あしたは七夕(しちせき)の節句。因果はめぐるもの。

明日は7月7日。五節句のうちのひとつ、七夕(しちせき)です。

 

日本の五節句

日本の五節句

一月七日  人日(じんじつ)

三月三日  上巳(じょうし)

五月五日  端午(たんご)

七月七日  七夕(しちせき)

九月九日  重陽(ちょうよう)

節句(せっく)は、古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦。伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日。

節供(せっく)、古くは節日(せちにち)とも言います。

ちなみに七夕の節句には裁縫の上達を願い、素麺を食べるといいそう。

明日はそうめんを食べよう! 雑巾も縫おう!?

さて、わたしが五節句を知ったのは高校3年生の古典の授業でのことした。

 

思い出の先生

古典のY先生は大変に厳しい先生でした。

先生は授業の前の休み時間に、すでに教室の前に待機。わたしたちは休み時間から授業に向けての予習を余儀なくされておりました。

気合いの入った授業を展開される先生。

指されて答えられないと、ずっと立たされる。先生の口癖は「一度言ったら、女の子」言いなおしは認められない。

時々座るためのチャンスを与えられるのですが、1時間立ちっぱなしってこともありました。「アタッククイズ、こてんこてん」ってとこですね。

みんな一生けん命学びました。厳しかったけれど知識が増えることはとても楽しかった。

授業が充実したものならば、生徒は寝ない。そして学ぶ楽しさを知るということを身を持って体験しました。

わたしは古典と歴史の授業以外は、ほとんど寝ていました。だって眠くなるんだもん。それって、自然の法則だと思う。

わたしは「寝るな!」とよく怒られていましたが、

教師は教えるプロであれ。眠らせるなっ!

と、いつも心の中で言い返していました。

節句が来るたびにY先生を思い出します。生徒の記憶に残る授業なんて、なかなかできないものです。

 

わたしの学生時代

わたしは大学では歴史を学びたいと思っていたので、第一志望は史学科でした。しかし、滑り止めとして、ほかにも受けなきゃいけない。

それで、国語の成績が「5」だったという理由だけで日本文学科にも出願することに。動機はそれだけ。

ほかに「5」だった科目は音楽だけ。選びようがない。音大受験は無理。

結果、日本文学を学ぶことになってしまったのです。┐(´~`)┌

そんなわたしでしたので、日本文学科の学生時代、なにをしていたかというと・・・

アルバイトざんまいの日々。

あまりにバイトが忙しくて学校に行けず、代返してくれる友だちをバイトで雇ってました。一度バレましたが、先生がいい方で、見逃していただきました(笑)

以下がわたしのバイト遍歴。

  • バスボンシャンプーのセールス販売員
  • 明治チョコレートのセールス販売員
  • コカコーラの販売員
  • デパートの呉服売り場の販売員
  • くじ引きの係員(年末のガラガラポン)
  • 封筒の宛名書き
  • 民放テレビ局の事業部(芸能人の楽屋番・会場係などなど)

実はこのほかにかなり本格的なバイトをしてまして。こちらのバイトは本気の本職。ワケあって、その仕事はちょっとヒミツ。経歴として書けるレベルです(笑)

そんなこんなで1日に2つの仕事を掛け持ちしていたこともありました。

自分から探したものもあるけれど、ほとんどはお誘いを受けたもの。次から次へと声がかかるものだから、ついつい。とにかく働くことが楽しかったのです。

 

コーラ、いかがですか!

特に楽しかったのは、コカコーラの販売員ですね。

夏休みには仙台駅のホームにて、氷を入れたケースにコーラやファンタを放り込んで、毎日売ってました。

当時はまだ自販機がなかったのです。今でもお祭りのときに見かける腰の高さのアレです。「どぶづけ」とかいうやつですね。

「冷えたコーラ、いかがですかあ〜」(微笑みつき)

と、缶だけは冷えたけど、まだ中身までは冷えていなかったコーラを売ったこともあります。(缶の飲み物は、まず缶から冷えます。中身が冷えるまでには時間がかかります)

缶が30本入ったケースを持ち上げて、どどどっケースにぶちこむのも得意。計算も早い。

何しろ出発間際に買う人に対応しなくちゃいけないから、計算力は特に大事。

1本90円の商品。種類は多いが、価格は同じ。5本なら450円。千円からのお釣りは550円。

お昼休みに飲む自分のコーラ(もしくはファンタ、コーヒー)を早めに決めて、一番冷えるところに置いて、これは絶対に売らない。

友人が入場券を買って、わたしに会いにやってきます。ホームに人がいない時には、友人が乗客を装って、短時間のおしゃべりを何度も楽しむ。何しろ仕事中。

携帯やスマホのない時代。居場所が明らかで、遠慮なく会えるというのは、なかなか便利でした。しかも、駅のホームは風の通りがいいので、涼しいのです。

一番忙しいホームは、3、4番線(当時)東北本線の上り。特急ひばりが、ああ、懐かしい。

そして何よりも時給が高かったので、夏休みの終わりには小金持ち。うははっ。

4年生の秋、コカコーラの人事部から電話がかかってきて「わが社に就職しませんか」と言っていただいたことが、わたしの自慢です( ̄^ ̄)ゞ

 

学業はどうなんだ?

さて、バイトの話はいくらでも書けるけど、勉強はどうなんだ?

バイトの合間に、ぼちぼちと学んだ・・かな。

提出レポートはあの手この手を繰り出して、なんとか卒業にこぎつけた。成績がいいわけはない。かろうじて卒業単位を確保。

誰のおかげで卒業できたと思ってるんだ!」と、夫は不利な立場になるたびに言ってました。

確かに、いろいろお世話になりましてよ。でもわたしだって、いろいろとお世話しましたわよ。

本当に何しに大学に行ってたのか、自分でもわかりません。親はそんな娘の態度に怒りまくってましたが、わたしの耳には残念だけど、親の話を聞くという設定がなされてなかった。

それゆえ、わたしは息子たちに「大学とは勉強するところ」という概念を植えつけられず、息子らもまた、かなり横道にそれた学生となりました。

大学の学部時代は歌ばかり歌っていた長男。今ではオヤジバンドでボーカルやってます。

次男もバイトとサークル活動に精を出し、ほとんど学校に行かなかった4年生。授業料を出席日数で割ったら、

「1時間の授業単価は15000円だな」

このように、なんでもかんでも計算する男になってしまいました。_| ̄|○

七夕の話の結論は、

因果はめぐる。

雨の月曜日。七夕の愛の話でも書こうと思ったけれど「わたしの彦星物語」は、あまりにも美しすぎて手が震えて書けず。気がつけば、こんな話に2700文字!久々の大作となりました。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

ああ、もう一度、コーラ売りたい!

 

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4 件のコメント

  • りっつん様

    数カ月前、「友が逝った。ふわりと逝ってしまった」のブログをたまたま読ませていただき、それからりっつんブログのファンになりました。りっつんさん素敵な人だなぁ、素敵な感性だなぁ、もっと読みたいって…
    私はブログをしていませんが、素晴らしいブログに出会えうれしく思っています。

    • 千春さん

      こんにちは!
      ファンになっていただけるなんて、とってもうれしいです。
      これからもぜひお立ち寄りください!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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    ABOUTこの記事をかいた人

    りっつん

    1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。