なんのこっちゃ?ですが、 このタイトルを見て、息子たちは苦笑いしているはず。
夏休み最終日のリビング
いまはむかし。
8月31日。午後8時ころ。
部屋中に散らばる、工作の材料。
空気は殺気立っている。
急げ!
前年のことに懲りて、今年こそはと対策すればいいのに、それができない息子の1人。
せっせと空き箱に色紙を貼り付けているのは、当事者ではない息子。
横から、当事者の息子が、
「すごいねえ~まっすぐ貼れるんだねえ」と驚嘆の表情でのぞき込んでいる。
この人、まっすぐに切ったり貼ったりできない。
「触らないで!」と当事者でない息子。
こんな光景が、中学卒業まで繰り広げられていた。
そして、わたしの名句が生まれた。
気がつけば 今年もやっぱり キリギリス
気がついて 今年こそは アリになると、お盆のころにでも決意すればよかったのに、そういう年は一度もなし。
こうして「出せばいいんでしょ作品」を完成させる。
それにしても、なんであんな迷惑な宿題があるのかねえ。
先生は「今年もひどいなあ」と言っていたらしい。
息子は2人
1人の息子は工作が大得意。
選ばれて県展などに作品が出品されるほど。
この人は世間でよく言う優等生タイプ。
できないことが何もない。5教科はもちろんのこと、ピアノも弾けるし、体操では模範演技ができるほど。絵も作文も選ばれる。賞状はたくさんある。
オール5で小学校を卒業。抜け目ないタイプ。
さらにイケメンということで、バレンタインではチョコをもらわなかった年はなかったと思う。
持ってる能力を100とすると、それを均等に振り分けたタイプ。
中学になって、その能力の一部を「ケンカ」に振り分けたため、全体レベルは低下。
なんと、ケンカは学年一強かったらしい。そのことを後になって、母は知っていちおう驚く。
スポーツテストは総合ではいつも上位3位に入っていたが、1位という個別種目はなく、オール4.5くらいで中学を卒業した。
何が得意なのか、はっきりしない。
不得意がないというのはそういうこと。
そのせいか、大変穏やかな性格。温和な人だ。怒っている顔を思い出せない。というか、見たことがない。
でも、大人になってもこの人が言うのは、こんなこと。
「突出した何かが欲しかったなあ。そのほうがよかった」
さて、問題はもう1人のほうだ。
もうひとりの息子は、100の能力をどこにどう使っているのか、不思議な小学生だった。
ランドセルには全教科書が詰め込まれて、ごちゃごちゃ。時間割がめんどくさかったらしい。鉛筆は1本あればいいのだとか。
もちろん学校の机の中もごちゃごちゃ。
言うまでもないが、彼の部屋はとんでもない状態だった。
先生に「物があり過ぎて机が閉まらない」と叱られ、自分の腹でぐいーっと押して「閉まりました」と言ったという逸話もある。
誰もこの人の能力を理解できていなかった。
同級生から見たら、単なる変わり者。だからいじめられもした。親が抗議に出かけたことも何度かある。
子どもというのは異質なモノを排除しようとする。なぜかは知らないが。天使ではないことは確かだ。
高校に入るまで、さぞ、生きづらかったと思う。高校に入って、やっと話ができる友だちに出会えたようだった。
そんな息子に対して、
「世の中になじむように努力せよ」
そう言ったことは、たぶん一度もない。
彼を矯正しようなどと考えたこともなかった。人に迷惑をかけているわけではないのだから。
とにかく「面白い子」だった。
たとえ、何ができなくても、わたしにとってはかわいいヤツ。
だから、わたしだけはどこまでも味方でいようと思っていた。今でも思ってる。
そんな不思議な小学生のあの人を理解できた子が、実は1人くらいはいたようだった。それは女の子だった。
わたしはそれを知って、子育ては成功したと秘かにガッツポーズをした。
子育て目標は「恋のできる男」だったから。
個性があまりに違う兄弟だったが、2人はケンカしながらもお互いを好いていたようだった。
今でも2人は本当に仲がいい。
子育てをしながら、わたしは何が正しくて正しくないのか、自信を持てなくなっていた。
自分の生き方だけが正しいとは限らない。この世はなんでもアリなんじゃんと思いはじめていた。
それは夫が亡くなって、一般的路線から放り出されてしまったことも関係があるだろうと思う。
息子が高校や大学の志望校を口にするたびに、彼の口を押えていた。
「家で言うのはいいが、外では言うな。誇大妄想だと思われる」
だけど、彼はいずれも第一志望校への入学を果たした。彼には第二志望という言葉はなかった。
誰も予想できなかった方向へ進み、今を生きている。彼自身の力で。そして理解してくれる人たちに手を引かれて。
子どもの可能性を潰さなかったことだけが、わたしの子育てにおける自慢だ。
余計なことをしなかっただけ。そのままを受け入れてきただけ。そしてせっせとごはんを食べさせてきただけ。
どんな学校に入ってほしいとか、どんな仕事についてほしいとか、一度も言ったことはないと思う。心の中では思ったことはあるけれど。
子どもの将来など保障してやることはできないと早くに確信したので、責任逃れをしていただけのような気もするけれど。
“愛みたいなものを語る相手がいれば、それでいい”
そして夫のゆいごんは
「頑張りすぎるな」
エリート街道を進みながらも、早逝してしまった夫の残した言葉は、重い。
その言葉を覚えているのか、いないのか、分からないけれど、息子たちはたぶん今日もそれぞれ、ほどほどに頑張っているはず。
ゆっちゃん、宿題は終わったかな。
明日までにはまだ時間はあるよっ!ヽ(^。^)ノ
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