夫の年齢を超えていく息子たち

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先日、長男は誕生日を迎えました。

この誕生日は、わたしにとっては、ちょっと特別な誕生日になりました。

それは、夫が迎えることのなかった年齢だから。

仮死で生まれて、一度はあの世の景色を見たはずの息子でしたが、なんと、その生まれた場所の近くで、父親の年齢を超えることになりました。

あのとき、命を救ってくださったスタッフのことを思い出し、心の中から感謝を伝えました。

 

39年前のあの日

あれは、39年前の御用納めの午後のことでした。

前日に突然産気づいて入院していたわたし。予定日までは3週間もありましたので、大慌て。

夫は秋田で年末の仕事に忙しく、里帰りしていたわたしは、たったひとりで入院して、初対面のスタッフとお産に臨んでいました。

それまでスムーズに進んでいたお産の様子が変わったのは、お昼過ぎのこと。

突然バタバタ。なにが起きていたのか、わたしにはまったく分からず。

気がつくと、ベッドの周りに人垣ができていました。

助産師さんが2人、産科と外科と小児科の先生がそれぞれ1人、そして看護婦さんたち数人。

「わたしはどうすればいいんですか?」

間の抜けたことを聞いたことを思い出します。

「好きにしていて!」と言われました。

「次の陣痛でいきます!」という看護婦さんの掛け声で、無理やり押し出された息子に、息はありませんでした。

泣き声がなかったので、ああダメなんだと、妙に冷静に思ったことを思い出します。

自分が助かったことで、もう息子どころではなかった母親です。

なんとか蘇生させてもらって、保育器に入れられた息子。

抱くことができたのは、年が明けてからでした。

そして、その息子。

昨日は、生まれた病院の近くで、たぶん、ガムをかんでいたんじゃないかと思います。

なんで、そこにいるんだ?

まるでサケみたい(笑)

息子に起きていることを偶然と片付けてしまうのは簡単ですが、どうにも不思議に思えてならないのです。

やっぱり、何かに導かれている。

そんな気持ちを新たにしました。

 

LINEde会話

夜の9時すぎ。

スマホを確認すると“わたし・長男・次男”のグループラインが動いていました。未読が30くらい。

あらあら、またおしゃべりしてるのね。

これは”通知しない設定”になっていて、緊急事態の時には使わない、雑談ライン。

長男と次男の話題は、父親の年齢を超えた誕生日のことから、小学4年生のときに、塾に入れられた話になっていました。

「こんなバカ、見たことない」と父親に言われたとか、なんとか、長男が言ってる。

そこまでストレートに本人に言ったかどうかは記憶にないけど、わたしには言ったなあ(笑)

そして、長男の入塾テスト。

窓から川が見えて、父親と弟がいたという、長男の記憶。そして次男もついて行った記憶があるというので、これは確定。

テストは全然分からなくて、一番下のクラスに入れられたのだそうです。

あのとき、わたしは仲間はずれ。

前日の夫婦の話し合いで、意見が決裂していたから(笑)

 

コロッケの話

さてさて、塾に通うことになった小学4年生の息子。

塾に行く楽しみは、そばのコンビニで売ってたコロッケを食べることだったと。

そういえば、そのコロッケを、行くたびに、お土産に買ってきてくれたっけ。

次男もそのことをよく覚えていました。

その分、お金を余分に持たせていたのでしょうね。

なにしに、塾に行ってたんだか、行かせてたんだか(笑)

自分がおいしいと思うものを、家族に食べさせたい。

10歳児の魂、いまも、続いてます。

通塾をやめさせるために、担当の先生と初めて話をしました。

「今までに見たことのないタイプです。こんなこと言ってはいけないけど、塾には向いていないと思うので、やめさせるのは良い判断です」

息子が、次に塾に通うようになったのは、高校3年生になって、受験対策のためでした。

 

どこかに確信があったのか?

長男の勉強の面倒をみろと言われて、いとも簡単に拒否したわたし。

いま思えば、未来のかけらみたいなものが見えていて、それを信じていたからじゃないかと思うのです。

信じていた?

いや、信じようとしていたというほうが、正しいかな。

あれは、長男が生まれて、半年をすぎたころのことでした。

ふと、寝ている顔を見ていたら、どこからともなく、聞こえたのです。

それは、そののち長男が9年間過ごすことになった大学の名前でした。

その言葉、日常では忘れていたようでも、意識の中では息づいていて、それを信じようとしていのたかもしれません。

それゆえ、小学4年生で勉強ができようと、できまいと、それほど慌てなかったのかもとも思うのです。

もう、そのときの心境など、確かではないですけれど。いまだから言えるのかもしれませんけれど。

それから、再び、似たような声が聞こえたのは、大学の構内を息子と2人で歩いているときのことでした。

その内容は、息子にも告げた記憶があります。

いずれこんな道に進むという内容でした。それは長男が選択していたのとは違う分野でした。

あれから20年が経ち、本当にそうなっていることに驚いています。

以来、息子はわたしのことを魔女と呼んでいます(笑)

それが、単なるカンなのか、希望的予感なのか、はたまた、あの世からのささやきなのかは分かりません。

同じような声は、苦境に立ったときにも、何度か聞こえてきました。

夫が亡くなったとき。

次男が大きな怪我をしたり、大きな病を患ったとき。

この事態は意味のあることなのだと、言われたような気がします。

そして、なぜか、それを信じようとした。

あれらの苦しい日々を乗り越えるためには、そう信じるしかなかったのかもしれませんが。

今年の息子の誕生日は、感慨深いものがありました。

「まだ始まったばかり」

そして、そんな声が聞こえたような気がします。

2人の息子は、わたしの身体を通じて、この世に出てきました。

わたしの身体を一時的に貸したことで、いまの縁が生まれました。

この縁を繋いでくれた、遠い、遠い過去の人たちに、感謝しています。

そういえば、次男の誕生も、わたしにとては、この上なく不思議なできごとでした。

魔法の言葉は「人類で初めてじゃないだろう!」

2018年6月14日

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りっつんブログが本になりました。

経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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2 件のコメント

  • りっつんさん、こんにちは

    あら偶然です。私の夫も昨日誕生日でした。

    どこからともなく声が聞こえるという経験はないですが、なぜかふっと思ったことが、後々その通りになったりすることがあります。

    こういう科学では解明できない事柄って絶対あると私も思っています。
    そう思う方が楽しいですしね。

    自分が死んであの世へ行ったら、これらの謎が解けるのかと思うとちょっとわくわくしてしまいます(´▽`*)

    • えみんちょさん

      こんばんは♪
      あらまっ!
      お誕生日、おめでとうございます

      聞こえるというか、頭に浮かぶというか。
      突然、ふっとなのです。
      たぶん、えみんちょさんも同じようなのでは思います。

      科学が追いついていないのではと思います。
      いつか、そういうことか〜って、わかるときがくるかもしれません。

      実は、わたしも、死んでどうなるのかとワクワクしています。
      何が起きるにでしょうね。
      本当に、楽しみヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。