沈みながら空を染めていく光に、西方浄土を思う。

昨日は未亡人記念日でした。

ん?

未亡人何年生になるんだ?

 

もう、数えるのをやめた

夫が死んで何年になるのか、いちいち数えないと答えが出てきません。

あれから、何年になるんだ?

西暦、何年だっけ?

ああ、もう、わからない!

もう、いちいち計算するの、やめることにします。

今年からは、ざっくりだけど、死んで30年ということにしておこう(笑)

やっと1ヶ月、やっと半年、そして、

「やっと1年が過ぎた!」

1年を過ぎたら、少しずつ元のスピードを取り戻して、

「もう3年になるのね」

7年を過ぎたころには、息子たちも17歳と16歳となり、夫と同じくらいの背丈になりました。あのころ、一区切りついたような気がしました。

それ以降も、未亡人としての日々を過ごしていますが、未亡人という立場(?)も、与えられた環境のひとつというだけで、いまでは、それで何か困ることということもありません。

困るというか、思えばイヤだなあと思うなこともいくつかあったけれど。

それにしても、あんなにも未亡人という言葉を避けて暮らしていたのに、なんの抵抗もなく「みぼうじん」と打ち込んでいく自分に驚きます。

人は、どんどん変わるんだなあ。

 

想像もしなかった”今”

こんな今日になっているとは、想像もしていませんでした。

良き、驚きです。

というか、昔から“将来どうなりたい”とか、“夢に向かって進む”とか、そういうことをあまり考えたことがないので、自分の未来を思い描くことをしなかったというのが、本当のところ。

ただ、こんなふうにはなりたくないという想いは強いのです。

だから、成り行きに任せながら、偶然に身を委ねつつもも、与えられた環境の中で、それなりに考えながらやってきました。

大きな流れに流されないように。

そして、いつも、かなり悲観的なもの見方をしてきたと思います。身に起きるゾッとするような事態を想像力を駆使して考えるのは、たぶん得意です。

“自分に限って、起きるかもしれないんだよ!”

だから、目の前に現れた問題に対しては、最悪の事態を想定して、必ずプランB、プランCを考えていました。

若いころはかなり楽観的な思考で過ごしていましたが、夫を亡くすという体験をして、最悪の事態を考えるクセがついてしまったのかもしれません。

わたしにだけには、絶対に起きないと言い切れる出来事なんて、存在しない。

これからどんなことが降りかかるのか。

それに対して、どんな対応をしていこうとするのか。

どんなことが起きても、そのときの頭で考え抜いて出した結論ならば、自分を許せるはず。

30年前とは違う自分を感じつつ、これからも変化し続ける自分を見守る。

今、興味があるのは自分に対してだけです。

 

気ままに生きる

“生きている”って、どういうことなんだろう。

そんなことを考えて、わたしなりのいまの結論は、こんなところです。

“身体があるかどうかだけ”

自分の意思(頭?心?)で生きているわけじゃないのです。

動く身体があるかどうかということが、生きている者と死んだ者の決定的な違い。

生きてることを実感したければ、身体を使えばいいということに、今さらながらに気づきました。

空を眺めて、涼やかな空気を吸って、おいしいものを食べると、それが頭とか心に伝わっていく。身体を使わずに頭と心を動かすことはできないと。

いま身体の中でなにが起きているのか、実際に把握できる人はいないはずです。しかし、この身体の状態が精神に及ぼす影響は大きい。

実は、身体に動かされている頭や心。

だから、身体を俯瞰しながら、その声に耳を傾けてみる。

できるだけ、穏やかに動き続けてほしいけれど、それもいつかは叶わぬ願いとなる。

だけど、その日まで、できる限り、身体の声に耳をすますことにしよう。

動きたいのか、動きたくないのか。

食べたいのか、食べたくないのか。

不足しているものは、なにか?

身体の要求にそって、気ままに生きてみることにします。

 

西方浄土を思う

夕方の6時。

キッチンに差し込んできた光に気づいて外に出てみたら、金色の夕空!

あの向こうには西方浄土がある。

そんなことを思いました。

みんな、あそこにいるんだ。

あの人もあの人も、あの猫も。そしていつかわたしも行く。

いまは、とても平穏に暮らしているけれど、それが続く保証はまったくありません。いま、良い状態にあるよようでも、その先になにが起きるかなんて、未定中の未定。

最後の瞬間に、何をどう感じて、目を閉じるのか。

それはその人にしか分からないし、誰かに伝えることもできないのです。

人生というものは、まさに自分だけのものだということです。だれからの評価も受けられない。

 

ひねくれ者が感じるうれしさ

「生きているだけで、まるもうけ!」

母はうれしそうに、よく、そう言っていました。どこかで流行っていたフレーズのようです。

わたしはそれを聞くたびに、いつも?マークが頭の中に浮かんでいました。

“じゃ、死んだら、損ってこと?”

