雪の仙台。思い出すのは、末期ガンの父を見舞った日のこと。

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仙台に出張していた息子から、写真が送られてきました。

おおっ、雪景色。

いよいよ冬らしくなってきたね。

でも、ここはどこ?(笑)

わたしの知らない風景です。故郷はどんどん姿を変えていきます。

そして、ふと、あの日のことが浮かんできました。あれは、確か2013年の12月のこと。

 

父の胃がん発覚

2013年の晩秋、両親が我が家に遊びにきました。

数日後には妹も合流して、隅田川の見えるホテルに1泊して、小学生のとき以来の元家族での旅行を楽しみました。

東京のホテルに両親と泊まるというのも久々。

この企画は、ある晩、突然にひらめいたことでした。

なんで突然に、あんな旅を企画したのか。今となれば、何か予感があったのかもしれません。

父はたいそうな飲兵衛でした。

85歳になっていましたが、日本橋の居酒屋に連れていくと、おいしそうにビールを飲み、焼き鳥をパクパクと食べていました。

翌日には靖国神社を参拝。父は陸軍の少年飛行兵として戦争を経験し、仲間を何人か失っています。

お参りできてよかったと、売店で戦闘機のブローチを買ってブレザーにつけて喜んでいました。

それからわずか1ヶ月後。

「何か詰まっていて、水も通りづらい」by 父

検査を重ねていくと、すでに末期の胃がんであることが分かりました。

胃の入り口をがんが塞いでいた。そして胃の底辺にはスキルスがん。二種類のがんに侵されていたのです。

ひと月前には焼き鳥を食べていたのに。

しかも、足繁く病院にも通っていましたのに。

何も食べられなくなったという、突然の事態に驚きました。

しかし、父には寿命がきたんだろうと思いました。

あわてることもなく、動揺することもなく、とても冷静にそう思いました。

口から食べ物の摂取が難しくなった父は、高カロリー点滴で栄養補給をするためにその日から入院となりました。

 

長男の帰国

父が入院して間もなくのこと。

ニューヨークで研究者生活を送っていた長男が、国からの呼び出しで帰国してきました。

といっても、3泊という慌ただしい帰国日程。

じいちゃんには、とても世話になった息子。

この事態を伝えると、もう、いつ会えるかわからないからどうしても見舞いたいと言います。

なんとか半日の時間をひねり出して、2人で仙台に向かうことになりました。

1時間ほどの新幹線の中で、話をしたことが忘れられません。

「自然に任せて、ほっとくべき」by母

「やれることは、なんでもやるべき」by息子

新幹線の中で、べきべき論争は白熱化。

医学をそこまでは信じてはいない母と、医学の研究に夢中になっている息子。

そういう話になると、話は噛み合わないどころか、並行線どころか、先広がりの逆三角形!

もちろん、結論など出る話ではありません。

 

じいちゃんとの最後

仙台の有名な繁華街の入り口にある総合病院に、父は入院していました。

2年ぶりに会う孫に、目を細めて喜ぶ父。

ハーゲンダッツのアイスクリームを2口ほど食べて、久しぶりに会った孫息子からアメリカの話を楽しそうに聞いていました。

それが父と息子の最後の面会になりました。

息子が見舞ってから数日後、父はすでに状態は手の施しようもないということを医師から家族に告げられました。

相談の結果、在宅ホスピスを選択することになり、父は退院しました。

そして2ヶ月間、在宅で医療者のみなさんの手を借りながら過ごしたのち、86歳の誕生日を迎えて10日後に、この世を去りました。

誕生日には息子たちが住んでいたニューヨークの家とスカイプをつなぎました。

ゆっちゃんが歌うハッピバースデーを、画面ごしに嬉しそうに聞いて、手を伸ばしてゆっちゃんと、ともたんを撫でていました。その姿を思い出すと、今でも胸が熱くなります。

“天寿まっとう”

気づいたときには末期がんで、闘病期間が少なかったことは、本当に幸せだったと思います。

 

がんの研究

日本に戻ってから、息子の研究は少し方向転換したようです。

がんの研究分野もかなり広いです。

息子が着目している分野は、新しい着想ゆえ数年前にはまだあまり着目されず、認知されづらかったようですが、最近になって、徐々に理解者が増えてきているようです。

わたしは自然に任せて生きていきたいけれど、そういう方法ならぜひ選択してみたい。

“きっと、誰かの役に立つに違いない”

息子から送られてきた雪景色の仙台を見ながら、期待は膨らみます。

父が入院していた病院で、30数年前に息子は難産の末に生まれてきました。

あのとき、死にかけた息子を救ってくれた人たちがいて、今、仙台の町の中に息子がいる。

時空をひとっ飛びしてみると、奇跡のように思えますが、1本の線で繋がっているようにも思えるのです。

どこかで、みんなが繋がっていると、そんなことを実感するのです。


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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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4 件のコメント

  • りっつんさん こんにちは
    学生時代仙台に旅行したことを思い出します。
    青葉城恋歌そのままの美しい街でした。

    故郷にはつらい思い出もありますよね。
    私の故郷は世界遺産のある地方都市で、別に嫌い
    ではないですけど、すでに実家もないし、学生時
    代の友人に戻ってきたら連絡してと言われても、
    何しに?交通費と時間の無駄だわと思ってしまい
    ます(笑)

    • 相棒さん

      おはようございます。

      一度だけ同窓会なるものに出席したことがあります。
      そのあと一年くらいは、再会した友人たちと、
      なんとなく連絡を取り合うことがありましたが、
      あっという間に自然消滅。
      学校が同じだったというだけで、共通点はあまりないのでしょうね。
      交通費をかけてまでは・・・つらい(笑)

  • こんにちは。
    本をきっかにプログを訪問しています。私も主人も仙台出身で親近感がわきます。(結婚してから23年仙台からは離れて暮らしています。主人がびっくりするくらいあっという間に亡くなったので還暦までに地元に戻ろうかと考えています)
    質問ですが、結婚指輪はどうされていますか? 私はしばらくはというか今のところ外す気はありませんが、未亡人の方は結婚指輪はどうされているのか気になったのでメールさせていただきました。

    • viviさん

      本を読んでいただき、ありがとうございます。
      仙台がふるさとの方とは、とてもうれしいです。
      名掛丁や藤崎が通じますもんね(笑)

      結婚指輪はいちおう残ってます。
      夫の指輪の中にわたしの指輪がはまってます。
      でも、指にはめることはありません。
      と、いうか、いつの頃からかわたしの指輪は入りません。

      もう、わたしは自由〜
      なんちゃってね(笑)

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。