ひとまわり年下の知人と久しぶりに話す機会がありました。
おいしいクッキーをかじりながら、午後のティータイム。
「寂しくない?」
50代になったばかりの知人は、2人の娘が嫁いで夫との2人暮らしが始まったばかり。
4人暮らしから、2人暮らし。いずれやってくる1人暮らしも、少しは気になってきたみたい。
それにしても、あっけないほどに突然に子育て期間は終わりを迎えるものだなあと、思います。
彼女が楽しそうに娘さんたちの話をしていたのは、つい数年前のこと。それがもう別々の姓となっているのです。
4、2、1と、共に暮らす仲間は減るもの。
そりゃ、“1の状態”がいつ訪れても、早くはないし、特別なことでもありません。
「ひとりで、寂しくない?」by 知人
実に久しぶりに、そんなことを聞かれました(笑)
寂しいという言葉が、わが辞書から見当たらなくなってから、どのくらい経つかなあ。
無理をしているわけでも、別に強がっているわけでもないです。
寂しいって、どんな感情だっけ?
思い出さないと、思い出せない(笑)
「話かける人がいなくても、平気?」
そういえば、猫にはよく話しかけていたなあ。
猫がいなくなってからは、黙食、黙寝、黙風呂の日々。
考えてみれば、誰かに同意を求めたり、決断を委ねるということもないので、困ったということも、一度もなし。
時々ひとり言に気づくことがあるけれど。
自分でしゃべって、自分で答えればいいのよ( ̄^ ̄)ゞ
きっと、姿の見えない何者(猫)が、聞いてくれているかもしれないから。
それはたぶん、習慣なだけ
家の中で、人に話しかける。
それって、ただの習慣のような気がします。
愛があるとかないとか、そんなことも関係ない(笑)
そこにいるから、話しかけているだけ。大した話題がなくても。
夫と暮らしていたころ、息子たちと暮らしていたころ、それなりに話題はあったけれど、それは、わりとどーでもいいことばかりでした。
話題に上ることで多かったのは、人の話。
そう言われてみて、気づいた!
話す人がいないので、他人のことも気にならなくなってることに。
伝える人がいて、話は広がっていくものだから、人のうわさ話なんて、話す人がいないと、気にならなくなる!
「おいしいね」だけは、それでも言い合いたい時があるなあ。
それは、毎日でなくてもいいので、たまにそういう時間をもてばいいだけ。
気の合う人たちと、おいしいご飯。
だから、そういう場所には、ホイホイと出かけていきます。
そして、どうしても聞いてほしい話があるときは、その分野に詳しい友人を思い浮かべて、電話をしたりラインをしたりしています。
そういうつながりも大事にしています。
日々のささいな出来事は、楽しかったことも、不快だったことも、よほどのことでない限り、忘却の川に流して、おしまい。
気が弱いわけじゃない
本当に便利な社会になりました。
1人でも暮らせる世界が出来上がってしまいました。かつては助け合わないと暮らせなかったけれど。
そういう方向に進んできたということは、人間にはもともと「ひとりで暮らしたい」という願望があったということなのではないでしょうか。
個人の都合に合わせた、個人の暮らし。究極のライフスタイル。
人類は単独では生き延びれなかった弱き生き物。ほかの大型動物に比べて足も速くないし、力も強くないし。
狩りをして木の実を拾って暮らしていた時代には、群れを成していないと生き残れなかった。
少し時代が進んで、農耕を始めた人類。農耕するために必要だったのは、やはり共同作業。
だから1人になると、生存できなくなるという恐怖が、刷り込まれているのです。
人として“1人ぼっち”を恐れるのは至極当然のこと。別に気が弱いからじゃないのです。
新しい繋がり方を探す
なんだかんだ言っても、1人で暮らすことはできるようになったけれど、1人では生きられません。
暮らすことと、生きていくことは、まったく違います。
人は人の中にいてこそ、人でいられるのですから。
現代には現代に適した、人と人のつながり方があって、つながり方はかなり自由に選べるようになっています。
だから、自分が安心できるつながり方をしておけばいいだけのこと。
それは、暮らし方とはまったく関係のないこと。
ひとり暮らしをしながら、そう強く思うようになりました。
ひとりになってから、人をより大事に思うようになったと思います。家族という同居人がいたときには、なんか強気だったかも。同居人がなんとかしてくれるという根拠なき慢心(笑)
