で倒れました。そのときにも、何人もの人たちに助けていたいただきました。
恩とは受けた側がありがたいと思う行為
押し付けがましくなく、差し出す側の自己満足でなく、本当に相手を思っての行動が恩というものを生んでいく。
そして恩は人と人の間をクルクルと巡っているものなのだと思うのです。
恩が回っているのが、時々見えるような気がします(笑)
もらった恩をどこかに返して、また恩をもらって、どこかに返して。
恩というものは、決して1対1の関係ではないのです。
受けた人に直接返すだけでなく、別のどこかに返していくことでもいいのです。
今、誰かに助けてもらっている人は、以前にどこかで、誰かを助けていたことがあるのかもしれません。
貯恩の払い出し。
そして、誰かを助けている人は、いま貯恩中。
あの町もこの町でお世話になった人たちの顔が浮かんできて、懐かしさとともに、そんなことを思ったお彼岸の中日でした。
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恩は巡り巡ってまわっている。
思いあたることが確かにあります。
受けた恩には、感謝して、どこかでさりげなく返していけるような自分になりたい。
目にはみえない恩のパワー、いかすのは自分次第ですね。
まめぴよさん
おはようございます。
恩をその人本人に返さなくていいんだとと思ったら、
少し気がラクになったことを思い出します。
返しきれないことって、ありますから。
どこかで誰かに返そう!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