健康ってなに?って聞かれたら、なんて答えるかしら。

スーパーへ行ったら、ある棚がきれいさっぱり空になっているということが、時々あります。

ああ、また、テレビで特集でもやったんだなと思う。

最近ではコロナ対策で、納豆とかキムチとか消えているスーパーがあるらしい。わたしの町でも「●●スーパーから納豆が消えた!」という声が聞こえてきました。

なんでも免疫力が上がるのだとか。

みんな「健康にいい」ことが大好きです。わたしも健康であることは嫌いではありませんが・・・。

ところで「健康」ってどういう状態?どこまでが「健康」と言えるの?

 

メディアの責任?

エビデンスの有無さえ明らかにしてくれれば、何を言ってもいいんです。「説得力は乏しいけど、いいと思ってやっている人が多い」とかね。有酸素運動をしろとか、体を冷やすなとか、安くて副作用がない健康法なら、お金が絡まないのでエビデンスは不要です。逆に、高くて危険な治療はエビデンスが必要。そこがごっちゃになって流通している。

(出典:東洋経済オンライン 健康論に振り回される人を襲う「不幸な悩み」

パソコンを開いて検索ワードを入れると、ある程度の知識は得られる時代となりました。しかし、その情報が正しいのかどうかは疑問が残るところです。

「その情報、どこから?」と聞くと、たいがい検索して得られた情報のようです。中には病名まで自分でつけてしまう人も。←わたし(笑) でもそういう人はけっこういるかも。

「紙面」や「画面」で見せられると、どんなことも正しいように見えてしまうから不思議です。

「健康」というふた文字に振り回されるわたしたち。そもそも「健康」とはどういう状態なのでしょうか。

「健康ってどういうこと?」と聞かれたら、なんて答えますか?

 

「健康」と「病人」の境界線は、どこ?

「ある日」まで、夫は病人ではありませんでした。「ある日」を境に、夫は病人になりました。本当にピンポイントで「ある日」!

それは医師から「がんです」と告知を受けた日。あの日を境に、夫は病人になりました。しかし、病気が即暮らしに影響を与えたのかといえば、ほぼなかったのです。普通に暮らしていました。

たぶん、そんなものなのです。

「健康」と「病人」の境界線なんて、曖昧なものなのです。

大切なのは心の健康。必ず死ぬということを認識し、自分が楽しいことを、リスクを承知してやるのが、心の健康につながる。

(出典:同上)

「健康」を守って暮らすことが悪いと言ってるのではありません。わたしも自分の体をできるだけ快適な状態に維持するために、自分でやれることはそれなりにやってるつもり。

ただ大事なのは、心との兼ね合い。

自分で自分の体をコントロールできるのは、ある程度まで。思いどおりにはならない。気にしずきて心の安定を失うのはどうかなと思うのです。

健康は大事。だけど実は自分の力でなんとかなるものでもない。

老後を生きるにあたって一番大事なことは死ぬことを自覚しつつ生きること。これだ!と思います。

「健康でなくなる日」は確実にやってくるのだから。ぽっくり死なないかぎりは。

自分を大事にするということは、「健康」にこだわり過ぎることでもないと思います。たとえ病を得たとしても、そんな自分を受けて入れて生きるしかない。

ここまで書いてきて思ったけれど、わたしは「健康」というふた文字をあまり好きではないみたいです。

虚弱だった子ども時代を過ごしたことで、劣等感&反発心があるのかもしれません。

「健康、健康という前に、健康を定義してみよ!」と言いたくなります。

メディアの責任は大きいと思いますが、メディアからの情報を受け取るのは個人の自由。情報を鵜呑みにせず、怪しいと疑う余裕を残しておけと自分に言い聞かせなくてはいけませんね。


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2 件のコメント

  • はなです!

    私は子供の頃とても元気でした。でも元気と健康は違います。
    小児喘息でした。扁桃腺も直ぐ腫れる。と、熱が出る。と月のうち半分近くはぐずぐずしていたのです。でもどこから見ても活発で、元気に見えました。お友達がいなかったせいか、小学校に通い始めてからは、みんなと一緒にいるのが楽しかったんでしょうか、お休みをしたくないので、気で、元気でした。気だけで持っていました。結婚してからも子供がいたので気だけで維持していましたが、本来は弱いのでしょう子供たちが独立したとたん体調を崩し始めました。はい!気持ちです。元気でいよう頑張れるという気持ち
    ここは元気でいないといけないと思っている気持ち。健康診断で心や気持ちはわかりません。自分とうまく折り合いをつけて、周りに振り回されることなく、強い意志を持つことが大切だと思います。
    肉体はいつか終わります。それをわかっていたらあと何年いきれるかわかりませんが終わりが来るのを自覚しながら生きていけると思います。

    • はなさん

      こんばんは!
      わたしは5年生の時には、学年1の欠席数でした。
      まあ、よく欠席しました。
      あちこちに不具合を抱えていて、
      通院のための欠席も多かったのですけれど。
      大人になるにつれて、だいぶ丈夫になりました。
      夫は逆で健康には自信のある人でした。
      だから、人の寿命は本当にわからないものだなあと思います。

      ぼちぼちいきますヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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    ABOUTこの記事をかいた人

    りっつん

    1957年生まれの60歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。好きなミュージシャンは山下達郎。 時々、3歩あるくとすべてを忘れる「とりっつん」に変身してしまう。