“人との居場所をいくつか確保すること”
“笑って話ができる場所”
好きでない人とは付き合わなくてもいいという自由。1人でいても許される自由。そこから選んだ関係なのですから、できれば笑い合える関係でありたいと思います。
だから、”大事な人とつながり続けるための努力”は惜しみません。
自分も笑いたいけれど、相手にもぜひ笑っていただきたい。
そんな気持ちを持ち続けることが、これからの課題でもあります。
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孤独についてのお話、全く同感。異議はございません。
なんというタイムリーというか、同じことを、昨夜一人で寝ながら思っていたのです。
寂しくないなあ。
一人暮らしに慣れたのと、自分には合っているから。
他人の生活にも興味はありません。
聞いてって言われれば、聞きます。それで、相手が少しでも荷物が軽くなるなら。
美味しいと言われれば嬉しいから、せっせと料理も作ります。
今度、カラオケに行こうねって言われれば、いいよって約束します。
人間だもの、人間のルールを守って生きているだけですが。
しばふねさん
こんばんは。
時々、思いがリンクしてますよね。
わたし、この町が好きなのか、ひとり暮らしが好きなのか、
自問自答してみました。
たぶん、ひとり暮らしができているから、この町が好きなんです。
つまり、どんなところでも、ひとりで暮らせるなら、好きになれるのかも。
だけど、人とのつながりは大事にすることは、
ひとり暮らしをしていても、できることですよね。
カラオケ、しばらく行ってません!
急に行きたくなってしまいました。
誰か、誘ってくれないかしら(笑)
りっつんさん、こんばんは。
今日の記事も とても心にしみるステキな内容だったと思います。
最後のフレーズが特に良かったです。
「自分も笑いたいけれど 相手にも笑ってもらいたい」
これは 私も ず~っと心がけて生きて来た事だと 気づかされました。
大事な人と つながり続けるための努力を惜しまない事も、まさに!
とても スッキリして さわやかな気持ちになれました。
いつも 心から ありがとう(*^-^)
ほっこり〜なさん
おはようございます。
わたしも、最近、自分が人に対してどう接したいのか、
振り返ってみて、そう気づいたところです。
そういう雰囲気が好きなんだと。
人と笑って話をする時間を大事にしたいと思います。
そして、近しい関係ほど、メンテナンスも必要だと思っています。
こちらこそ、ありがとう
りっつんさま
誰かと(家族と)一緒に暮らすこと、メンバーが減っていくということ、今の私の大きなテーマです。
物理的に毎日顔を見て会話できなくなるこれからに不安やさみしさを予想していますが、
「自分が安心できるつながり方をしておけばいいだけのこと。」という言葉に少し勇気をもらいました。
今はいろんなツールを利用したら遠くにいても近くに感じられますよね。
精神的に近くて、お互いが安心できる存在であることを目指したいです。
ありがとうございます。
ゆちまこさん
おはようございます。
“ずっと、このまま〜”はありえないこと。
でも、なぜか、そう思ってしまうものです。
どんどん状況は変わっていくんだということを、
覚悟しておくだけでも、違うような気がします。
その中で、どうしていくか。
知恵の勝負です(笑)
初めてコメントさせていただきます。
私はシングルマザーになって8年が経ちます。
息子たちと3人で過ごしていますが、パートナーが居ないという現実をまだ受け入れきれていない自分がいます。
孤独で寂しい、と自分のことを可哀想だとどこかで思っています。
遅かれ早かれ皆 1 になる。っていう考え、とても素敵です。
それをはっきり伝えることが出来ている姿に、励まされました。
文面から元気をもらいます。きっと嘘がないからですね。
私もりっつんさんのように、人を元気づけれるようになりたいです。
keiさん
はじめまして♪
コメント、ありがとうございます。
パートナーがいないことで、
自分のことを可哀想だと思う気持ち、実によく分かります。
いずれ1人になるとしても、それとは別の話。
でも、きっと、それって自然なことなんですよ。
だから、欲し続けることにしました( ̄^ ̄)ゞ
まだまだ先はあります。
どんな出会いがあるか、楽しみに待ちましょう!
