近所の喫茶店で本を読んでいたら、斜め45度の方向から声が聞こえてきました。
ん?なんだって?
聞こうとしているわけではないのに、聞こえてしまう。だって声が大きいんだもの。
あなたくらいの時には
「あなたくらいの時には、それ、できてたわよ!」
おお!おお!おお!
どこかしこでよく聞く、有名なセリフ。
語っているのは75歳くらいの女性のようだけれど、彼女の年齢はあくまでも、それほどアテになるとも思えない偏見付き物差しで測ってみただけ。
さて、そんなふうに言われたことは、数えきれないほどあります。
何と答えていいのか戸惑うことも多く、あやふやに笑ってごまかすしかない。
なんで、みんな、このセリフが好きなのかなあ。
早くパンケーキ、こないかなあ。
ここに来たのは、本を読むのに集中するのが目的だったので、オーダーしたパンケーキが運ばれてくるまで、イヤホンを耳に入れておくことにしよう。
ここのパンケーキ、焼けるのに20分ほどかかります。カサが高いのが特徴。どーでもいいけど(笑)
その他、有名なセリフ
ほかに、年上の人が年下の人に言う有名なセリフとしては、こんなものがあります。
「あなた、わたしより若いのに!」
「その年なら、まだまだやれるわよ!」
「その年でそんな弱気でどうするの!」
語尾には感嘆符。有無を言わさぬ強さがこもっていることも多い。
続く話は、あなた否定系か、説教するわよ系か、わたし自慢系か(笑)
言ってる人は励ましているつもりなのかもしれないけれど、励まされているように聞こえたことはあまりない。
年の差は、生きている限りは、決して縮まることはないので、年下の者には反論の機会はございません。
そして「わたしがあなたくらいの時」って言うけど、あなたがわたしであったことはあるのか?
そんな素朴な疑問が湧き上がってきます。
こんな話が生まれてくるのは、カレンダー年齢に縛られすぎているから?
カレンダー年齢
カレンダー年齢とは、生まれてからの暦の上での年齢。
カレンダーめくって、重ねていく年。
1枚〜2枚〜と、紙をめくるだけで増えていく不思議な数。
1年ごとに数字が変わるので、時々間違えることもあったりします。
いまの子供たちは、毎年誕生日を祝うのは普通のことだけど、わたしは63回も誕生日を祝った記憶はなし。
せいぜい10回くらい?
いやいや、もうちょっとは祝ってもらったかもしれない。あの人とかあの人にも祝ってもらったもんね(笑)
戸籍に載っている誕生日と本当の誕生日が違うという話も聞いたことがあります。
届出をした人が、本当の誕生日を間違えたとかなんとか。名前を間違ったという話も聞いたことがあります。
出生届、かなりいいかげん!
ちなみにわたしの母子手帳には、生まれた時間が12時と書いてあるけど、午前なのか午後なのかは不明。
母に聞いたところでは、夜中だったと思うと言うので、午前12時ということにしています。
12時ぴったり生まれたのか?なんか怪しい数字(笑)
そこから、さらに1000年も遡ってみると、誕生日なんて概念があったのかどうかさえもわかりません。
暦年齢が注目されはじめたのは、19世紀になってからのようです。
人口数を把握するために、出生記録を収集するようになったとか。
以来、人々はなんとなく年齢を意識するようになり「◯◯すべき時期」の基準として使うようになった。
学校に入る時期とか、結婚すべき時期とか。
なんで、決めることにしたのかといえば、それは、たぶん、社会を維持するため。
年齢で測れることって?
年齢を重ねるということは、経験を積んでいくということ。
その経験の数とその人を取り囲む環境が、その人を作っていきます。
だから、年を重ねるほどに、人としての違いは広がっていく。
残念なことに、年を重ねるだけで、人は成長していくものでもないのです。
だから老いていくことの感覚だって、人によってかなり違うのは当たり前。
20歳で老いを感じる人もいれば、90歳でも現役で最前線で動いている人もいる。
なのに、そんな事実を忘れているのか、知らぬのか。
みんな、同じように年を取ると勘違いしている人の、なんと多いことよ。
シワの数さえ、カレンダー年齢には比例しません。
聞くところによると、還暦すぎの同窓会では、同じ年齢の人たちが集まっているのに、見た目では20歳くらいの幅のある集まりに見えるとのこと。
カレンダー年齢より10歳少なく見える人と、多く見える人がいるから。
カレンダー年齢からわかることなんて、そんなにたくさんはないかもしれないのです。
年齢で死ぬわけじゃない
人は必ず死にます。
ここ数日、細木和子さんが83歳で、そしてあの寂聴さんが99歳で亡くなったというニュースが流れています。
やっぱり、細木さんも寂聴さんも死ぬんだ。
これが偽らざる思い。
占いができて、先の世界をチラ見できようとも、頭の中に浮かんだことを言語化できようとも、永遠の命を手に入れることは不可能。
能力と寿命も関係はない。
そもそも2人の死因は年齢ではないのです。人は年齢によって死ぬわけじゃない。
身体劣化によって、内臓の動きが止まるというのが、死ぬということ。
寂聴さんは生まれて99年経ったから、死んだわけではないのです。
人が死ぬのは、あくまでも個体の事情。
さて、わたしの身体はいまどれだけ劣化していて、この先いつまで持つのかしら。
それは、明日かもしれないし、100歳かもしれない。
自分の体のことは自分が一番よくわかってる。
そう言う人がいますが、そういう人にはわかるものなのかしら。
100年、生きるかもだよ
最近、今までとはちょっと違う思いに、囚われています。
“わたし、そう簡単には死なない?”