こんなふうに、娘はひねくれています(笑)

わかっているんです。

母は軽い気持ちで、自分を鼓舞するつもりで言っていたのでしょうが、どうにも好きになれないのです。

たぶん、死んだ人に対して、線を引きたくない気持ちがあるのです。

“散る桜 残る桜も 散る桜”

良寛和尚の言葉です。

夫は38年をかけて、その人生を完結させて散り、のり子さんは60年かけてその人生を完結させて散った。

ただ、それだけのこと。

最後の瞬間に思うことは、長さとはきっと関係ないはず。

わたしは、いま、こうして生きていて、うれしいなと思うことがひとつあります。

それは、いま同じように身体を持っている人に、触れることができるということ。

大事な人たちと別れるときには、これが最後かもしれないと、いつも思っています。

だから、できる限りの笑顔で、手を振ることを、かたく心に決めています。

39年回目の結婚記念日は”サンキュー婚式”と命名す。

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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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10 件のコメント

  • こんにちは。

    大事な人と分かれるときは、
    これが最後かもしれないと、
    できる限りの笑顔で手を振る。

    考えたこともなかったけれど、
    りっつんさんより年とってる私。
    これから、そうしよう!!

    素敵な気づき、ありがとうございます^_^

    • ジャンヌ65さん

      おはようございます♪

      だって、帰り道で何があるかもわからないんですもの。
      まして、離れる距離が何100キロにもなれば・・・

      米国にいた長男と空港で別れるときには、
      本気で”今生の別れ”と思っていました。
      でも、それだけに再会したときの喜びもまた大きいんですよ。

      それから、人の印象に残るのは、最後の顔ということ。
      だから、できるだけ”いい顔”を残そうと思ってヾ(@⌒ー⌒@)ノ

  • おはようございます。
    今朝もりっつんブログの更新をまだかまだかと待っていました笑
    読みながら心穏やかになる自分に気付かされます。
    ありがとうございます。
    今日もこころ穏やかに過ごせそうです。

    • OREOママさん

      おはようございます♪

      コメントに思わずにっこりしました。
      励まされました。
      ありがとうございます!

      今日もいい1日でありますようにヾ(@⌒ー⌒@)ノ

  • りっつんさん こんばんは
    今日のブログ 身体に染み渡りました。
    令和元年の秋に父を 翌年4月に母と義父を見送りました。
    見送った安堵と寂しさと共にこれからの自分を考えるようになりました。
    自分に正直に生きよう。 と思うようになりました。
    だからなのか りっつんさんの素直な飾り気のない文章を読んでると 安心します。
    これからも楽しみにしています。

    • 範子さん

      こんばんは。

      ありがとうございます。

      時々、この世とあの世を考えたりします。
      あちらに渡った人が、増えてきました。
      すると、あちらの世が怖い場所とも思えなくなりました。

      自分に正直に生きる。
      うんうん!
      自分をだますことは、もうしたくないです。

  • 今の積み重ねが未来を創る
    と思っているのですが、

    りっつんさんのブログより、
    日々、目の前の事を丁寧に行われているのを感じて、
    読ませて頂いて、気持ちが良いです✨

    • さっちさん

      こんばんは。

      今日が明日を作るのは、間違いないのです。
      昨日の続きのようでも、微妙に違うのです。
      こうやって積み重ねていったら、どうなるのか。
      それなりに楽しみでもあるのです。
      ありがとう!

  • こんばんは。寿命のことを考えるときこう思います。人間80年、犬15年、セミ1週間、カゲロウ半日と。もちろんここに挙げた昆虫は成虫になってからの寿命ですけど。寿命を考えた時、人間の「平均寿命」という「ものさし」でアンカリングするから、そこより長いか短いかを考えてしまうのではないかなと。成虫になって半日しか寿命のないカゲロウが不幸かといえば、そんなことないんじゃないかと考えています。生きるとは長短ではないですね。どう生きたか、どう生きているかで変わってきます。このような考えのヒントをくれたりっつんさんに感謝します。長々と内容のないお話し、申し訳ありません。それでは、また。

    • 五朗さん

      こんばんは。

      平均寿命なんて、本当に意味がないと思っています。
      平均なんて、現実にはない数字ですものね。
      平均って何?ですよ。

      満ち足りた気持ちでこの世を去れるかどうか。
      もう、それだけのような気がします。

      人間にとっては、確かに半日は短いけれど、
      カゲロウにとって、それがどんな長さなのか。
      「人間のものさしで、勝手に短いとか言うな!」
      と、言われそうです(笑)

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。