年が明けてから、暖かい日が続いていましたが、数日前からグッと寒くなってきました。
昨日の一番大事な仕事は、郵便物を出すことでした。
まずは投函!
忘れてはならじと、投函作業、早くにまずはやりました。
とにかく、やるべきことを先延ばしにすると、忘れてしまうので、とにかくさっさとやることを心かげています。
本当に信じられないほど、次の瞬間にポンと忘れるので。
ここは勢いをつけて、外に出ます。
封書を前かごに入れて、自転車をこぎ始める。
寒いけど、お金のためだから、行こう!
橋を渡ると、ワンランク冷たい、ピリリとした冷たい空気が頬に突き刺さってきました。
川の上は、風が吹き抜けるせいで、ワンランク上の寒さ。カモたち、川の中に足を入れてるけれど、冷たくないのかしらと、いつも思います。
ところで、このピリリ感、ふるさと仙台を思い出させます。
仙台を思い出すものは、牛タンでもなく、笹かまぼこでもなく、萩の月でもなく、冷たい風。
仙台育ち
仙台で育ち、25歳の春まで仙台で暮らしていました。
初めて東京に行ったのは、大学4年生のとき。
仙台から出る機会がほとんどなかったので、未知の地に対する憧れがあって、高校生になったころには、この町から出て暮らす自分を妄想したりしていました。
その町は仙台より都会でも田舎でも構わない。とにかく仙台ではないところで暮らしてみたかったのです。
運よく転勤族と結婚したことで、仙台脱出に成功したのは25歳の春のことでした。
あのときのワクワク感は、今でも忘れられません。それゆえ、今でも引っ越しをしたくなるのかもしれません。
さて通っていた学校は、仙台駅からバスを降りて10分ほど歩かなくてはなりませんでした。
爽やかな季節の多い仙台なのに、思い出すのは、なぜか冬の風景ばかりで、特にあの道だけは忘れられない。
いろんなことを思いながら、冷たい風に向かって歩いた道。
今でも冷たい風に吹かれると、あの道を思い出すのです。
そして、仙台に飛んでいきたくなります。いますぐに、この瞬間に!
仙台を出てから、もう40年になりました。
故郷の風を感じたくなるのは、本能かもしれません。
渡り鳥も風のにおいを感じて、生まれた地へ向かうのかもしれません。
秋田での3年間
冷たい風に吹かれると、仙台は思い出すけど、秋田は思い出しません。というより、この程度の風では、思い出せない。
寒さのレベルが違う!
秋田で思い出すのは、グレーの空と、横に降る雪、そして冬の雷。
わたしの人生の中では、たった65分の3のことだけど、人生では大きな意味を持つ秋田時代です。
なんといっても、あの地で家族が増えたのですから。
繁殖をするために北に向かう鳥がいるけれど、それと同じだったのかもしれない(笑)
ところで何を投函したの?
ところで、忘れてはならない投函物って何かって?
それは、鎌倉ばあちゃんの医療費の還付手続き書類です。
書類といっても、請求書の差し替えと振り込み口座の情報。
鎌倉ばあちゃんは7月のコロナに感染しました。
その分の医療費が国から補填されることになり、8月に国から書類を揃えて提出すれば、補填するという連絡をもらいました。
しかし、わたしの名前では取り寄せられない書類があって、自費で支払いしました。
ところが、ここにきて、13万円ほど返金されることになりました。
(それなら、最初からそうしてくれよと、ぶつぶつ文句)
そんな連絡をいただき、義母との面会を兼ねて、病院へ直接行って手続きするはずが、再び病院内でコロナが流行り始めているとのことで、キャンセルとなりました。
ということで、寒い風に吹かれながら、投函してきたのでした。
こういう手続き、本当になんとか簡潔にしてほしい┐(´~`)┌
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