友が逝った。ふわりと逝ってしまった。

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同じ年の友人が逝った。61歳の誕生日を迎えずに逝った。

昨年の夏から闘病中だった彼女。最後に会ったのは1か月ほど前。わたしたち4人は彼女から「会いたい」という連絡を受けて、病院に向かった。

彼女は病室から出てきてくれて、ロビーで2時間も話しこんだ。楽しかった。あの時は貧血がひどくて入院しているのだと言っていた。

あれから、わずか1ヶ月。

そうか。逝ったのか・・・。そうか・・・。

急変して3日後に旅立ったのだという。

最後に会った時の彼女の話が思い出される。

「こうなると、すべてのことが些細なことだったと思う」

気に病んでいたことのほとんどのことが、あまりに些細なことだったと彼女は言った。生きることの真実を見つけたんだろうか。

夫に対しての感謝の気持ちも静かに少し照れたように語ってくれた。彼女の口からそんな言葉を聞いたのは初めてだった。

「夫とはいろいろあったけど、長く暮らして分かったことがある」

「夫と結婚してよかった」

わたしには長く暮らして何かを分かり合うという相手はいないので、うらやましいなと思った。これからそういう相手が現れたとしても時間は限られている。30年なんて時間は積みようがない。

彼女は料理や手仕事が万能な家庭人の見本のような人だったが、あまり女っぽくなくて実にさばさばした人だった。実にダンディな性格だった。

家庭科の苦手なわたしは、世話になりっぱなしだった。同じ年齢なのに、姉のような存在だった。

世間は「60なんて早い」とか「早すぎる死だ」とか言う。

わたしが最も嫌うセリフだ。「何が早いんだよ、早すぎるんだよ!」って、思わず本気で突っ込みたくなる。

彼女には60年生きたという事実があるだけだ。彼女の人生の評価は彼女にしかできないことだ。

わたしは彼女は自分の人生に納得して逝ったと思っている。

1か月前にわたしや友人に会いたいと言ってくれたのは、そういうことだったんだろうと信じている。会話の内容から、そして彼女の雰囲気から、わたしはそう信じている。

必ず誰もが死ぬのだけれど、自分が生きたことに納得して死を迎えられたら、どんなにか幸せだろうと思う。それは、人生の長さとはまったく関係がない。

今、わたしが願うのは、まさにそれだけだ。自分が生きたことを納得したい。

わたしも「これでよかった」と思って死にたい。

今世で与えられたこの肉体を使って、経験できることをやって、もっと納得してみたい。そのために今を生きているのかもしれない。

彼女はもっとも清々しい季節に逝った。

亡くなった人のイメージは不思議と命日に重なる。さわやかな5月の風に吹かれて、ふわりとあちらの世界に飛んでった彼女をうらやましく思う。

これからは「ホタテのキッシュ」を作るたびに、きっと彼女を思い出すだろう。

そしたら、彼女とのコンタクトを試みてみようと思う。心で会話してみようと思う。きっと、わたしと彼女もつながっているはずだから。

彼女の3歳になる二番目の孫は、彼女が言っていたとおり、大変なやんちゃっ子だった。告別式の間じゅう、ずっと歩きまわっていた。男の子だけど、面差しがどこか彼女に似ていた。わたしはずっとその子ばかり見ていた。

「こんな長いお経なんか聞いてらんないよね!」と、彼女の声が聞こえた気がした。きっと場を和ませる彼女の采配だったに違いない。気配りには長けた人だったから。

今はもう30年前じゃない。今この瞬間も、時は動いている。時間は止まらない。わたしたちは確実に年を重ねた。

1か月前に生まれた3人目の孫を抱く彼女の娘は、もうわたしの知っている娘ではなくて、しっかりとした足取りの母親そのものだった。

わたしたちのひとつの時代が静かに過ぎていこうとしている。

わたしに残されている時間は、もうたくさんはないだろう。

今、わたしが死んだとしても、悲しんでくれる人は何人かいると思うが、困る人はひとりもいない。こんな日まで生きられたことに、わたしは心から感謝している。

自分に与えられた環境と条件をどれだけ生かせるのか。周りの人々を介して生きている意味みたいなものをどう感じるのか。わたしはそんなことを思いながら、電車の窓から、かつて住んでいた町を眺めていた。

ただ、だだ、流れていくだけ。

またね、のりこさん。


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経験談や人情話から猫話。そして実用的な老後のお金の話まで。心を込めて綴りました。

「老後のお金」など、ブログではあまり触れていない話題にもかなり踏み込んで書いているので、お手にとって頂ければ幸いです。

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4 件のコメント

  • 一月ほど前に、仲良しグループと再会して楽しいときを過ごしたという記事、
    印象深くよーく覚えています。
    りっつんさんの子供さんたちに、手作りのグッズをあれこれプレゼントしてくださった方ですよね。
    そうそう、ホタテのキッシュの方、、、
    大切な存在の人を失う悲しみ、想像するだけで胸が痛みます。
    たくさんの涙を流して、そして自分のこれからの人生、やがて迎える死を考える。
    りっつんさんの覚悟に、いつもいつも深く共感させられます。
    死ぬときは穏やかに、みんなに、ありがとう、先に行ってるよと、笑って逝けたら最高ですね
    そして、先に逝って待っててくれてる人に会えるんだぁ、、、うれしいな なんて考えたら
    とても穏やかな気持ちになれます。
    大切のご友人のご冥福をお祈りいたします。

    • ずんずんさん。
      ありがとう。そうです、あの人です。
      「わたしが逝く時には、彼女も待ってる」と思うと、ふっと心が軽くなりました。
      いつ、友人の誰が死んでも、まったくおかしくない年代に入っていることを再確認しました。
      あとは、生ききるだけですね。

  • こんにちは。
    今朝、録画しておいたドラマ『ライオンのおやつ』を見ました。
    時間がないので、朝食を食べながらでしたが、重い内容でつい箸を置きました。
    臨終から出棺、そして玄関先に置いた燭台のロウソクに火をつけて、主人公のセリフ。
    ロウソクには自分の寿命はわからない、自分の身を削って人を照らす
    人は、お互いにそうやって人の役に立ちながら生きて行く。
    みたいなことを言っていて、自分なりに納得しました。
    ご友人のお話を偶々また読ませていただき、コメントしたくなりました。

    • しばふねさん

      おはようございます。
      コメントをみのがしていました。
      ごめんなさい!

      「ライオンのおやつ」は小川糸さんの作品ですね。
      昨日たまたま小川さんのエピソードを読みました。
      お母さんとの関係、ギクシャクしていたんですね。
      そのおかげで作家になったと。
      おっとっと。話がそれました。

      確かに、ロウソクは、もうすぐなくなるからと、
      火力を弱めて調整することもなく、照らし続けてくれます。

      わたしも見てみようかな「ライオンのおやつ」

      のり子さんは、ホタテのキッシュがいろんな人に伝わって、
      結構喜んでいるんじゃないかと、思っています。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1957年生まれの64歳(2017年に還暦を迎えた)。埼玉の片田舎で自由気ままに1人暮らしを謳歌している。 中年化した2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、日本のどこかで生息中。 愛読書は鴨氏の書いた『方丈記』。 好きなミュージシャンは山下達郎氏と反田恭平氏。 3歩歩くとと、すべてを忘れる「とりっつん」に変身するという特技の持ち主。