いや、”死ねない?”
“もう、いつ死んでもいい”
わりと、いつも、そう思ってきたけれど。
夢とか希望とか最初から抱かないので、思い残していることも、やり残していることも、思い浮かびません。
でも、いつも、今よりちょっとだけ良くしようとは思ってきました。
とりあえず、一生懸命には生きてきたつもりではいます。
カレンダー年齢に囚われて、老後に備えた片付けにも勤しんできました。
だけど、だけど・・・
“やるべきことは、片付けだけ?”
片付けに終わりが見えてきたら、なぜかは知らねど、俄然、欲が出てきているのです。
いつ死んでもいいのだけど、その日まで、気分よく暮らしたいという欲。
で、すぐに死ぬかもしれないけれど、もしかしたら30年くらい生きるかもという想定も必要かもしれないなって。
だからリフォームにもリキが入る。
家が滅びるのが先か、わたしが消えるのが先か。
まさに、競争だ!
体感年齢で生きる
どうあがいても、必ずやってくる終わり。
カレンダー年齢に合わせて生きるのは、どうにもわたしの事情とは合わない気がしてきました。
体感年齢に合わせて生きるしかないな。
年齢は忘れない程度に把握しておくことにして、あとは身体まかせに過ごす。
“こんな年齢になっても働くなんて”
↓
“動けるから、働こう”
70歳のABBAのアルバムでも聴きながら、ダンシングクイーンに挑戦してみるのも、悪くない(笑)
最近、思ったことが、もうひとつ。
“持ってるものを使い切らないと、
人は死ねないんじゃないか”
持ってるものとは、体力、能力、気力、業などなど。
生まれたときに与えられたすべてが尽きるまで、その人は生きなくてはならないのかもしれないと。
与えられたものを使い切らずには、次の世界には入れない。
体力、気力、惜しまず、使おう。
だから、今日も、働こう!
文句を言わずに、プリキュアに字幕をつけよう(笑)
たまたま目にしたこんな記事も、参考までに。
それから、ちょっと話はそれますが、寂聴さん、最後に頭に浮かんだのは、なんだったんだろう。
そんなことに思いを巡らせています。
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りっつんさん こんにちは
「持ってるものを使いきるまで人は死ねない」
施設の90才の母を見ていると、そうかもしれない
と思います。
誰も家族に早く死ねと思われてまで(笑)長生きし
たくないですよね。
それが寿命ということでしょうね。
今まで自分の年齢を意識することはなかったんで
すけど、先月65才になって、年金のお知らせが届
いたり、介護保険料の振込用紙が届いたり、あな
たは高齢者になりましたと宣告されたような気が
します(笑)
これからは先日観た映画の草笛光子さんのように
美しく、鎌倉の方のように誰にも頼らず、持って
るものを使いきるまで生きていきます。
相棒さん
こんばんは
寿命だけは、人の力の及ばないこと。
夫が逝った時にも、たぶん、
この人、使い切ったんだなあって、思ったんだと思います。
使い切ったものは、もうどこにもないんだから(笑)
鎌倉の方は、さすがにあの人の母。
きっちり使い切っていくはず。
そして、相棒さんもわたしも、
スッキリと使い切ろうね!
今晩わ。
持ってるものを使い切る!なるほどと思いました。家の旦那も思う存分、持ってるものを使い切って旅立ったみたいです^^本人は悔いはない、やり切ったと思ってるはずです。私もそんな気持ちで旅立ちたいものです。その為には残された人生、まだまだ自分なりのやりたい事、やるべき事が沢山あるんだろうと思って楽しみながら人生を育んでいきます!
ひとまず、一周忌を、終えたので家族旅行してきました^ ^
寛子さん
おはようございます。
残されたものにとって、
「あの人、やり切ったよね」と思えたら、
いなくなったことにも、納得できる気がします。
夫は38歳でしたが、そんなふうに思いました。
長さではないですよね。
きっと、寛子さんにも、わたしにも、
やるべきことが残っていて、パワーも残っているんですよね。