その知人の方は身近に姐さんのようなロールモデルが在って幸いですね(^^)
1人暮らしの寂しさについてその方は仰ったわけですが、
夫婦別れをした方からたまに聞く言葉に「2人でいるときにより一層寂しさを感じた」っていうのもありました。
寂しさの感覚って個人差ありますね。
「寂しがり屋なんで」何につけひとりは絶っ対ムリ!っていう人もいます( ^ω^ )そういう人は他人も同じだと思ってその目線で見てらっしゃるのかなと思いますね「1人なんてかわいそう」的に。
ひと頃、一人『ぼっち』で食べているのを人に見られるのが耐えられないとトイレの個室でご飯を食べる人がいると話題になったことがありましたね。
一方「人間の幸福にとって孤独は欠かせない構成要素である」と宣った方もいました。グレン・グールドです。好きです♡
本邦でも昨今『孤独のグルメ』(漫画/ドラマ)などウケてますよね!
思い出したんですが。
今から20年以上前…と思います、
いわゆる適齢期を過ぎた独身の女性たちの「おひとりさま」本が出て一部で評判を呼びました。
上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』に先駆けること10年くらい??上野さんも絶対知っていたはず!
友人が次々と結婚して気づけばつるむ相手が見当たらず、かといって旺盛な消費行動は止まらず、結果1人行動が増える──彼女たちは単独でも動こうと決めたわけです。そういう人たちへのエールであり世間の理解を求める内容の本でした。
今ではそういう女性の『おひとりさま』って認知され受け入れられるようになりました(ですよね?)。そう考えると世の中前進しているのかしらね。
姐さん仰るように
基本1人で立っていてたまには誰かと時間を共有したり助け合ったり、そういう連帯がある──寂しいとか寂しくないとかじゃなくそういうもの、大人が自分の足で立つってそういうものなんじゃないかなと思います、それは家族との関わり合いであっても。
これからますますそういう傾向になっていき、それは人としての成熟だと思うんです。
…と言いつつ、私は連帯し助け合う相手がありませんので、先々が思いやられるところです。おひとりさまはイケる性質なんですが。
助け合える連帯まで含めてこその成熟、ですからね。要改善です(*´-`)
デイジーさん
こんにちは♪
誰と一緒にいたって、寂しさみたいな感覚をなくすことは、たぶん無理なんです。
夫婦だって、恋人だって、親子だって、
分かり合えるようで、分かり合えないものですから。
全部を把握しようとした瞬間に、寂しさが沸き起こるのかも。
自分のものにならない寂しさ?
人間関係でせいぜいできることといえば、相手を尊重することくらい。
自分の感覚でジャッジしないことだと思っています。
そしてほんのひとときを、楽しく共に過ごせれば、それでよし。
いっときでも、時間を共有できるなんて、ステキなことです。
わたしはそう考えています。
この世に生まれて、歩く道は、1本だけ。
そこをひとりで歩くしかないんだなあって、思います。
ほら、その道には、誰もいないってば(笑)
どんなスタイルで生きていようと、容認される時代になりました。
時代は間違いなく前進しています。
ありがたいことです。